なぜ、中枢で仕事をしないのか?:Q&A2012-2

2012年08月31日 | 持続可能な社会

 H大学社会学部1年男子

 私は今回、このレポートを書きながら、2章、3章のところどころで出てくる「ワーク」を実際に考えながらやっていました。

 特に印象に残ったものは「みんなを親戚だと思って見るワーク」です。

 そうやって普段は関わりのない人でも親戚だと思って見ていると、何か不思議な感覚におそわれました。

 その人の行動が他人事でないように思われ、大きなつながりを感じました。

 それが宇宙の大きさで人間を考える、コスモロジーなのでしょうか。

 また先生がなぜ、政界や、もっと日本の中枢でお仕事をなさらないのか、勝手ながらですが考えてしまいました。

 岡野先生の世界観が世の人々に広まると、少しでも貧困や戦争をなくすことができるのではないのでしょうか?

 良ければ解答を聞きしたいです。



 現代科学の5つの主要な学説をシステマティックに理解すると、宇宙のすべては一体、すべての生命は親戚、人類はもちろん1つの家族だという、近代主義的な常識からするとまったく驚くべきコスモロジーが導き出されることは、繰り返しお話ししてきたとおりです。

 そのコスモロジーを頭で理解するだけではなく、ハートで実感できるようになるための技法を「ワーク」と呼んでいます。

 H大学では最近、学生数が多すぎて、ほとんどワークをすることはできませんが――ここまで多くなかった初期には300人くらいを引き連れて野外ワークをしたこともあったのですが――上記の学生は、テキストに書いてあるワークを自分でやってみて、これまで他人だと思っていた直接関わりのない人にも大きなつながりを感じたわけです。

 そこから、「岡野先生の世界観が世の人々に広まると、少しでも貧困や戦争をなくすことができるのではないのでしょうか?」と思ってくれたわけですが、少しだけ違うと思うのは、これは「岡野先生の世界観」という私個人の世界観ではないというポイントをつかんでもらってないな、ということです。

 アインシュタインを代表として、こうしたつながりコスモロジーに到達した現代の一流の科学者は少なくないと思われます。

 そして確かに、こういう世界観が世界の人々、特にリーダーたちに広まると、貧困や戦争の問題はほとんどなくすことができるだろう、とシミュレーションできます。

 「また先生がなぜ、政界や、もっと日本の中枢でお仕事をなさらないのか、勝手ながらですが考えてしまいました」という質問ですが、これも、そう言ってくれる気持はうれしいのですが、民主主義の基本が十分理解されてないところからくるものだと思います。

 現状の日本の中枢は近代主義のばらばらコスモロジーのパラダイムで仕事をしているので、私を起用-参加させる可能性はほとんどないでしょう。

 中枢を担う人のパラダイムがつながりコスモロジーに大転換する必要があるのです。

 そして、何を主要なコスモロジーとし、誰を日本の中枢で仕事させるかを決めるのは、総体としての日本国民です。

 それが、「民主主義」社会というものです。

 私は長年、少なくとも日本の思想的なオピニオン・リーダーに選ばれるべく、発言を続けてきたのですが、残念ながら、国民・市民・読者のみなさんから、日本文化の中枢に押し上げていただくほどの圧倒的な支持を得ることができていません。実に残念です。

 みなさんの手で、言論界の中枢に押し上げてほしい、と今でも私は本気で願っているのですが(それが今回の自主キャンペーンの究極目標でもあります)。

 そして、その言論に影響を受けて、それを自分のものにした、政治家になる資質のある若い世代に、日本の中枢で仕事をしてほしいと願っています。

 これまた残念ながら、私には政治家になる資質(強靭な体力と特に厖大な人間関係・コネを作る能力)が欠けているようです。

 H大学社会学部で教えてきて今年で12年になりますが、その間、「先生、がんばってください」「応援しています」という声はかなりもらったのですが、「先生、一緒にやらせてください」とか「先生、私がやります」という声が少なかったのも、民主主義が成熟していないからだな、と思ってきました。

 私ががんばるのではなく、みんなでがんばるのでなければ、民主主義にはなりません。

 その「みんな」の一人に私もなるというのを、「参加」「連帯」といいます。

 民主主義は、ただ制度であるだけでなく、民衆の「参加」「連帯」によって実効性のあるものになるのです。

 参加と連帯のない民主主義は、ほとんど役に立たない抜け殻にすぎません。

 そして今の日本の民主主義は、かなり抜け殻になっているのではないでしょうか(それでもないよりははるかにましではありますが)。

 それでも今年度は、例年よりも「伝えたい」「伝えるべきだ」「私たちがやるべきだ」という声が多いので、若干期待をしているところです。

 上記の学生にも、後期後半の「十七条憲法」と緑の福祉国家の話のところまで聞いて、「私がやります!」という気持になってほしい、そしてそういう学生たちの「私たちがやります!」という声を聞きたいなと願っています。

 きみたち自身の未来のために、連帯して行動せよ! 民主主義国家日本の若者たち!

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ホリスティック医学シンポジウムのお知らせ

2012年08月30日 | 広報

 秋にホリスティック医学協会の25周年のシンポジウムがあり、講演をさせていただくことになりました。

 会長、副会長の両先生と親しいので、気楽にお引き受けしましたが、考えてみるととても名誉なことで、身の引き締まる思いとともに感謝しています。

 ホリスティック医学とは、簡単に言えば、人間の体と心と魂の全体の癒しを目指す、現代人にもっとも必要とされる医学だ、と言っていいでしょう。

 他の先生方の講演はもちろんとても興味深いはずですし、私の話は、いつものコスモロジーの話といえばいつもの話なのですが、タイトルの「私が宇宙に生まれてきた理由(わけ)」にテーマを絞って、少しバージョン・アップもして話す予定ですので、興味のある方は、どうぞお出かけ下さい。







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コスモロジー授業へのQ&A 2012-1

2012年08月29日 | 仏教・宗教

 あまりに多人数の授業で質問がしにくいらしく、いつでも質問を受けると言っているのですが、授業中も授業後も、質問にくる学生はあまりいません。

 レポートの感想文の中に質問を書いてくる学生はある程度いるのですが、膨大な数なので、読みはじめてすぐに気づいたもの以外、読んでいるうちに学期が終わってしまって、直接答える機会がありません。

 そこで、いくつかの重要な質問には、ブログで答えることにしています。

 たぶん同じような疑問を感じる方も少なくないと思うので、参考になると思いますし、何よりも質問してくれた当の学生が読んでいるといいと思うからです。



 H大学社会学部1年男子

 前期の授業を振り返ってみると4月・5月は少し先生の話をう呑みにしていた私がいたと思います。

 それが悪いことか良いことかというのではなく、自分の頭で考えていなかったことが少し恥ずかしいです。

 ですが、ここまでの先生の話は、特に宇宙と私が一体という話に入ってから、自分の頭で考えても納得のいくものだったと思います。

 ただ最近のニュースや事件から、私はいくつかの疑問が出たので、質問させていただきます。

 まず第一に、自発的でなく世界に絶望した人は、このコスモロジーの話を聞いて救われるでしょうか?

 うつ病や生きることのたいへんさから死にたいと病む人にはある程度ためになる話だったと思うのですが、例えばいじめにあって生きることが苦しくなった人に、宇宙は自分自分と一体だ、この命には137億年の重みがあると言って、その人の心は、精神はいやされるのでしょうか?

 先生の話はちんと根拠があって筋も通っていると思います。

 ですが、その壮大さゆえになかなか頭で理解はできても心のどこかでは信じきれず、現実にそうは思えなくなってしまうということがあります。

 つぎに、宗教が心の支えとなるコスモロジーたりうるのであれば、どうして日本人よりはるかに信仰心のあるヨーロッパや中東で争いが絶えず、治安も悪くなるのでしょうか。

 しかもキリスト教の歴史を考えると(私の知る限りでは)、ないほうがマシなのではないかと思うのです。

 前期、大変自分の考え方を見つめなおす機会をいただきありがとうございました。



 私は、授業のプロセスで繰り返し、「僕の話を鵜呑みにしてはダメだよ。自分で調べて、自分で考えて、合意するかどうかを決めるように。もちろん僕は合意してほしいんだけど、強制するつもりはありません。思想の自由を重んじているのでね。でも、とてもいいと自分では思っているので、強くお勧めしたいだけです」とコメントします。

 しかし、自分で考えることをあまり訓練されてきておらず、かつ素直な学生は、けっこう鵜呑みをしてしまうこともあるようです。

 上の学生は、自分で考えた上で納得し、さらに質問も出してくれていて、こういう学び方をしてくれるととてもいいなと思います。

 さて、その第一の質問の答えですが、これは他の学生たちの感想がそうとうに答えになっていると思います。

 確かに始めの頃は「話のスケールが大きすぎて、ついていけない」と感じたにもかかわらず、徐々に理解と実感が進むというケースも、どこかのポイントでスッと頭に入るようになるというケースも、最後までついてこれないままというケースもあります。

 しかし、苦しい状況にある時に、心の支えになったり癒しになったりするというケースがあることも確かです。

 ですから、効果があるかどうかは当人の準備状態(レディネス)によってケースバイケースというほかありません。

 けれども私の経験では、その時はピンと来なくても、後になってふと思い出して役に立つこともあるようですから、どんな状況にある人にもともかく聞いておいてもらっていいのではないかと思っています。

 第2の質問は、これまでもほぼ同じような質問が度々あり、「宗教同士なのになぜ戦争をするのか?」という記事で答えましたので、そちらを参照してください。

 またより詳しくは、拙著『コスモロジーの創造』(法蔵館)の「〈宗教〉に未来はない」(15-37頁)を参照してください。




コスモロジーの創造―禅・唯識・トランス・パーソナル
クリエーター情報なし
法蔵館

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認識のパラダイム-コスモロジーの転換

2012年08月27日 | コスモロジー

 前回の記事で、パラダイムの転換の話をしました。

 それに関わる学生の感想を3つほど紹介したいと思います。

 まず第1は、近代的な主客分離のパラダイムのまま、まさに私とは分離した「他人事」として「生命の科学」を学んでいた学生のエピソードです。



 H大学社会学部1年男子

 実は自分は「生命の科学」という授業を履修していて宇宙の誕生から生物・生命の進化を学びましたが、その時はただ「宇宙ってすごいんだなぁ」と他人事に思うだけであまり感動はありませんでした(その時はコスモロジーの授業もまだ前半でした)。

 しかし他の先生の授業内の「宇宙と生命、わたしの誕生」は宇宙誕生時や星の死によって生み出された、水素をはじめとするあらゆる元素が私たち(植物や動物など万物を含みます)を形作っていること、生命の長い時間をかけたゆっくりとした歩みの結果が今の自分であること、そして何より全てはひとつの巨大なエネルギーから始まったことにはいたく心が揺さぶられ、世界が開ける感覚がしました。

 学校から家へ帰る途中で授業で学んだことを思い出し、ふと立ち止まって、ひらひら舞う蝶や道端に咲く花、楽しそうなスズメたちを見ていると、「君たちも自分と同じ宇宙のひとかけらなんだなぁ」と思うとなんだか嬉しくなってウキウキしてきます。

 以前よりも自分を取り巻く環境に目を向けるようになり、自然を愛する気持ちがわいてきたように思います。

 前期の授業が終わってしまうのは残念ですが、もし落ち込んだ時にはゆっくりテキストを読み返してみて、「自分には、いやすべてのものには宇宙的な価値がある!」ことを思い出したいです。



 自然が自分と分離した他人事ではなく自分と一体なのだという気づきは、まさに認識のパラダイム転換であり、それは実感的には「世界が開ける感覚」だったわけです。

 ある意味で全く同じ世界が認識のパラダイムによってまるで違って見えるのは、当たり前と言えば当たり前、不思議といえば不思議です。



 H大学社会学部1年女子

 「私たちの命には137億年の歴史が込められている」という話は本当に納得と言う外言い表せないくらい、すばらしい発見であり、岡野先生の気付きにとても感動しました。

 私たち人類は一つの家族であると考えれば、自然と隣人を愛するようになるし、殺人もなくなるだろうと思います。

 それに自分の利益だけを追求したり生きる意味が分からなくなるということは無いと思いました。

 もう少し早く先生の授業を受けたかったと思いました。

 この授業は他のどの先生でも出来ない授業であると思うし、新しい気付きがたくさんあって、これからの人生で価値があることをたくさん学べました。

 先生のおかげで人生観が大きく変わり、物事を前向きに考えられるようになりました。

 後期も先生のすばらしい授業を心待ちにしています。

 前期ありがとうございました。



 上の女子学生は、「この授業は他のどの先生でも出来ない授業であると思う」と評価してくれていて、もちろんある意味嬉しいのですが、他の先生方がこういう授業をしない・できないのは能力の問題ではなくパラダイム-コスモロジーの問題であり、私が個人的に優れているということとは別のことなので、ぬか喜びはしていません。

 これまでもずいぶんたくさんの学生から「もう少し早く先生の授業を受けたかった」という感想をもらいました。

日本でパラダイムの転換が起こり、他のどの先生もこうした授業が出来るようになって、学生・生徒たちがごく普通にちょうどいい時期に決してニヒリズムに陥ることがないようなコスモロジーを学べるような教育環境ができていないことに強い残念感を持っています。

 しかし幸いな例外として、次のような学生もいます。

 彼女は両親の影響と自分自身の優れた感性のおかげで、たまたま歴史と地学から学んだことを自分と関わりのあること・つながっていることだと感じてきたのです。

 そしてコスモロジー教育の授業を受けることによって、自分が感じてきたことがそれでよかったのだという確信を得たのだと思われます。



 H大学社会学部1年女子

 自分は幼いころから歴史と地学に強い興味を抱いていた。

 幼少期の愛読書が歴史図鑑と地学の絵本であり、大学入試ではいくつかの史学科を併願し、高校時代は地学部に所属していたほどである。

 社会科教員の母と理科教員の父の影響もあるのだろうが、気づいたころにはこの二つにひかれていた。

 幼心にその壮大さにひかれていたのは何となくわかってはいたが、第3章を読んで確信した。

 「自分もその中の一部である」という感覚と、そこに安心感があったためである。

 鉄筋コンクリートの建物が林立する日本も掘立住居に人々が住んでいた日本も同じ日本であり、現代もその流れの一部にある。

 そこら中に人間が闊歩する地球もかつてはマグマの海であり、現在も地殻変動などで地球は変化の最中にある。

 それを初めて知ったときの、幼少期の感動が忘れられない。

 目の前にただ存在するように見える物も社会も自分も壮大な宇宙の流れの一部なのである。

 よく自分の性格を周囲から「脳天気」と言われる。

 どことなくマイナスのイメージも含む経営をのされ方だが、振り返ってみるとニヒリズムともエゴイズムとも快楽主義ともかけ離れた考え方で人生の重要な局面を乗り切ってきた。

 もしかしたら、誰もが履修する歴史と、なかなか履修機会がない地学に、自らと宇宙の一体性に気づく手がかりがあるのかもしれない。

 現代社会の苦しみを克服するチャンスに、誰もが学生時代に遭遇しているのではないだろうか。



 ただ彼女も、「現代社会の苦しみを克服するチャンスに、誰もが学生時代に遭遇しているのではないだろうか」と書いているところから見ると、問題のポイントが認識のパラダイム-コスモロジーにあることには十分気づいていないようです。

 昨日の例と今日の例からわかるように、どの分野であればらばらの知識を主客分離的アプローチで教えられ-学ぶだけでは、自分が宇宙の一部であるという気づきや感動や安心感を得ることはきわめて困難です。

 知識を自分のこととして理解し感じられるかどうかが問題なのでず。

 そういう意味では、残念ながら誰もが学生時代にチャンスに遭遇しているとは思えません。

 教育関係者の方々の心の中で、1日も早く、子どもたちのために認識のパラダイム-コスモロジーの大転換が起こってほしいものです。

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ばらばらからつながりへのパラダイム転換

2012年08月26日 | コスモロジー

 昨日、サングラハ教育・心理学研究所の藤沢ミーティング・ルームの片づけをしていて、手伝ってくださっている方たちと紹介中の大学生たちの感想文の話になり、「今までのは全部今学期の感想文なんですよね?」という質問がありました。

 もちろんそのとおりで、このたくさんの感想すべて今学期だけのものです。

 そしてこれだけでなく、数えてはいないのですが、おそらく200通以上、みなさんに紹介したような感想文がまだ残っています。

 その他、しっかり長く書かれたA評価の内容のまとめの後に、「感想を書くスペースがありませんが、ともかく大感動でした」「目からウロコでした」などの短い言葉が書いてあるものは、さらに数百通です。

 毎年のことなのですが、その度に私自身、こんなにもたくさんの若者たちにこんなにも豊かな感受性と理解力があることにうれしさと驚きを感じています。



 H大学社会学部1年女子

 現代科学において「私たちは宇宙の一部なのである」という考えが最初、さっぱりわかりませんでした。

 私は今、物理学の授業を取っています。

 宇宙は一三七億年前にビッグバンで誕生し、星が生まれ、銀河が生まれ、銀河団となり…と宇宙の誕生も学びました。

 しかしそのときは星も地球の太陽も全部ばらばらなもので、一つの宇宙から誕生した祖先が同じものだなんて考えもしませんでした。

 しかし、この本を読みよく考えてみると、ビッグバンによる宇宙の誕生から今日まで何か1つでも違うふうに出来事が起こっていたら私たちは存在しないんだな、ととても納得しました。

 とすると、確かに私たちは宇宙の一部であるということに気づかされました。

 この壮大な宇宙に存在しているものすべてが同じ祖先を持っていて、そのすべてが宇宙の一部なのである、ということは素晴らしい事実であり、その事実に気づけたことに興奮を覚えました。

 「私」という人間は、この地球上に存在しているただの生物なのではなく、宇宙の一部として存在している。

 そもそもビッグバンがなければ私は存在していないし、私が存在していなければ、もちろん私の子孫も存在しません。

 以前の私であれば、私が子孫を残さずに死んだとしても何の影響もないだろうと思っていました。

 しかし、私が今存在している理由のように、私が子孫を残すことによって将来に大きな影響もたらすことになるかもしれません。

 なので、私は宇宙の一部であり壮大な宇宙の歴史の中に存在しているということしっかりと自覚し、その中で授かったこの命を自分勝手に好きなようにしていくのではなく、大切にしなくてはいけないと思いました。

 また、この本を読んで私が気づいたように、「人間も宇宙の一部である」という素晴らしい事実を後世にも伝え気づかせることが私たちの、これからの人類の課題であると思いました。



 賢明な(別の言葉でいえば理屈にうるさい)、読者は既にお気づきの通り、コスモス・セラピーで語られる「現代科学のコスモロジー」には「筆者の理解する現代科学のコスモロジー」という面があって、必ずしも現代の科学を専門としているという意味での科学者の全員ないし圧倒的多数が合意している世界観とは言い切れない面もあります。

 ですから、大学の教養課程で「物理学」「宇宙論」などを学んでも、担当教員が全員「宇宙と私たちは一体である」などと言われるわけではありません。

 むしろ、そういうことを言わない科学の専門家が多いのかもしれません。

 なぜそういうことが起こるか、私の推測では、今科学は非常に細かい専門分野に分かれてしまっていて、特定専門分野での科学者であるということは必ずしも20世紀初頭から21世紀初頭にかけての科学の全体像を一貫した論理で理解しているということになっていないからではないかと思われます。

 つまりヘッケル以降100年余りのエコロジーの積み重ね、アインシュタインの相対性理論やガモフのビッグバン仮設が世界観としてもつ意味、ワトソンとクリックの遺伝子の二重らせん構造発見以降の遺伝子研究の積み重ねが持つ生命観としての意味、プリゴジーヌの散逸構造理論が物質論および宇宙論として持つ意味などを一貫した体系的なコスモロジーとして理解している「科学の専門家」ばかりではないということです。

 ですから、この学生が受けている「物理学」の先生も、もちろん現代の宇宙論の専門知識は十分にお持ちであり、それを学生に伝えているのでしょうが、アインシュタインの相対性理論が正しいとすれば「宇宙のすべては1つの宇宙エネルギーである」ことになるというポイントとか、ビッグバン仮説が正しいとすれば「宇宙は最初たった1つのエネルギーの塊だった」つまり「すべては一体だった」というポイントなどはまったく伝えていないか、あるいはほとんど強調点を置かないでごく軽く伝えたかのどちらかでしょう。

 ここが微妙なポイントなのですが、現代科学が宇宙について明らかにした個々ばらばらの知識を主客分離的に――つまり自分には直接関係ないこととして――伝えることは、現代科学が全体として描き出した宇宙像・コスモロジーを伝えることにはならないのです。

 かつてある高校で講演をしたあとで、物理の先生から「今日の話には何も新しいことはなかった。そういうことは全部知っているし、全部生徒に伝えている」という感想をいただいたことがありました。

 私はかなり感情的な反応だと判断したので、不毛な摩擦を避けるために「それは、大事なお時間を無駄な話で費していただいて申し訳ありませんでした。私としては、御校からこういう話でというご依頼をいただいたのでお話をしたまでなのですが」とかわしておきました。

 ポイントは個々の知識よりも、それら全体が「つながっている・1つである」という宇宙観=コスモロジーにあり、その先生がもともとそういう話を生徒にしておられたとは思えませんでしたし、もししておられたとしたら、「私も日頃そういう話をしてるんですよ。同じ考えの方がいて嬉しいですね」とでもいった反応してくださったのではないかと思うのですが。

 現代科学の分野別の個々別々ばらばらの知識をよく知っていても、基本的な認識のパラダイム(枠組み)は近代科学の主客分離-分析主義のままであるという専門家の方にはしばしばお会いします。

 それで、私がその方の専門知識に関してつながりコスモロジー的な解釈をお伝えし、正しいかどうかと伺うと、「なるほど! そういうことになりますね」というきわめて謙虚かつ理性的(つまり科学的)で妥当な反応してくださる方もあれば、ムッとした顔をして内心は「素人のくせに生意気な」と思っておられるのではないかなという反応をされる方もあります。

 現状の日本社会全体のパラダイムが近代的なばらばらコスモロジーである以上、つながりコスモロジーを伝えようとした場合のさまざまな抵抗はこれからもたびたびあるだろうと覚悟をしています

 その点、アイデンティティがまだ固まっていない若い世代の方が新しいパラダイムを受け入れやすいのは当然といえば当然です。

 上の女子学生の場合、「この本を読みよく考えてみると、ビッグバンによる宇宙の誕生から今日まで何か1つでも違うふうに出来事が起こっていたら私たちは存在しないんだな、ととても納得し」、「事実に気づけたことに興奮を覚え」、「命を自分勝手に好きなようにしていくのではなく、大切にしなくてはいけないと思いました」と、いわば「ばらばらコスモロシーからつながりコスモロジーへのパラダイム転換」を報告してくれています。

 コスモロジーのパラダイム転換は、当然のことながら人生観の転換や行動の変化をもたらします。

 下の男子学生は、そのことをきわめて典型的に表現してくれています。



 H大学経済学部4年男子

 「宇宙とつながった宇宙の一部である私」ということさえわかれば、ニヒリズムは錯覚であるということが理解できます。

 “宇宙が宇宙を見ている” とはなんてパワフルな言葉なんでしょう。

 すべては一つだし、すべてが自分と関係していることなんですね。

 そして、人を敵として見るのは、宇宙が宇宙を傷つけることになり、宇宙にそって生きていないことなので、それはつまり悪。

 そして宇宙が宇宙を助ける、宇宙にそって生きるのが善なのですね。

 先生から大切なことを学びました。

 ただ、先生から教わったことは知識です。

 知識を具体的な形で行動して上手に使ってことが大事だと思います。

 そうでなければ、どんなにすばらしい知識も雑学で終わってしまうからです。

 ではどうやって生きていけば良いのでしょうか?

 この質問に対する答えは「今、できることをやる」ということでした。

 例えば、大学にゴミが落ちていたら拾う。

 バスの座席を積極的にお年寄りの方に替わる。

 これらの行為は「宇宙の一部である“私”が同じ宇宙の一部である“あなた”を助ける」ということになる。

 そして、それが喜びになります。

 もう私はニヒリズムという幻想にはだまされません。

 そして仮にもし、そうなってしまっても、もう一度先生の本を読んで思い出したいと思います。

 ありがとうございました。



 「『宇宙とつながった宇宙の一部である私』ということさえわかれば、ニヒリズムは錯覚であるということが理解できます」とは、なんとシャープな理解の言葉でしょう。

 そして、「もう私はニヒリズムという幻想にはだまされません」の一言には、もう拍手!という感じです。

 つながりコスモロジーという視点から見れば当然、「ニヒリズムは錯覚・幻想である」ということになり、それはニヒリズムをベースにしていたエゴイズム・快楽主義的な行動のパターンをも変化させます。

 それはどう見ても「肯定的変化」だと私は思うのですが、読者はどう評価されるでしょうか。




コスモロジーの心理学 コスモス・セラピーの思想と実践
クリエーター情報なし
青土社







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コスモス・セラピーというメソッドの確立

2012年08月24日 | 心の教育

 これまでは、学生の感想だけを紹介してきましたが、授業やテキストをどういうふうに理解した結果そういう感想を持ったのかをわかっていただくために、ここで1つ女子学生の授業内容のまとめと感想を全文紹介したいと思います(読みやすくするための改行とごくわずか誤字などの訂正を加えています)。



 社会学部1年女子

 既存であった、人々の人生を支えていたコスモロシーの形態が崩壊した最初の段階は、近代化の推進である。

そしてこの近代主義も、様々な段階を踏み現在へと至ったのである。

 最初に、近代科学の確立があげられる。

 天動説が指定され地動説が主流となっていき、デカルトにより方法論が確立され、原子説・分子説・細胞説と近代化の基本が固められていった。

 そこでおのずと浮上するのは、「人間も原子でできている、物質にすぎない。」という説だ。

 そして続く近代化の流れは、ダーウィンによる進化論の確立に見られる。

 このことにより、従来の「人間は神の手によって作られた神の愛・対話の相手だ」という信仰は消し去られて人間も動物の一種なのだという事実が科学的根拠とともに証明された。

 この出来事は人々にダーウィニズムをもたらし、より激しい生存競争を伸張し、弱肉強食という考えを深く刻ませた。

 そして最終的な近代化の段階として、今まで実証されてきた理性・科学主義、物質還元主義、無神論、ヒューマニズム、進歩主義がひとまとまりなった、「近代主義」が主流となる。

 ニーチェの「神の死」がそれをよりいっそう深める。

 これらの流れを経て、今現在常識的な考えとなっている「近代主義」が確立されたのである。

 「近代主義」には大きなメリットがあり、もはや失うことのできない産物であるが、また同時に多くのデメリットも生んでしまった。

 その一つに、コスモロジーの崩壊があげられる。

 もはや人類は、失われたコスモロジーに代わる生きる拠所は見つけることができないのであろうか?

 答えは、否である。

 岡野先生が新たなコスモロジーの形を提案する。それは、「みんなつながっている」ということだ。

 それはまず、自分で作ったのではなく、「与えられた」いのちに感謝し、「無条件・無償で与えられた贈り物」だと認識し、現在生きているのも、「生かされている」からだ、という事実を知ることから始まる。

 ぼう大な数のご先祖さまがいて、自分がいる。

 当たり前の事実だが、皆意識せず見逃している事実である。

 そしてこのぼう大な数の先祖をたどれば、人類は皆どこかでつながりを持っている、ということが分かる。

 さらにさかのぼれば、いま吸っている空気からはじまり、その空気を生む植物、さらには動物、そして大地・地球、太陽、惑星、太陽系――つきつめれば、宇宙である。

 私たちは宇宙とつながっていて、それらすべて、どれか1つでも欠けていたら今私たちはいない。

 考えてみたら納得の事実である。

 このようなシンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる。

 宇宙137億年の歴史が込められた私たちの体は、まちがいなく価値あるものなのである。

 私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。

 シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。

 しかし衝撃的であり色濃い出来事だった。

 「宇宙とつながっている」「自分の命は先祖様たちの愛の結晶である」ということを知って少し心強くなった。

 そして「自殺」であるが、私はあんまり考えたことはないが、つらい時一瞬「もしも…」と想像してみたことがある。

 だが先生の「自殺はある種のエゴイズムである」という言葉で、自殺はしてはいけない、残される人のことも考えて生きなければいけない、という考えが確固たるものとして私の中にできあがった。

 これだけ人々が見逃している事実を、もう一度すくい上げて確認するというメソッドを確立した先生はやはり偉大であり、尊敬すべき恩師であるのだなと実感した。

 後期のご講義も楽しみにしています。



 彼女は、文章はややたどたどしいところもあるのですが、授業内容をきちんと理解した上で、コスモス・セラピーの基本的方法が「シンプルな事実の確認・気づきの積み重ねが、私たちのコスモロジーを根本から肯定的なものへと転換させる」ということであることをしっかり把握しています。

 そして、「私は先生の授業を受け、このシンプルな事実を確認した。シンプルではあるが、おそらく私の人生で初めてのことである。しかし衝撃的であり色濃い出来事だった」という自分の実感を述べています。

 そう実感したからこそ、「メソッドを確立した」という評価をしてくれたのでしょう。

 「わかってくれてありがとう」と言いたくなるような、とてもうれしい評価です。

 主客分離の近代主義が常識になっている社会の中では、シンプルな事実でありながらそれに気づくことができないような「空気」・文化的なムードが出来上がってしまっています。

 ですから、そういうムードの中で生活し、教育を受けてきた圧倒的多数の学生が、こうした気づきについて「私の人生で初めてのこと」といった感想を持つのは当然といえば当然です。

 しかし、その当然が多くの若者をニヒリズム・エゴイズム・快楽主義に陥らせてしまっているのですから、あまりにも残念な当然です。

 そういうはなはだ困った当然を変えるためのメソッドとしてコスモス・セラピーは、幸いなことにこの女子学生に対してもかなり有効だったようです。

 その実感を、「恩師」という言葉を使って表現してくれたのだと、少し面映いのですが受け止めました。


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みんな星の子・宇宙の子

2012年08月23日 | 心の教育

 H大学社会学部1年男子

 この考えをはじめて聞いたときは、とてもぶっ飛んだことを仰っているなと思いましたが、宇宙の歩みのプロセスを辿っていくとなるほど。

 自分の存在は奇跡的であり、もしかしたら必然的であり、宇宙の一部として恥のないように自分の役割をまっとうしていきたいと思いました。

 人生をまっとうし、たとえ死んだとしても、身体はまた微生物たちによって分解され、還元されていくので、ずっとこの宇宙の中に自分が生きつづけ、巡回しつづけるんだと思うと胸が熱くなりました。

 講義を通じて、私の世界観は大きく変わり、4月とは違う世界が今、目の前に広がっています。

 とても新鮮で生きていくのがとても楽しい世界です。



 かつてトランスパーソナル心理学の日本への導入に力を入れ、朝日カルチャーセンターなどでレクチャーをしていた頃、聴講者から「トランスパーソナル心理学って、頭がトランスしてパーになる心理学かと思っていたんですが、ちょっと違うんですね」と言われたことがあり、思わず笑ってしまいました。

 確かに、「宇宙と私は一体」などと事実や理論を説明する手順抜きで言ったら、まさに「ぶっ飛んでいる」と言われても当然でしょう。

 また実際、日米共に「トランスパーソナル」を自称する人の中には理論抜きにぶっ飛んでしまっている方もいますので、そういう方たちとは少し一線を画したいと思うようになり、現代科学の標準理論をベースにしたコスモス・セラピーや仏教の深層心理学・唯識などを語ることに重心を移してきました。

 それでも、上の学生のように手順を踏む前には「ぶっ飛んでいる」という印象を持たれることもしばしばあります。

 それだけ近代における人間と大自然=宇宙との分離感はあまりにも一般化しているということなのでしょう。

 しかし手順を踏んで伝えると、「なるほど」という納得に至ります。

 下の学生も、最初は「この先端技術産業などが発達してる時代に…」と感じたようですが、やがてちゃんとわかり、すごく感動したと報告してくれています。



 H大学社会学部1年女子

 この先端技術産業などが発達している時代に、自分たち人間が「星の子である」などとまじめに大学の講義で言われるとは思っていなかった。

 そしてそれを言っているのが今の世の中をつくったともいえる科学者だとは思わなかった。

 始めに先生が言い出したときに、あまりにもスケールの大きい話でよく分からなかったけれど、ちゃんと自分がもともとは夜空に輝く星からできているのだと分かったとき、すごく感動した。

 ただの物語が実話になったみたいだった。

 もちろん生物がすべて共通の祖先をもつ家族なのだと知った時も感動したけど、それ以上に自分が星の子であるというのは感動した。

 人間は勉強して頭を良くして、良い大学に行って、就職してしっかりお金を稼いで、結婚して家族を作って、子どもを産んで、子どもを育てて社会に送り出して…と世間の人々に認められるような人生を送らないと価値がある人間として認められないのだろうなと思っていたし、そうならなければ本当にまだこの世に生まれただけで自分になんて価値がないのだろうなと思っていたけど、自分が星の子なのだと思うだけで自分は価値ある存在なのだと思える気がした。

 だからこそもっと自分を高めていかなきゃならないとも思えた。

 前期の授業を終えて、一週間に一度しかないからあまり数多くない授業だったけれど、どの授業よりも新しく得るものが多かった授業だった。

 おかげで今までよりずっと有意義な夏休みが過ごせそうな気がする。

 後期の授業が楽しみだ。



 自主キャンペーンとして言えば、コスモス・セラピーにはいくつもの利点がありますが、その大きな一つは「人間には生まれてきただけで価値がある」「人生にはちゃんと生きていくだけの価値や理由や責任がある」ことをきわめて強い事実的・科学的根拠をあげて子どもに伝えることができるというところです。

 学生の感想に「ただの物語が実話になったみたいだった」とありましたが、実際、
根拠のない神話・物語によってでなく、事実と科学的根拠に裏づけられた実話で、「あなたの人生には無条件に絶対的・宇宙的価値がある」と語ってあげることができるようになったのです。
 
 言うまでもなく夏休みも生きることを許された有限な人生の時であり、こうしたことを自覚した若者たちは夏休み・人生の時を有意義に過ごすことができる・過ごさなければならないという気持ちになってくれるようです。

 そして、上の学生や下の学生のように、本来の学びというのは、単に社会的適応のためではなく、むしろよりよく生きるための学びであり、そういう学びはとても楽しいのだ、という実感を持つようになります。



 H大学社会学部1年女子

 私は、先生の本を読み、授業を受け、ものの見方、考え方ががらりと変わり、私の人生そのものが、良い方向へと変わったのではないかと感じるようになった。

 毎回、授業を受け感動し、これから後期の授業もとても楽しみである。

 前期、私がこんなに生き方が変わった、感動したと思えたので、後期は次はどんな感動、発見があるのかと思うと早く受けたいという気持ちがあり、今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった。

 ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義について深く考えることが今までなかったので、このようなことを考える機会ができたことも私にとってはプラス面だった。

 これからの授業も楽しみなので、がんばって受講していきたいです。



 毎年、「後期の授業が楽しみだ」というふうなことを書いてくれる学生がたくさんいますが、中でも上の学生のように「今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった」などとうれしいことを書いてくれると、私まで、「夏休みが早めに終わってもかまわない。授業を早く始めたい」という気分になってきます。

 かつて長年人気のあるシリーズの物語を書き続けてきたある児童文学作家が、「その話、次はどうなるの、次はどうなるの…」と子どもたちから次作を次々と期待されてきたのは、児童文学作家としてこの上ない幸せだった、と語っているのを読んだことがあります。

 私も教師として、ちょっとそういう気分にさせてもらっています。

 ただ、後期は仏教、聖徳太子「十七条憲法」、スウェーデン・緑の福祉国家というやや渋いテーマの話なので、前期ほど直接的に感動してもらえるかどうか、若干心配ではありますが、例年どおりであれば、また別の種類の発見-納得-感動というプロセスを体験してもらえることでしょう。

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私たちが生きるこの場所も宇宙、私たちも宇宙

2012年08月22日 | 心の教育

 近代のデカルト的な主客分離の認識方法に基づいた宇宙論・コスモロジーでは、当然、「主体・私はこちら、客体・宇宙はあちら」という宇宙認識をします。

 そうした近代的な宇宙の見方は恐ろしいほど世の中に蔓延していて、テレビの報道などで宇宙の話があるといつも、「(地球から)宇宙へ行く」「宇宙から帰ってくる」といった言葉が使われます。

 しかし、現代科学は私たちが宇宙の中に存在しており、宇宙の一部であることを、科学的に明らかにしていますし、よく考えれば事実としてもそういうほかありません。

 「私がこちら、宇宙はこちら」というものの見方は、近代科学の方法としては有効性があり、日常的な言い方としては問題ありませんが、事実としても現代科学的にも本質的にはまちがっているというほかありません。

 授業でそのことを指摘すると、学生たちははっと気づいてくれます。

 以下の2つの感想文は、そのことへの気づきと気づきから生きることへの責任感が生まれたことを報告してくれています。



 H大学社会学部1年男子

 前回、この本の第1章を読んで自分の中で人生観が少し変わったのですが、今回の範囲を読み終わった時、さらに大きな衝撃をうけました。

 まさか、この私がこの世界を生み出した宇宙の一部分であるということなど考えたこともなかったからです。

 それ以前に、私は先生もこの本で指摘されていたように、「宇宙とは地球の外側である」という誤った認識をしていました。

 初めて、私は宇宙の一部であるということに気づいて、私は何か言葉では言い表せないような大きな力を感じ、強い自信がわいてきました。

 それと同時に私は、この世界をつくった宇宙の一部なのだから次の進化のために立派に生きなければならないといった、強い責任感を感じました。

 これは、私が生まれるために、さまざまな種が一生懸命に進化してきてくれたということを知ったことも1つの原因になっていると思います。

 今まで、私はニヒリズム的・快楽主義的考え方をしており、なぜ私が存在するんだろうと本気で思っていました。

 しかし、この本を読んで私にはやらなければいけないことがたくさんあることが分かり、もう二度とこんな愚かな考え方をするのはやめようという考えに至ることができました。

 これからは、自分が宇宙の一部であるということを自覚しながら、立派に生きていきたいと思いました。



 H大学経済学部1年女子

 文中の引用部分で多くの科学者がいう、私たち皆が「天で作られた」「星のかけら」という言葉を聞いて、心が不思議なかんじがしたのと同時に、高校生の時のある校長先生の話を思い浮かべました。

 私の高校は一応県トップの進学校だったので、その校長は元教育委員長だったり、その後そういった地位につく人が多く、どこか堅くるしい感じがしていました。

 その中で異彩を放っていた校長先生が一人居らっしゃったのですが、その先生は頻繁に私たち生徒を「光のつぶつぶ」という表現をしていました。

 校長先生は演劇に通じていたようで、話すこともどこか小説っぽくて当時私は「またか…」くらいにしか話を聞いていなかったし、周りのみんなも「光のつぶつぶ」という言葉に笑いが起きていました。

 でも、今は私たち皆が無条件に大切な存在であるということを伝えたかったのだ、ということがよくわかりました。

 私たちの体を構成する成分が宇宙の歴史の初めに創発されたことから理論的にも私も皆も宇宙の歴史を担っていて、生命を受けついでいる。

 このことを知ると、私の“生” が本当に尊いものに思え、無性に両親に感謝したくなります。私をこの世に存在させてくれていることに。

 実際、恥ずかしくてそんなことはできないのですが、来年、私もとうとう20歳になります。成人します。この期に何か恩返しできたらと考えています。

 最近、テレビの「宇宙」という言葉に敏感になってきました。

 先日もある番組で「宇宙に個人的に行く」費用などについての特集をしていたのですが、私はその製作者に「今、まさに私たちが生きるこの場所も宇宙であり、私もあなたも宇宙です!!」と伝えたくなりました。

 やはり、少し前の私がそうだったように、多くの人が宇宙の認識に間違いがあるようです。

 このことに多くの人が気づけたら、人間同士の血なまぐさい争いなどを起こす気などわかないだろうし、政治家が原発で世の中が混乱する中、自分だけの身を守るために血まなこになっておろかに逃げまどうことなどなくなるだろうし、何より、自分の生命を、祖先の生命を、次の世代につなげたいと願うはずです。

 私は地球の創発は必然だったと思います。

 そして私が、何度読んでも感慨深く思うのが、地球の胎動期の話です。

 宇宙の自己組織化によって誕生した地球に、また多くの生命が生まれ、そして人間が生まれました。

 考えることができて、意志を持って行動することができ、伝達することのできる人間は宇宙の自己認識器官であるのなら、私たちの役割は何なのか。

 今の人間は明らかに、宇宙が望んだ世界とは異なるものを創ったのではないかと思います。

 もっと多くの人が本来の自分の存在を知って、自分の担う役割を努められればと思います。

 私はもっと自分の生に自信と感謝の気持ちを持ち、これから生きる人間として不足している知識、まず日本についてから学びたいと思いました。



 確かに、私たちは宇宙の中に宇宙の一部として生まれてきた以上、それにふさわしく生きる責任がある、と私も思っています。

 そういう思いを次世代の若者たちと共有できて、とても幸せな気分です。


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自殺を考えている人にかける言葉が見つかった!

2012年08月21日 | いのちの大切さ

 学生の感想・報告の紹介を続けます。

 ご紹介したい文章があまりにたくさんあって、どこで区切りをつけるか、かなり困惑していますが、とりあえずもうしばらく続けたいと思っています。



 H大学社会学部3年男子

 現代科学のコスモロジーが、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を克服していく過程は僕にとっては、いわばカタルシス状態であった。

 宇宙全体はひとつの宇宙エネルギーであるという考えは驚愕に値した。

 宇宙137億年という歴史が僕の体の中に秘められており、僕と宇宙は1つでつながっているという考えは、人の命には絶対的な価値や尊厳があるのだということ思い知らせることが可能であり、そのことによって人がニヒリズムやエゴイズム、快楽主義を克服していくことができると実感した。
 それは、実際に、僕個人として、体感として身をもって実感した。

 特に、ニヒリズムに陥っている考え方をもち、自殺したいと考えている人にたいして、僕がその人にどのような言葉をかけて、その自殺を思いとどまらせるのかという、具体的な言葉や文章が頭の中に今まではなかった。
 むしろただ単に、「頑張って」とか「君なら大丈夫だよ」とか「もう少し考えてみようよ」など、そのようないわば誰でも言えるような、短くて、根拠のない、自殺しようと思い悩んでいる人からすればなんの効果もない形式的、儀礼的な言葉しか思いついていなかった。

 しかし、この講義を通じて、その自殺しようとしている人にたいして投げかけるべき言葉が見つかった。それはこういう言葉である。

 「考えたことないだろうけど、君の祖先は10代遡ると1024人もいることになるんだよ。その人たちが本当に必死になって努力して、苦労して、愛情を次の世代に注いでくれたから、今の君がいるんだよ。その1024人の愛情の結晶が君なんだよ。もちろん、会ったことも、見たことも、聞いたこともない、けれども確実に君の祖先である多くの人が、今の生きてる君をつくったんだ。その君という人間がどうして死ぬことを考えるんだい。君には間違いなく生きていく価値があるし、生きていく意味があるよ。」と。

 実は、僕が高校2年生になったばかりの4月、同じクラスメートの弟が電車に飛び込んで自殺した。
 そのクラスメートの弟には、会ったこともないし、顔も知らなかったけれども、上の言葉を投げかけてあげるべきだったと後悔している。
 その弟本人に、直接言う機会がなかったとしても、僕がそのクラスメートと話をして、間接的にでも、その弟に、言葉を届けることができたかと思うと、とても残念で、後悔している。

 理由はもちろん、その弟は、生きる価値があったし、生きる意味があったからである。

 現代科学のコスモロジーを理解していくにつれて、僕という存在は、両親だけではなく、様々な人のおかげで生きているということも実感した。

 僕が小学6年生のときの話である。
 卒業式が無事終了し、卒業式が行われた体育館から教室に戻り、担任の先生の最後の話を聞くことになった。
 何を話すのかなとドキドキしていたところ、先生は好きな言葉について話し始めた。先生が好きな言葉は「お陰さまで…」という言葉であるとのことだった。
 当時の僕は、その話を聞いている時、ポカンとしていた。何のことを言っているのかイメージできなくて、理解できていなかったからだと思う。先生が最後の話に、わざわざ、その好きな言葉を話した理由も分らなかった。
 だが、今になって思うことは、先生が、「様々な人のお陰で生きていることを、今は分からなくても、いつかこの子たちが分かるようになったら、うれしいわ」と思い、だからこそ1番貴重で、大切な最後のお話で、このことを話されたに違いないということである。

 現代科学のコスモロジーが認知されて、日本に浸透していき、ニヒリズムやエゴイズム、快楽主義をもつ人々の数を減少させていき、その結果として、最終的には、様々な面において日本人が再び元気を取り戻すことができると確信している。

 また、この考え方は日本中にとどまらず、世界中で通用する思考法であるとも僕は考えている。



 コスモロジー教育のメッセージを伝えた場合、前回書いたように、当初不安や抵抗という反応があることも少なくありませんが、当人のレディネス(準備状態)が熟している場合にはきわめてスムーズに受け入れられることもあります。

 上記の学生の場合は、友人の弟という身近な存在が自殺したというきつい体験があったため、「自殺したいと考えている人を思いとどまらせることのできるような言葉をつかみたい」という切実な思い、つまり心理的な準備状態が熟していたのだと思われます。

 彼自身も、授業のプロセスを通じて自分の内部のニヒリズム、エゴイズム、快楽主義が克服されていく「カタルシス体験」を「実際に、僕個人として、体感として身をもって実感した」と報告してくれています。

 それだけに、かける言葉を見つけるのが間に合わなかったこと、本当に悔やまれることでしょう。私も本当に残念です。


 コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、繰り返して言っているとおり、いつでも・どこでも・誰にでも効果があるわけではありませんが、このケースのように顕著なカタルシス体験をもたらし、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を一掃してしまうこともしばしばありますし、実際、自殺を思いとどまらせる効果があったケースもあります。

 たとえ自殺を考えている人全員にでなくても、その中の何人かにでも効果があった・ありそうだとしたら、教育、心理療法・精神医学の現場で試してみていただく価値はあるのではないでしょうか。

 そういう意味で、ぜひ日本中で認知され浸透していってほしいものだと願っています。

 共感していただける方は、ぜひ広報・拡散にご協力ください。

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変化への不安や抵抗

2012年08月20日 | 心の教育

 人間はコスモロジーなしには生きられない生き物であり、そういう意味でコスモロジーは人間の根本的なアイデンティティだと言ってもいいでしょう。

 しかもそれは、幼児からの教育・環境・自分自身の解釈などによって埋め込まれてきた深層のアイデンティティですから、変化することにはしばしば不安や抵抗が伴います。

 かつて、かなり深刻な心理的問題を抱えていて本人自身悩んでいるにもかかわらず、変化のプロセスで「自分が自分でなくなるみたいな気がして、変わりたくない」と報告してくれた学生がいました。

 心の歪みや病いはしばしば当人の強固なアイデンティティにまで固着しており、だからこそたとえ肯定的変化であっても不安や抵抗が伴い、治癒が困難なのです。

 しかしその不安や抵抗が乗り越えられると、程度はさまざまですがパーソナリティの肯定的な変化が生まれます。

 以下のいくつかの感想は、そうした不安や抵抗が乗り越えられていくさまざまなパターンを示していて、とても興味深く参考になります。


 H大学社会学部1年女子

 先生の話を聞き、本を読むことで、私は、なんともいえない気持ちになった。

 言葉ではうまく表現できないが、声に出すと「うわあー」といった感じだ。

 これが、まさに世界観が変わるということなのかと思った。

 最初の授業で世界観が変わるの意味がよくわからず、これからどうなるのか不安と期待をもって前期の授業に参加した。

 私は、言葉で表現するのがとても苦手で「すごい」の一言しか、見つからない。

 私は今まで生きている意味がわからず、とまどっていた時もあった。

 だが、私は、宇宙と一体で周りのもの全て、すなわち宇宙によって生かされていて、私が生きているのには宇宙的な意味があるんだとわかった。

 この講義をうけて本当によかった。


 H大学社会学部1年男子

 「死んだらおしまい、だから今を楽しくしよう。けど結果、死んだらおしまいなのは変わらない。」

 このようなことを小学生から中学生の間、少しだが毎日のように考えていました。

 高校生になると、考えるのを(『コスモロジーの心理学』内にあったように)やめろと友人から言われ、今まで快楽主義のみを自分の生きている目的・原動力としていました。

 しかし快楽主義だけではもう持つことはできませんでした。

 当面の生きている目的が受験であったため、だましだましやっていましたが、入試が終わると自分に自信が持てなくなっていました。

 しかし現代科学のエッセンスを内包したこの考え方を知り、少しずつですが、ニヒリズム・エゴイズム・快楽主義からの脱出をすることができています。


 H大学社会学部1年男子

 自分は前回のレポートの感想に、「先生の授業を聞いていてもまだ自分の中には劇的な変化は起きていないし、これからも起きない気がする。起こせるものなら起こしてみろ」といった挑戦的な主旨の感想を書いたと思います。

 ですが、今回の第2、第3章を読んで、自分の価値観にとても大きな変化がありました。

 そのなかで特に新しい考え方であると思ったのが、宇宙の中で銀河などがまったく新しいものとして生まれたのではなく、宇宙の自己組織化の一環だということです。

 これは「コペルニクス的」と言ってもいいほどの発想の転換だと思います。

 貴重な体験をありがとうございました。後期もよろしくお願いします。


 H大学社会学部1年男子

 私は最初、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義がどういったものかの本質を理解しようとしなかった。

 なぜなら知ってなにが変わるのか、と思っていたからである。

 なので本書を読むのも抵抗があったが、読み進めていくうちになるほど! そういうことか! といった発見、納得があった。

 特に「人間は宇宙の自己認識器官だ」という考え方は今までになく本当にすばらしいと思った。

 このなんとも言えない心地よさを後輩にも味わってほしいと思う。

 素晴らしい世界観をありがとうございました。


 H大学社会学部1年男子

 この本を読み始めた当初は正直「人生観が変わるわけがない」と思っていました。

 でも本を読んでいくうちに少しずつですが自分の目の前に見える風景が変わってきたような気がします。

 電車に乗っている人も街で通りすがる人もみんなもともとは1つのエネルギーであり、いわば親せきのようなものだと考えるとなんだかほっとしてうれしくなります。

 私が純粋に感動したのは宇宙で最初に創発された原子である水素が137億年経った今の自分の体の多くの部分を構成しているということでした。

 私がこの部分を読んで思わず鳥肌が立ちました。

 自分には宇宙137億年の歴史が込められていると考えると本当に驚愕します。

 私がこの本に対する前回のレポート提出の際にもっと自分に自信を持ちたい、持てるような人になりたいと書きました。

 この本を読んでいてその解決の糸口をつかんだような気がします。

 後期の授業も楽しみです。


 生まれてからずっと20年近く教えこまれてきた深層のばらばらコスモロジーをつながりコスモロジーに完全に変換することは、必ずしも容易ではありません。

 彼ら彼女らが体験した変化をどう維持し深めていくか、彼ら彼女らにとっても私にとっても大きな課題です。

 始まるのはまだ少し先ですが、私も後期の授業を楽しみにしているところです。


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心のガンを取る薬

2012年08月19日 | 心の教育

 H大学経済学部2年男子

 ここからは感想ですが、我々の世代とは意図せず、ニヒリズムが染みついてしまっているのだと思います。

 自分のこれまでの頭の中にあったものがニヒリズムだとも知らずに生きてきたような感じがします。

 今回この本を読むことで少なからず、生きることへのイメージが変わった気がします。

 染みついたもの全て取り除くのは難しいが、それでもかわるきっかけはつかめたと思います。


 H、大学経済学部1年男子

 私は、レポートを書いていて、現代科学のコスモロジーは、ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義などの心に住みついたガンを取る薬のように思いました。

 私自身も教科書を読んでいて、心が洗われるのが実感できました。

 あと、先生の本は非常に読みやすく、すごく面白いんだなとすごく思いました。

 このレポートを書く前に日本の税金についてのレポートの本を読んでいたんですが、1時間で20ページも読めないでしかも分からなかったのに対して、先生の本は100ページくらい一気に読めて、しかも、心がスーッとした気持ちになったので、よりそう思いました。

 なので、夏休みに先生の他の本も読んでみたいと思っています。


 H大学経済学部1年男子

 僕ら人間は宇宙とつながっていて、どれ1つが欠けてしまっても生きていくことができない。

 窓の外に見える木が酸素を出し、それを僕ら人間が吸って生きている。

 そんな大切な木々は海から蒸発して出来た雲がもたらす雨によって、そして木々を支える地球という大地によって生かされている。

 地球だって元をたどれば、46億年前にできた宇宙の一部。

 全てはつながっている。僕も。かわいいあのこも。この紙も。

 今まで考えもしなかったことだけど、授業を受けていてなるほどと納得せざるを得ないぐらいにすっと頭に入っていった。

 21世紀の現代において、この考えを広めることはそんなに難しくないのではないかと思う。

 グローバル社会となり、インターネットに接続すればメール、ブログ、skype, twitter, facebook など様々なコミュニケーションツールがあり、これらを利用した考えの共有は実に有効な手段だと思う。

 ニーチェほどの天才がもがき苦しんだニヒリズムを、僕のような凡人が陥ることなく生きているのは、果たしてつきつめてないからなのか、それともこの宇宙とのつながりを簡単にではあるが感じることができたからなのか、実際よくわかりません。

 ただ、先生の授業を受けてこの宇宙とのつながりを考えるようになったことは間違いなく、非常にこの授業を選択してよかったなと思っています。

 先生の言っていたとおり、前期前半はちょっと暗い話がありましたが、後期から明るい話になるというので、さらに楽しみです。

 夏休みの中に4章、5章も読んでしまいたいと思います。



 H大学の授業タイトルは「現代社会と宗教」なのですが、実質的にはコスモロジー教育=コスモス・セラピーです。

 現代というよりは近代社会の標準的な思想は啓蒙主義的なヒューマニズムであり、物質還元主義的な科学主義であり、基本的には反宗教・無神論です。

 にもかかわらず、いわゆる先進国の社会からも宗教がまったく消えてしまう気配はありません。

 「それはなぜなのか。啓蒙が進んでいないからだ」というのが、かつて左翼大学と呼ばれたH大学の標準的な思想でもあるのでしょうが、私の考えはこのブログでも著者でも繰り返してきた通りやや異なっています。

 そして「思想の自由」を重んじる大学では、私のような考えも排除されることなく、自由な発言・講義が許されているのは幸いなことです。

 さて、私の考えでは、人間は言葉を使う動物であり、世界とは何か、人間とは何か、したがって人間は何をすべきなのか・何をしてはいけないのか等々を、言葉によって体系的に語っている「コスモロジー(世界観)」なしには生きられない存在です。

 そしてそのコスモロジーは、人間の人生に関する根本的な問い(ビッグ・クエスチョン)に答えてくれるものでなければなりません。

 例えば、人間は何のために生きているのか、なぜ自殺していはいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、死んだらどうなるのかなどなどの問いの答えが必要なのです。

 過去の宗教は、近代から見ると確かに神話的・理性以前ですが、人間のそうした根源的な問いに答えるための本質的な試みであり、その時代の人々には納得できる答えであり心の支えでありえたのです。

 ところが近代科学のコスモロジーは、コスモロジーでありながら、人間の生きる意味や死についてきわめてドライというかクールというかニヒルというか、実に否定的な答えしか出すことができません。

 つまり、近代科学をつきつめるとニヒリズムに陥らざるをえないのです。

 近代社会でも宗教が消滅しない最大の理由は、啓蒙つまり近代主義的な教育が足りないからというより、近代的な思想では人間の根源的な問いに肯定的な答えを与えることができないからだ、と考えてまちがいないでしょう。

 しかし、まだ素直な幼い頃からずっとそういう近代主義的なパラダイムのもとに教育を受けさせられて・受けてきた若者たちの心には、当然のことながら近代的な考えが染みつけられ、その結果、半ば無意識的なニヒリズムも染みついてしまうのです。

 私の授業を受け、テキストの『コスモロジーの心理学』を読んだ学生たちは、そのことに気づき、さらにそこからの脱出の手がかりやきっかけを得てくれます。

 そしてさらに、そういう現代科学のコスモロジーを広く同世代と共有したいという気持ちを持ってくれるようです。

 私としては、ぜひ、若い世代だけでなくすべての世代が、科学的であり、現代的であり、そして何より人生に対して肯定的な答えを示してくれるコスモロジーを広く共有できるようになってほしいと願わずにはいられません。

 学生の評価によれば、このコスモロジーは「〔ニヒリズムという〕心のガンを取る薬」なのですから。

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つながりの気づきと肯定的変化

2012年08月18日 | 心の教育

 コスモス・セラピーの方法の基礎は、自分と他のすべてのもののつながりという事実への気づきを促すことにあります(そういう方法論の点で、唯識、アドラー心理学、論理療法、認知療法などと根本的に共通するものがあります)。

 しかし、たとえつながりは事実であっても、残念ながらそれへの気づきはいつでも起こるとはかぎりません。 

 促される側の準備状態(レディネス、readiness ) が熟している必要があります。

 準備状態がない場合は、聞いたとしても、「ふーん…だからどうした」といった無視や反発といった反応が起こったりします。

 多人数を対象とした授業としてのコスモロジー教育の場合、受講生たちの準備状態はさまざまですから、当然ながら反応もさまざまです。

 そういう意味でもコスモロジー教育=コスモス・セラピーは、万人にいつでも有効ではなく、万能ではありません。

 しかし、準備状態が熟している対象には、ある種、劇的といってもいい気づきと変化をもたらすことがあります。

 下の女子学生は、授業内容のまとめは一切なしで、自分の気づきと変化を報告してくれました。

 まさにレポートではありますが、授業の評価としてはどうしたものかとやや困りました。しばし考えて、ともかく授業で伝えたかったことは受け取ってくれたのだから、と合格にしました。

 彼女の心の深いところで、「このままでは自分はダメだ。大人になれない。変わりたい、変わらなければ」という変化への準備状態が熟していたところへ、ちょうどタイミングよくメッセージが届いたのだと思われます。

 あえて、ここまで自分をさらけ出して報告してくれた彼女に心から感謝しています。

 きっと、他の「変わりたい、変わらなければ」と思っている人への非常にいいヒントになるでしょう。

 

 この数ヶ月で、私は少し変わったと思います。授業を受けている中で、「自分の存在価値」を考えさせられたためかと思われます。

 私の中で、最も印象に残っている言葉は、「物事に、つながっていない部分はない」という言葉です。一字一句違えずに覚えているわけではありません。しかし、先生の話の内容は、とても強く私の心中に響きました。

 先生は、カエルの話をして下さいました。今まで、一度も自分とカエルがつながっているだなんて考えたことが無かっただけに、「空気を共有している」というものの見方には驚かせられました。

 その話をお聞きしてから、私は何度も考えました。帰りの電車の中を見回し、周囲の人の顔を見ながら…あるいは、アルバイト中に会うお客さんの顔を見ながら…「今、私はここにいるすべての人たちと同じ空気で呼吸をしている。全ての人たちとつながっている。」

 そう考えると、なぜだかとても満たされた気持ちになりました。とても、不思議に思いました。今まで自分とは関係のない、他人と思っていた人にまで、なぜだか愛情にも近い感情が湧いてきたのです。

 きっかけは、その授業だったのだと思います。それから私は、今までよりほんの少しかもしれませんが、生きていることに感謝できるようになったと思います。

 恥じるべきことだと思いますが、私は以前、自分が大嫌いで、自傷行為を繰り返していた時期がありました。そんな大げさなものではありませんが、今も傷跡が残っている部分もあります。それは見て、こんなにも悔いたのは初めてでした。

 自分には親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて…何人もの人間の関わりの元に、私の命があるということを、当然のように考えていたのが、恥ずかしくなりました。

 どこか1人でもかけていたら、私は生まれていなかったのだと考えると、今、私がここに生きているのが奇跡のように思えてきました。親への感謝の気持ちも、持つことができるようになったと思います。

 数ヶ月前までの私は、週に何度も外泊をし、親に迷惑をかけていました。その上、「遊びすぎだ」と助言をしてくれる親に対し、「面倒」という感情さえ抱いていたのです。とても悔いています。

 今までは私と親との間には、距離が無さすぎて(悪い意味で)お互いの全体を見通すことが出来ていなかったように思います。

 授業という、家庭とは少し違った場で、このような話を聞いたのも、良かったと思います。先生という、いわゆる自分とあまり関わりがなかった人に話をして頂けたおかげで、落ちついて、素直に話を聞くことができたのだと思います。

 今は、親と私の間に、ちょうど良い距離があります。それは、先生のお話してくれたことから得た、考え方のクッションのようなものだと思います。そのクッションのおかげで、今は親の意見、考え方、私を心配してくれている気持ち等々、広い視野を持つことができました。今までは近すぎて見えていなかったものが、見えるようになりました。これは、私にとって大きな変化です。

 今は、外泊は月に一度程度になりました。親に許可を取っての外泊です。親からの助言も、(たまには頭に来ることも、もちろんありますが)素直に受け入れる努力をできるようにはなりました。また、その助言に対して感謝することもできるようになりました。

 私は今年、20歳になります。あと10年程の間に、おそらく仕事に就き、結婚もし、もしかしたら子どもを生むかもしれません。そうなったとき、私は何ができるのでしょうか。私は、社会に貢献のできる大人になれるのでしょうか。

 数ヶ月前の自分では、無理であったと思います。生きていることに感謝をできない人間が、新たな生命を育てたり、他人との関わりが大切な社会での仕事をこなしていくことができるだなんて思えません。本当に、今までの私はひどいものだったように思います。

 社会に出る前の段階で、この授業受講することができ、本当に良かったと思います。

 「自分は自分。他人とは関係ない。だから、何をしても良い。私に存在価値などない。」という考えも、だいぶ薄れました。

今は、私自身がこの時間を生きていることに感謝をし、また私も、後世に残る生命を生みたいと考えています。むしろ私の存在価値と、後世を残すことなのでは、とも思います。

 誰とも、何とも、つながらずに一人で生きていくことなどできないということを、授業で学びました。数時間前に食べたおにぎりだけでも、お米とつながり、お米を作っている人とつながり、サケとつながり、サケが育った川や海とつながり…と、最終的には宇宙へとつながっていくのだと思うと、その壮大さに驚きます。

 これからの生活の中でも、生命のつながりや、自分が存在していることのありがたさなど、考えていこうと思います。

 そして、そのすべての事象に感謝の気持ちを抱き続けていきたいです。



 あまりにも近すぎる関係の親に言われても聞けないことも、やや距離のある教師やセラピストから言われると聞きやすいということがあります。

 そういう意味で、「しつけは親の責任だ」「倫理感を育てる責任は家庭にある」といった言い方で、責任逃れをすることなく、教師やセラピストが生きていることの意味感や倫理感も含めて「子どもを育む」「子どもを癒す」という社会的役割・責任を果たすことが強く望まれていると思います。


 
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震災-津波体験を超えて

2012年08月17日 | 心の教育

 学生たちの貴重な報告を紹介することによって、コスモス・セラピー=コスモロジー教育の効果について、広い社会的な信用を勝ち取り、教育の現場さらには社会全体に活用してほしいという気持ちで、このブログによる自主キャンペーンを続けています。

 コメントなどで協力して下さっている皆さんに、心から感謝申し上げたいと思います。

 今回は、3・11の大震災-津波を目の当たりに体験した学生の感想・報告です。

 正直なところそうした深刻な体験をした人にコスモス・セラピーが有効かどうかは、これまで扱ったケースがほとんどなかったので、まったく見当が付いていませんでした(社会人で阪神淡路大震災の体験者がワークショップに参加されたことはありますが、残念ながら効果の追跡調査をすることはできませんでした)。

 もしかしたら、単なる綺麗事、無責任な気休めのように聞こえるかもしれないという危惧はありましたが、600人を超す学生の一人なので、特別な配慮をすることはできませんでしたから、「どんな状況にある人に対しても、ともかく直球を投げてみるしかない」というのが率直な気持ちでした。

 その結果、下記の学生の場合は、報告してくれた言葉の限りでは、しっかりと受け止めてくれ、それが大きな心理的癒しにつながっていると思われます。

 被災された方々の状況や心の状況はきわめて多様なので、1つのケースだけで有効性を断定することはできませんが、コスモス・セラピーは深刻なトラウマ的な出来事に対しても心理的癒しをもたらすきっかけにはなりうる可能性があることは明らかになった、と私は考えています。


 H大学社会学部1年女子

 以上を踏まえ(筆者注:この前の部分で、彼女は「現代科学のどういうポイントがニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を克服するのか」という課題に対し、4つのポイントをしっかりと把握したレポートを書いています)、我々人間は、宇宙・自然・動物、この世に存在するものすべてと「つながっている」「一体性」を感じることが重要である。

 全てがつながっていると感じることは、「自分は1人じゃない」という意識が強く芽生えると思う。

 私自身、昨年の大震災で被災をし、尊い命が一瞬にして失われるのを目の当たりにした。

 「生きる意味」「自然の脅威」を心の底から考えさせられた。

 津波によって全てを失い、自然を憎むことがしばしばあった。

 しかし、先生の講義を聞き、憎んでも何も始まらないことを学んだ。

 人間と宇宙、人間と自然、様々な支えによって我々人間は「生かされている」ことを忘れてはいけない。

 「生命の尊さ」を教えてくれた自然の脅威、ひいては、この世に存在するすべてのものに感謝したい。

*先生の講義を受けて、自分の生きる意味を再認識することができました。本当にありがとうございました。


 他の大学のアンケート調査のコメント欄に「先生は学生のウソを見抜くことができますか?」という意味深長な質問を書いてきた学生がいます。

 確かに、評価を少しでも上げてもらいたくて、明らかにお世辞だとわかる感想を書いてくる学生はいます。

 しかし、課題に対する解答のほうがまったくできていない場合、お世辞であることは簡単に見抜けます。

 また、解答がしっかりしていても、もしかしたら少し誇張しているのではないというものもあります。

 しかし、単に知識的・理論的にだけではなく、心情的にも深く理解している、とこちらに感じさせる解答の後に書かれた感想は、もしお世辞だとしてもそれは信じることにしています。

 上記の女子学生の場合、体験があまりにも深刻なので、お世辞やウソの感想を書くことができるとは思えません。

 彼女のケースに関して、コスモス・セラピー、というより宇宙・コスモスそのもののメッセージは、きわめて深刻なトラウマ的体験についても深い癒し効果があったと信じていいのではないでしょうか。

 彼女自身は特にどこがとは書いていませんが、私の推測では「死んだらすべては無になって終わり」ではないというメッセージが大きかったのかもしれません。

 人間は、生まれる前も宇宙の一部、生きている今も宇宙の一部、死んでからも宇宙の一部であり、死はある意味で宇宙への帰郷です。

 そして、生命全体の流れとして見れば、個体は死んでも生命は生き続けていくのです。

 コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、できるだけ正確かつわかりやすく、現代科学が明らかにしたコスモロジーをベースにして、宇宙・コスモスのメッセージを伝える試みなのです。

 みなさんの感想や評価や疑問や批判を率直にコメントしてくださると幸いです。





コスモロジーの心理学 コスモス・セラピーの思想と実践
クリエーター情報なし
青土社



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敗戦、心の闇、いのちの鎖

2012年08月16日 | 心の教育

 昨日は終戦記念日でした。

 かみさんの郷里で親族たちとお昼を食べている途中に有線放送があり、正午、みんなで黙祷をしました。

 夕方家に帰り、夜、NHKスペシャル「終戦・なぜ早く決められなかったのか?」を見ました。

 新聞にはオリンピックのメダルが史上最高の38個だと報道されていました。

 私もテレビでかなり見て感動させてもらいました。日本人にはまだまだしっかりと力があるのですね。

 そして、応援する人たちを見ながら、やはり日本人は日本を愛している・愛したいのだと思いました。

 それらすべてを通じて、日本はまだ終戦というより「敗戦体験」の社会的・文化的・心理的統合ができていないことを感じています。

 つまり、どうしたら素直にそして正当に国を愛することができるかということがつかめていないのではないでしょうか。

 私は、コスモス・セラピーの序論で、「自信にはおおまかに言って個人レベルと集団レベルと宇宙レベルがあり、そのすべてについて自己肯定できるようになることが望ましいのですが、敗戦後の社会心理的な事情で素直に自分の所属する集団である『国』を愛する気持ちを持つのが難しく、『愛国心』とか言うとそれだけでとたんにアレルギーを起こす人が多いので、汎用性を考慮して、個人レベルと宇宙レベルだけ扱うことにしています」と話します。

 しかし、現代の日本人とりわけ若者が自信を持ちにくい大きな理由の一つに戦後文化の問題がありますので、大学の授業では「日本人の精神的荒廃の3段階」という話をします。

 それから、西洋の近代科学とニヒリズムの関係の概説をした後で、現代科学のコスモロジーの話に入っていきます。

 そうした授業プログラムの中間と最後で、よく聞いてくれた学生は、例えば以下のような変化を示します。


 H大学経済学部2年男子

 この本を読む前までは、コスモロジーという言葉は聞いたこともなく、考えたこともありませんでした。

 けれどこの本を読んで、人生観、世界観そしてコスモロジーについての考え方が180度変わりました。

 今までは、人は死んだら無になる、自分に自信がないなど先生が意図する考えに陥っていました。

 またアメリカを中心とした欧米諸国が常に正しく、私の住む日本はそれらを模範として進んでいかなければと考えていました。

 まさか都合よくアメリカにマインドコントロールされているのも気付かず、日本国民としての誇り、大和魂を失っていました。

 神仏儒習合を重んじ、自分自身をリセットし、これから生活していきたいと思います。

 先生のおかげで、少し心の闇が晴れました。

 本当にありがとうございます。


 ここで注目してほしいのは、「日本国民としての誇り、大和魂を失ってい」たことと「自分に自信がない」「心の闇」ということがすべて関連していることです。

 それに対して、国民としての誇りを持つことはすべていけないことではなく、自己絶対視・排他的にならない限りは、どの国民にとっても正当な権利であることに気づくと、「少し心の闇が晴れました」という気持ちになるのです。


 この学生が感じていた「心の闇」は、実は戦後の日本人全体がずっと抱えたままの心の闇なのではないか、と私は考えています。

 前期中間レポートの感想に上のように書いたこの学生は、期末レポートには次のような変化を報告してくれています。


 先生の言葉を受けて、世界観が変わり、視野が広がりました。

 特に命は、宇宙の一部、歴史のひとつという言葉は、自分の存在意義に気づくとともに、感動を覚えました。

 コスモロジー的な考え方は今まで自分が経験したことのない領域であり、常に興奮を感じていました。

 この授業を通じて、いのち、つまり人間を、宇宙と関連づけて考え、自分も、古くからつながってきたご先祖さまからのいのちの鎖をつないでいきたいと思いました。

 これからもよろしくお願いします。


 「ご先祖さまからのいのちの鎖をつないでい」くという考え方こそが、日本人の倫理性・精神性の豊かさを支えてきたもの――そして失われつつあるもの――であることは言うまでもありません。

 後期、日本人の精神性の核であった仏教の本当の意味を伝えることによって、この学生、また学生たち全体が、さらにどんな変化を示すか、楽しみにしているところです。


コメント (4)
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人生の質、癒しの始まり、そして定着:学生の報告から

2012年08月12日 | 心の教育

 H大学660通、O大学126通、M大学44通、すべてのレポート採点がようやく終わりました。

 明日からやっとお盆休みです。

 O大学では、プログラムの関係で、コスモス・セラピーは90分4回、しかも宇宙レベルの話、宇宙カレンダーの話は2回だけでした。

 それでも、以下のような「幸せな気持ちになれました」という感想が出てきます。

 コスモス・セラピーのショート・コースでは、しばしば「つながり・かさなりコスモロシーを聞いて感動した。その時は人生の質が上がった。元のようにばらばらコスモロジーで営まれている社会生活に戻ったら、忘れてしまった。人生の質が下がった」という現象が起こります。

 つながり・かさなりコスモロシーが心の奥深くに定着する、身に付くにはかなりの繰り返しが必要です。

 しかし、たとえ短期間でも自分の存在の意味がわかったような気がして、幸せな気持ちになれる――マズローの言葉でいえば「至高体験」――のはいいことではないでしょうか。



 私が今、ここにいて、生きているのも、いくつもの奇跡が重なって存在しているのだと思うと、感動したし、生きていてよかったと思うことができました。

 137億年の歴史があり、その1つ1つの出来事があり、そのおかげで、今の私がいるのだと思うと、もっと自分のことを大事にし、ムダな命なんて本当にないのだと思いました。

 “私は宇宙137億年の連続的成功の成果である。” という言葉を知ったからには、素晴らしいと思えるような生き方をしたいです。

 自分の存在という意味をここまで深く考えたことはなかったけれど、今回この授業で、自分もちゃんと理由があって存在しているのだと知ることができてよかったです。

 幸せな気持ちになれました。



 さらに、前回の記事のケースのように14、5回続けて講義を受ければ、かなり高い癒し効果が上がるケースがしばしばありますが、たった2回でも、下記のケースのように癒しのプロセスが始まるきっかけになったりします。



 「宇宙と聞くと「私」の「外」にあると思ってしまうが、本当にそうなのだろうか?」という問いを先生がしていましたが、私は「宇宙」というものに対して憧れがあります。
 なのでプラネタリウムなどにも足を運びます。

 とても遠いと思っていた宇宙です。それでもなぜだか、そこに私の全てがあるような気がしていました。

 それでも「宇宙」を信じられない、ウソみたい、現実じゃないと思うこともありました。

 それはあまりにも遠く、あまりにも偉大で、あまりにも美しいと思うからなのかも知れません。

 生きるのがつらいと感じる日は空を見上げていました。誰も居ないと思い込んでもうダメだと思うと、空が恋しくて、宇宙に食べられてしまいたいと思いました。

 それ程、理由もなく、宇宙には私の全てがありました。

 そして、先生の講義を受けてその理由が少しわかった気がしました。

 「宇宙があるから私が居る」 今まで「私」の「外」にあった宇宙は「内」にあったのか、「内」というより、「私」と「宇宙」は一体だったのか、と理解することができました。

 宇宙の誕生は私の誕生の準備だった。憧れだった宇宙が私を誕生させる準備してくれたんだ。と思うと、先生がおっしゃった「ニヒリズムはおわる」という言葉を信じられる気がしました。

 中学生のころから、リストカットをくり返してきて、その事がまた、自分を追いつめていましたが、自分自身でそれらをおわらせることができるかなと、勇気が出ました。

 自分が生きていることが「すごいことだと思えればニヒリズムは終わる」 一生胸に刻んで生きていきたいと思います。

 ありがとうございました。



 上のようなケースは、フォローがなければ一時的なもので終わることもありますが、彼女はきっと「自分自身でそれらをおわらせることができる」でしょう。

 さらに、下のケースのように繰り返すことができれば、しっかりと定着していきます。



 私は、昨年の秋学期に「○○」の授業を受けました。

 久しぶりに宇宙カレンダーを見て、コスモス・セラピーの教科書を見て、懐かしく思いました。

 「○○」の授業では、人間の先祖とされてきたものの絵などは見なかったので、今回見ることができて、よかったと思います。

 また、137億年 one chance の話を聞いて、すごくうまいなと思いました。

 宇宙カレンダーの中の1つでも欠けると、今の私がいないんだと思うと、ご先祖様に感謝したくなりました。

 そして、地球の昔の姿の写真を見て、今とは別ものだなあと思いました。

 地球は青いイメージしか知らなかったので、赤い地球はすごく違和感がありました。

 また、青い地球を見て、すごくきれいに思いました。

 何かいやなことがあっても、死にたくなるようなことはなくなりました。

 コスモス・セラピーに出会えたからだと思っています。

 学べてよかったです。



 かつては何かいやなことがあるとすぐに死にたくなった若者が、今では「何かいやなことがあっても、死にたくなるようなことはなくなりました」と報告してくれ、「コスモス・セラピーに出会えたからだと思っています。学べてよかったです」と言ってくれています。

 心から「学んでくれてありがとう。伝えてよかった」と返事をしたい気分です。

コメント (5)
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