新刊『マインドフルネスを極める』のお知らせ

2019年06月27日 | 仏教・宗教

 「東京マインドフルネスセンター」で行なわれた連続ワークショップの記録が出版されました。
 
 同センターは、サングラハ教育・心理研究所の東京日曜講座の会場をお借りしているところでもあり、筆者も唯識心理学のワークショップをさせていただきました。

 本をお読みいただいているだけで、ワークショップに参加したことのない方にも、どんなことをしているのか、様子がわかっていただけると思います。ぜひ、ご覧ください。


 『マインドフルネスを極める』(サンガ)、定価(2500円+税)

   目 次

 伊藤義徳(琉球大学准教授、臨床心理士)
 「瞑想にたよらないマインドフルネス・トレーニング」

 川野泰周(精神科医・臨済宗林香寺住職)
 「禅とマインドフルネス――思いやりと慈しみの科学」

 岡野守也(著述家・仏教心理学者)
 「瞑想の深層心理学としての唯識」

 大井 玄(東京大学名誉教授・医学博士)
 「老耄とやすらぎ――苦しみは識別作用に縁って起こる」

 中野東禅(京都市・竜宝寺前住職)
 「講話と実践――ブッダの禅は人間性回復の道」


 

マインドフルネスを極める (東京マインドフルネスセンター ワークショップ集2)
貝谷久宣,長谷川洋介
サンガ
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現代科学はどうニヒリズムを超えるか 4

2019年06月15日 | コスモロジー





 宇宙即神?


 以上1―3の記事で述べたポイントで、ニヒリズムの克服はほぼ完了したと言ってもいいのですが、あえて②の「神(精神的で絶対な存在)はいない」というポイントについても一言だけ付け加えておきます。

 かつて筆者のコスモロジーの授業を受けた学生たちが、レポートの感想に「宇宙ってまるで神みたいですね」といった言葉を書いてくることがよくありました。

 それに対して筆者は、「まるで……みたい」ではなく、「宇宙はそのまま神だと言ってもいいんじゃないかな」と答えたものです。

 エネルギーから物質を、物質から生命を、生命から心を、心からさらに覚り・霊性を創発し続けている「全体としての宇宙」は、キリスト教の「万物の創造主」である「神」とまるでそっくり――神話的表現を丸呑みにせず象徴的に解釈すれば――いや、そのままそうだと言ってもいい、と筆者は考えています。

 近代的理性・科学が殺した、というより見失った神=絶対なるものを、現代的理性・科学は復活させようとしている、というより再発見しようとしている、と思われます。

 (もちろん神学的・哲学的・宗教学的に言えば、より詳しく厳密にいろいろ論じることができるのですが、ここではそういう必要以上に複雑になりがちな専門的議論は避けておきたいと思います。)


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現代科学はどうニヒリズムを超えるか 3

2019年06月14日 | コスモロジー




 克服のポイント4――「心は脳の働きにすぎない」から「心は宇宙進化の最高段階」へ

 これまで述べた3つのポイントは、特にニヒリズムのポイント①と③b、③cを克服するものですが、さらに現代科学の重要な五つの学説すべてを総合的に捉えると、③a「人生の絶対的な意味はない」という考え方も克服されます。

 近代科学の視点からすると、「心は脳(という物質の複雑な組み合わせである器官)の働きにすぎない」ということになり、愛、感動、喜び、創造性……など人生に意味を感じさせてくれる心の働きも、きわめて複雑ではあるが所詮脳という物質の働きにすぎない、ということになります。

 ところが、現代科学のコスモロジーを自分のこととして「主客融合的解釈」をすると、まったく違って見えてきます。

 複雑度をものさしとして見ると、「脳は宇宙進化の最高段階」であり、しかも「宇宙は一三八億年かけて、脳をベースとしてより複雑な高次な心というものを創発させた」ということになるのです。

 「物とは何か」、「宇宙とは何か」、「心とは何か」、「人間とは何か」、「私とは何か」といった反省的な思考は、コンピューターにたとえると、いわば「ソフト」の働きであって、脳という「ハード」には還元できません。

 それは、名画がキャンバスや絵の具に還元できないのに似ています。作品は材料に還元できないより高次の創発的・創造的な存在です。

 そして、心もまた宇宙の外に出来た宇宙以外のものではなく宇宙が生み出した宇宙の一部というほかありません。

 では、私たち人間の意識的な心は何をやっているでしょうか。

 心という宇宙の一部のもっとも基本的でもっとも重要な働きは、それ以外の自然・宇宙を対象として認識することです。

その場合、心も宇宙、心以外も宇宙なので、つづめて言えば「心において宇宙が宇宙を認識している」ということになります。

 だとすれば、「脳-心は宇宙の自己認識器官である」ということになるのではないでしょうか。

 しかも、人間の脳-心は、認識機能だけでなく、進化の過程ですでに感情機能を獲得していますから、大自然・宇宙のさまざまな創造を見た時、クールに認識するだけでなく、そのすばらしさに感動するのです。

その場合も、感動される対象も感動している心も宇宙の一部ですから、つづめると、「宇宙が宇宙に感動している」ということになります。

 だとすれば、「脳-心は宇宙の自己感動器官である」ということにもなるのではないでしょうか。

 しかも、宇宙には自己組織化・複雑化という進化の方向があるのですから、偶然そうなったというより、宇宙は自己認識と自己感動に向って進化してきた、と結果論から言ったほうが妥当だと思われます。

 「宇宙はきわめて多様で複雑な組織を生み出し、その創造のすばらしさを認識し、それに感動することを目的として進化してきた」のではないかという推測も、ほとんどまちがいないくらいの確率で成り立つのではないか、と私は考えています。

 以下は『コスモロジーの心理学』(青土社)などで詳しく述べてきたことですが、ここでも簡略に繰り返しておきます。

 そもそも「意味」とは「意識的な心が肯定的に味わう体験」のことだと思われます。

 つまり、宇宙は意識的な心を生み出すことによって、宇宙の一部・人間の心で意味体験が起こるということを生み出したのです。

 それこそ、宇宙的・絶対的な意味(体験)の創発と言うことができるのではないでしょうか。

 こう考えると、ニヒリズムのポイントの③c「人生には絶対的な意味はない」も克服されます。

 宇宙の一部としての人間の心が認識し感動することにおいて、宇宙的・絶対的な意味が創発し続けているのですから。

 さらに言うと、宇宙はその一部であるゴータマ・ブッダなどの覚者の心において、「私は宇宙と一体である」、「私は宇宙である」という、いわば「宇宙の自己覚醒」に到っている、と筆者は捉えています。

 宇宙の一部であるブッダが宇宙と一体であると自覚したということは、つづめて言えば、「宇宙が自らが宇宙であることに目覚めた」ということです。

 「自分という存在は、宇宙の自己認識―自己感動器官であり、自己覚醒器官になる可能性も秘めている」と自覚したら、そこにはもはや空しさ・無意味感・ニヒリズムは存在しえない、と筆者には思えます。
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現代科学はどうニヒリズムを超えるか 2

2019年06月13日 | コスモロジー




 克服のポイント2――「死んだら終わり」から「生命は生き続ける」へ

 相対性理論と散逸構造論とビッグ・バン仮説と、ワトソンとクリック以降の遺伝子研究・分子生物学などを総合して「生命」を考えると、

 「生命も複雑ではあるが物質の組み合わせにすぎず、死んだら元のばらばらの物質に解体して終わり、相対的意味もなくなる」ということではなく、

 「生命は宇宙の自己複雑化・自己進化の成果であり、確かに個体は死ぬが、それですべてが終わりではなく、DNAによって生命そのものは引き継がれ、生き続けている。

 地球上の生命は、誕生してから約4〇億年生き続けているし、今後も(当分、数十億年は)生き続けるだろう」ということになったのです。

 ある生物学者は、「バス、電車、新幹線、飛行機などなど、どんなに乗り物を乗り換えても乗客はおなじ人であるように、さまざまな個体という乗り物を乗り換えながら、おなじいのちが生き続けているのだ」という意味のことを言っています。

 しかも、宇宙エネルギー・レベルで見ると、個体・個人もまた、宇宙エネルギーから生まれ、今も宇宙エネルギーの一つのかたちとして生きており、死んでも宇宙エネルギーであるまま、あるいは「宇宙エネルギーの世界に還るだけ」なのですから、「死んだら終わり」ではなく「死んだら宇宙という故郷に還る」と言ってもいいのです。


 克服のポイント3――「生存闘争」から「エコ・システム―相互依存」へ

 ダーウィン以来――というより、スペンサーらの「社会ダーウィニズム」による過度の一般化の強い影響により――

 「生物の世界は、弱肉強食、優勝劣敗の生存闘争の世界であり、個体同士も種同士も基本的には敵であり、勝ったものが生き残り、負けたものは滅びていく。それは自然法則なので、当然というか仕方ないことだ。

 だから人間の世界でも生存闘争は仕方ないのだ」と考えが横行していました。

 これは、社会的には強い国が弱い国を征服・侵略・植民地化する「帝国主義」と個人的には「エゴイズム」の自己弁護の根拠とされてきました。

 しかし、ワトソンとクリック以来のDNA研究の積み重ねによって、「地球上のすべての生命のDNAはたった一匹の単細胞微生物に遡る」、つまり「すべての生命がある意味で一つの家族である」ことが明らかになりました。

 加えて、ヘッケルが「エコロジー」を提唱してから一〇〇年あまりの研究の積み重ねによって、

 「地球上では、非生命・環境とすべての生命(微生物と植物と動物)が一つのエコ・システム(生態系)を成している」ことが明らかになっています。

 確かに一見「弱肉強食」や「生存闘争」に見える現象はあるのですが、それを全体のシステムの中で見ると、「食物連鎖」つまり微生物と植物と動物(草食動物と肉食動物)の間に食べて―食べられて―食べて……という関係があることがわかり、「競争的共存・共存的競争」がなされており、一つのエコ・システムの中では「相互依存」の関係が成り立っていることが、反論の余地のないほど明らかになってきました。

 エコ・システムが宇宙の自己組織化の成果だとすると、エコ・システムを維持・発展させることが宇宙の進化の方向に沿っているという意味で「善」、汚染、破壊することが「悪」というエコロジカルな倫理が成り立ちます。

 それは、硬直した絶対性ではありませんが、宇宙の方向性というかなり柔軟な幅のある、しかしある意味で絶対――宇宙に相対(あいたい)するものはありませんから――的な倫理だといえるでしょう。

 にもかかわらず、日本も含む世界のリーダーたちの大多数がいまだに社会ダーウィニズム的な偏見を持ち続けているのは、驚くべきというか、あきれてしまうというか、はなはだ人迷惑というか人類迷惑なことです。

 そろそろ目を覚ましてもらうか、でなければ、目の覚めたリーダーに交代してほしいものです。

 さらにエコ・システムに限らず、人間の営むあらゆることに関して、「宇宙進化の方向に沿うことが『善』、進化の方向から逸れることが『悪』という、宇宙的という意味である種絶対的な倫理が成り立つ」と言っていいと思われます。

 これで、ニヒリズムの3b「(絶対的な)倫理もない」というポイントも決定的に克服されることになるのではないか、と筆者は考えています。
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現代科学はどうニヒリズムを超えるか 1

2019年06月12日 | コスモロジー

 現代科学のコスモロジーのどういうポイントがどういうふうにニヒリズム(+エゴイズム+快楽主義)を克服するのか、数回に分けて、簡単な解説を加えておきます。


 「ニヒリズム」の定義

 私のいう「ニヒリズム」のポイントは、以下のとおりです。

 これは、ニーチェからも西谷啓治先生からもフランクルからも大きな示唆を受けてきましたが、必ずしも同じではありません。

 もっとも基本的なのは「1.すべては物質にすぎない」という考え方(物質還元主義)です。

 そこから必然的に「2.精神的で絶対な存在という意味での「神」はいない」ということになります。

 すると、すべては物質で、精神的で絶対的なものはないのですから、「3a.人生の絶対的な意味はない」ということなります。

 さらに恐るべきことは、その時代、その社会で通用している相対的な倫理はあっても、「3b.絶対的な倫理もない」という結論に到ることです。

 もう一つなんとも空しいのは、「3c. 死んだらすべては物質に解体して終わり」ということになり、ばらばらの物質は残るにしても、意味としては「無になる」という結論です。

 こうした「いない」「ない」「無」がラテン語の「ニヒル」にあたり、〔物質以外〕すべては無・空しいという考え方を「ニヒリズム」というわけです。

 すべてが空しいという考え方を突き詰めて考えてしまうと、そのプロセスで心身を病み、さらに突き詰めると自殺するしかなくなります。

 そうならないためには、絶対ではなくてもとりあえずある相対的で主観的な「自分の楽しみ」、パスカルの言う「気晴らし」を追求して生きるしかなくなります。

 そして絶対なもの・いちばん価値あるものはありませんから、自分(たち)がいちばん価値がある・いちばん大事と考えておくしかなくなります。そうした「自分・エゴがいちばん大事」という考え方を「エゴイズム」と呼びます。

 一言コメントしておくと、思想用語としての「エゴイズム」は、身勝手で自己中心的な考えや言動のことではなく、自分を超えた絶対的な大いなるものは存在せず、「自分・エゴがいちばん大事」という考えを指しています。

 また、自分を超えた絶対なものはないので、すべての価値の基準は自分と自分が価値があると思うこと・楽しみになっていきます。それを「快楽主義」というのでした。

 ニヒリズムは、とことん徹底してしまえば自殺に、かなり突き詰めると身心を病むことになり、そうなるのを避けるにはエゴイズムと快楽主義しかないということに到ります。

 しかし、「人間は所詮エゴと快楽を支えに生きるしかない」と考えるのはつらいので、多くの人は自分だけでなく自分たち、快楽と言わないで生きがいや幸福と置き換えることで、そのあたりをぼやかしながら――しかもぼやかしているという自覚はなく――なんとか生き延びているのではないか、と筆者には見えます。


 克服のポイント1――「ばらばらの物質」から「一体のエネルギー」へ

 それに対してきわめて幸いなことに、まず何よりもアインシュタインの相対性理論が、「すべてはばらばらの物質(にすぎない)」という近代科学の基礎的なドグマ(教条化した考え)を「すべては一つの宇宙エネルギー」というふうに、完全に克服というか止揚(含んで超える)してしまいました。

 そして、プリゴジーヌの散逸構造論=物質の自己組織化能力の理論によって、「宇宙における物質の運動は基本的に偶然的・アトランダムなもので意味や目標はない」という近代科学のもう一つのドグマも克服され、「全体としての宇宙には自己組織化・自己複雑化という進化の方向性がある」ということになりました。

 ガモフの「ビッグ・バン仮説」以来、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったもので、広がり方のゆらぎ・ムラがさまざまな現象を生み出しているが、宇宙の現象のすべてはエネルギー・レベルで見ると依然として一体である、ということになりました。これでますます「すべてはばらばらの物質の寄せ集め」という近代科学的なドグマが克服されることになったのです。

 *長くなりますので、以下、続けて掲載していきたいと思います。
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現代科学はニヒリズムを超える

2019年06月11日 | コスモロジー

 *以下は2012年7月に書いた記事の修正・再掲です。もう7年も経ってしまいましたが、改めて今こそ読んでいただきたいと思い再掲することにしました。


 これまで繰り返し、当ブログや著書(『生きる自信の心理学』PHP、電子版、『コスモロジーの心理学』青土社など)で、現代の日本人の多くが感じている空しさや生きづらさの根っこはニヒリズムにある、と述べてきました。

 そして、近代科学のコスモロジーは突き詰めると必ずニヒリズムに到るが、現代科学のコスモロジーを体系的に、しかも自分のこととして学ぶと、必然的にニヒリズムは超えられる、と言ってきました。

 そのポイントをわかりやすくまとめるために、以下のような表を作ってみました。










 どういうポイントがどういうふうにニヒリズムを超えることになるのか、続けて解説をしていきます。ご期待ください。


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ニヒリズムによる殺人と自殺――川崎登戸の死傷事件にふれて

2019年06月09日 | 生きる意味

 以下の記事を書くについては、かなりのためらいがあったのですが、やはり書いておいたほうがいいという気がしてきたので、あえて書くことにしました。

 5月28日、川崎市登戸駅近くでカリタス学園のお子さんや保護者の方19名が刺され、女児1名、男性1名が亡くなられるという痛ましい事件がありました。

 亡くなられたお二人のご冥福を心からお祈りするとともに、傷を受けた方々、ご家族・関係者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

 犯人は、犯行直後自殺していて、責任を取らせることができません。報道によれば、犯行動機もあまりはっきりしないようで(毎日新聞デジタル版6月1日など)、さまざまな推測がなされています。

 ネット上では、「死にたいのなら一人で死ぬべきだ」といった発言をきっかけにいろいろな議論がなされているようです。

 筆者は、被害者や家族の方々の心情を考えると、そうした下手をすると無責任になりかねない推測や議論に深入りすることには強いためらいを感じていましたし、責任と意味のある推測や議論をするには正確で膨大な資料を見る必要があるが、それをするには力や時間が足りないと思っていますが、一つだけはっきりしている重要なことがあると考えていて、研究所の関係者や本ブログの継続的な読者にはお伝えしておきたいと思いました。

 それは、犯人の具体的な事情はいろいろあったにしても、もっとも基本にあった問題はニヒリズムだと判断してまちがいないと思われる、ということです。

 事情は誘因であり、根本的な原因は本人が陥っていたニヒリズム的な考えにあると言っていいのではないでしょうか。

 自分で自分の存在を認めることができず、さらに他者の存在も認めることができず、他者を否定・殺傷し、自分も否定・自殺したということは、「自分にも他者にも生きる意味がない」と考えていたということです。

 戦後日本の科学合理主義的・無神論的ヒューマニズムが常識になっている状況のなかでは盲点になっていると思われますが、彼の心のなかにはキリスト教的な「私も神の子、他人も神の子であり、絶対的な尊厳があるのだから、自殺も殺人もけっしてしてはならない」という考えはまったくなかったでしょうし、神仏儒習合的な「私も神・仏・天地自然・祖先からいのちをいただいているし、他人もそうだから、自分も他人も大切にしなければならない」という考えもなかったことが、重大なポイントだ、と筆者は捉えています。

 さらに言えば、もし「自殺したり殺人を犯したりすると、死後、神によって裁かれる」か、「自殺したり殺人を犯したりすると、死後、地獄に落ちる」と信じていれば、たとえ社会的・心理的にかなり追い込まれていたとしても、簡単に自他を殺すことはできなかったはずです。

 「それはそうかもしれないが、いまさらそんなことを言ったって、今は昔じゃないんだから」という声が聞こえてきそうです。

 継続的な読者にはおわかりいただいているとおり、筆者は、昔のようなほとんどの人が宗教を信じていた時代に戻るべきだとか戻れると言いたいのではありません。

 そうではなく、近代的な科学合理主義だけでは、人間の生きて死ぬ究極の意味は見いだせない、それどころかニヒリズムに到るのであり、ニヒリズムが克服できないかぎり、倫理の崩壊はとどめることができず、きわめてニヒリズム的―非倫理的な犯罪はけっしてなくならないだろう、と指摘したいのです。

 筆者は過去の記事「近代化の徹底とニヒリズム」で、次のように書きました。

 欧米では、もっと早い時代に、近代的な理性・科学によってキリスト教の神話が批判され、もはやそのまま信じることはできないというふうになり、ニーチェという思想家の言葉でいうと「神の死」と「ニヒリズム」がやってきたわけです。

 そして、日本では開国-明治維新と敗戦という二段階のプロセスを経て、そういう欧米的な近代的な理性・科学が社会に浸透し、いまや「神仏儒習合」の世界観が決定的に崩壊しつつあって(いわば「神仏天の死」)、遅れて本格的なニヒリズムが社会を脅かしつつあるのではないでしょうか。

 神の死とニヒリズムについて述べたニーチェの言葉を改めて引用しておきます。


 ニヒリズムは戸口に立っている。あらゆる訪問客のなかでもっとも不気味なこの客はどこからくるのか?――出発点。ニヒリズムの原因として、「社会的な困窮状態」、あるいは、「生理学的な変質」、それどころか、腐敗に言及するのは、見当違いである。現代はこのうえなく品のよい、また、このうえなく思いやりの深い時代なのだ。困窮は、それが心的な困窮であれ、身体的な困窮であれ、知的な困窮であれ、それ自体としては、ニヒリズム(つまり、価値、意味、願わしいものの徹底的な拒否)を生むことは断じてできない。これらの困窮は、いぜんとして、まったく種々さまざまな解釈を許すのである。……(遺稿集『力への意志』1906年、1)

 結局、なにが起こったのか? 生存の全体的性格は「目的」という概念によっても、「統一」という概念によっても、「真理」という概念によっても解釈されてはならない、ということが理解されたとき、無価値性の感情が得られたのである。そういうものによって、なにかが目ざされたり、達成されたりすることはないのである。出来事の多様性のなかには包越的な統一性はないのである。生存の性格は「真」ではなくて、偽である……真なる世界があると納得する根拠は、もはや絶対にない……要するに、われわれが世界に価値をおき入れたさいに用いた「目的」「統一」「存在」などの範疇は、われわれによってふたたび抜きさられ、――いまや、世界は無価値なものにみえる……(12)


 しかし、これまで述べてきたことをここで改めて繰り返したいのですが、近代科学で見れば、「出来事の多様性のなかには包越的な統一性はない」ように見えたのですが、現代科学はもはや疑う余地もないほど明らかに宇宙の多様性・複雑性には自己組織化という方向性があることを示しています。

 そういう意味からすると、「近代科学はもう古い」、そしてだから「ニヒリズムももう古い」と言わざるをえない、と私には見えます。

 そして、社会がそうしたもう古い近代の科学合理主義とヒューマニズムを建前として営まれ続け、現代科学に基づく新しいコスモロジーへの飛躍・転換を無視―拒否し続けるかぎり、これからもニヒリズムに基づく犯罪―悲劇は起こり続けるだろう、と警告せざるをえません。

 そしてさらに、「宇宙138億年の歴史が生み出したものとしての人間・個々人は、宇宙的に尊い。だから、死んではいけないし、殺してはいけないのだ」と筆者は考えており、読者から始まって社会の大多数の人に、そうしたコスモロジーをまず検討していただき、納得できたら共有していただき、それによって社会倫理を再建し、犯罪―悲劇をなくしてしまいたい、と強く願っています。

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7月東京特別講座のお知らせ

2019年06月08日 | 広報

*7月28日(日)特別講座「180分でコスモロジーセラピーを学ぶ」

 現代科学の宇宙論・コスモロジーを総合的に、しかも単なる知識としてでなく自分のこととして学ぶと、「すべては物」「死んだら終わり」「結局空しい」というニヒリズム的な思い込みがひっくり返り、「すべては宇宙エネルギー」「いのちは続いていく」「人生は意味体験のチャンス」と思えてきます。

 空虚感、孤独感、不安感、焦燥感、絶望感といったネガティブな感情は、状況によって誘発されはしても、実は根本的にはネガティブな宇宙観・コスモロジーから発生しているものです。

 ネガティブからポジティブへ、科学的根拠によってコスモロジーの根本的転換を促し、ニヒリズムに脅かされている現代人の心を根っ子から癒すセラピーを体験してみてください。

▼講師:研究所主幹・岡野守也
▼テキスト:随時配布。
▼時間:13時―17時▼会場:東京マインドルフルネスセンター(赤坂3
―9―18 BIC赤坂ビル8F)
▼参加費:一般=7千円、会員=6千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=4千円、学生=1千円(原則振込)


○受講申込方法
 氏名、住所、性別、連絡用の電話番号、メールアドレスを明記して、研究所あて
 FAX087‐899‐8178、またはメール okano*smgrh.gr.jp(*を@に換えてください) へ
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7月〜12月の講座予定のお知らせ

2019年06月08日 | 広報

【東京】土曜講座「唯識心理学を学ぶ―煩悩・ストレスとその緩和」

 大好評だった5月の特別講座に続く唯識心理学の第二ステップ。
 今回は、煩悩―悩み―ストレスの分類、分析、原因の解明、緩和・解消の方法について、具体的にわかりやすく日々の生活に役立つようにお話しします。

 併せて、気軽にできストレス緩和にとても効果のある瞑想法もお伝えします。

 イントロダクションの講義から入りますので、初心の方も参加していただけます。

 7月27日 9月28日 11月30日 3回

▼講師:研究所主幹・岡野守也
▼テキスト:随時配布。
▼時間:13時―17時
▼会場:フォーラムミカサ・エコ(JR神田駅西口4分、内神田1―18―12 内神田東誠ビル8F)
▼参加費:一般=2万1千円、会員=1万8千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=1万2千円、学生3千円(原則振込)


【東京】日曜講座「良寛の詩と坐禅によるやすらぎの時間②」

 時代・社会がどうであれ、心のあり方次第で、安らかな時間を持つことは可能です。

 いつものどかだったわけではない江戸末期、みごとに心安らかにのどかに生きた良寛さまの遺した詩歌を味わい、その心境のベースである坐禅を私たちも行うことで、確かなやすらぎの時間が得られるでしょう。

 9月29日 12月1日  2回

▼講師:研究所主幹
▼テキスト:随時配布。
▼時間:13時―17時
▼会場:東京マインドルフルネスセンター(赤坂3―9―18 BIC赤坂ビル8F)
▼参加費:一般=1万4千円、会員=1万2千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=8千円、学生=2千円(原則振込)



【高松】日曜講座「心の支えを確立する―コスモロジーセラピー」(途中参加可)


 コスモロジーセラピーは、他にはない理論と方法で心の支えをしっかりと確立することが可能です。体験してみませんか。

▼講師:研究所主幹
▼テキスト:随時配布。
▼時間:13時半―16時半
▼参加費(一回):一般3千5百円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方2千5百円、学生千円(原則振込)
▼会場:サンポートホール6月2日63会議室6月30日53会議室

 6月30日(残り1回)


【高松】水曜講座「『正法眼蔵』とやさしい瞑想によるやすらぎの時間②」(途中参加可)

 前期に続き、『正法眼蔵』の言葉を学び味わい、やさしいイス瞑想をすることで、悩みの多い日常をいったん離れ、深いやすらぎを感じる時間を持ちたいと思います。

▼講師:研究所主幹
▼テキスト:随時配布。
▼時間:19時半―21時
▼参加費(一回):一般2千5百円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方2千円、学生千円(原則振込)
▼会場:サンポートホール52会議室

 6月19日(残り1回)


○受講申込方法(各講座共通):
氏名、住所、性別、連絡用の電話番号、メールアドレスを明記して、研究所あて
FAX087‐899‐8178、またはメールokano@smgrh.gr.jp へ


*高松講座、7月以降の日程は以下の通り。

日曜講座(コスモロジー心理学、唯識心理学の学びを続けます)

 7月14日 8月25日 9月22日 10月20日 11月17日 12月15日

水曜講座(しばらく道元の学びを続けます)

 7月3日 8月7日 9月1日 10月16日 11月20日 12月18日

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