11,12月の東京講座のお知らせ

2018年10月01日 | メンタル・ヘルス

 遅くなりましたが、今年11、12月の東京講座の予定が決まりましたので、お知らせします。
 特に土曜日はまったくの初心者もご参加いただけるプログラムです。お気軽にお出かけください。


 【東京】土曜講座 「般若心経とやさしい瞑想によるやすらぎの時間」

 現代はストレスがとても多い時代ですが、ストレスは、外側の状況にかかわらず心のあり方次第でかなり、場合によってほとんど、緩和・低減することができます。

 『般若心経』は、どうしたら心のやすらぎが得られるかを教えてくれます。

 そして、足を組んで痛い思いをしなくてもいいイスでするゆるやか瞑想法(必要に応じて動画やBGMも使う、呼吸法やイメージ法など)を実修することで、実際に深いやすらぎの時間を体験することができます。

 今回は、まったくの初心から中級まで、どなたでも気軽に参加していただけるプログラムを組みました。どうぞご参加ください。

 ちょっとしたお菓子とお茶の出るくつろぎの時間もあります。
 

 11月10日 12月8日 計2回

講師:研究所主幹・岡野守也▼テキスト:随時配布。▼時間:13時―17時▼会場:フォーラムミカサ・エコ(JR神田駅西口4分、内神田1―18―12 内神田東誠ビル8F)▼参加費(二回、万一都合で欠席された方はDVDで学習していただきます):一般=1万4千円、会員=1万2千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=8千円(事前予約当日支払可)▼最少催行人数:10名


 【東京】日曜講座「『摂大乗論』全講義」シリーズ6

 当研究所のオリジナルプログラムである唯識心理学・コスモロジー心理学の源泉としての大乗仏教の深層心理学・唯識の代表的古典『摂大乗論』を現代的に読み解いています。

 読み進み、理解が進むにつれて、うつ、不安、怒り、憎しみ、争いといったネガティブな心がなぜ生まれるのか、どうしたらなくすことができるのか、もっとも深い原因の解明と軽減・克服のための方向性がはっきりとわかるでしょう。

 中途からの受講もできます。これまでの入門講義とシリーズ1〜4はDVDで学習していただけます。

 11月11日 12月9日 計2回

▼講師:研究所主幹▼テキスト:随時配布。▼時間:13時―17時▼会場:東京マインドルフルネスセンター(赤坂3―9―18 BIC赤坂ビル8F)▼参加費(二回、万一都合で欠席された方はDVDで学習していただきます):一般=1万4千円、会員=1万2千円、年金生活・非正規雇用・専業主婦の方=8千円(事前予約当日支払可)▼最少催行人数:10名


●予約お申込み、お問合せは、samgraha*smgrh.gr.jp(*を@に換えてください) へどうぞ。
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不安から安心への移行

2018年09月25日 | メンタル・ヘルス

 繰り返すと、当研究所の講座プログラムは、「正しく適度な心配はするが過剰な不安に囚われず、やれることをやって、後は宇宙に任せる(受容)ことのできる心」を育み、危機の時代を生き抜く心備えを確立することを目指しています。

 不安に対処する3つの方法のうち③の「正しく考える」方法としては、論理療法、ロゴセラピー、ポジティブシンキングなど、「大きく正しく考える」方法としてマルクス・アウレーリウスなどのトア哲学、そして唯識ー仏教心理学、さらにそれらを融合したコスモロジー心理学などのプログラムを提供しています。

 こうした方法を適切に組み合わせながら、繰り返し持続的に実行すると、「不安を感じていない時間」が多くなることは確実ですし、究極の理想的モデルとしては、不安も含め悩みが一切ない大安心(だいあんじん)・涅槃・ニルヴァーナの境地に到達できることになっています。

 不安から大安心までは、白黒ではなくいわばグラデーションですが、ともかく瞑想を核とした総合的プログラムに参加していただくことでストレス・不安から安心への大幅な移行が起こることは、参加者の方々へのアンケート調査からも明らかです(まだ第三者による科学的エビデンスがないので、自己宣伝っぽくなるのが残念ですが)。

 実際に体験していただくことに優るものはないのですが(「百聞は一見に如かず」!)、なかなか時間が取れない、おっくうだ、ためらいがある…といった方のためにも、参加していただいた方の反復学習用にも、今後ともできる範囲で公開していきたいと思っていますので、読んで参考にしていただけると幸いです。


*東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」は、次回、10月6日の第2回のみの参加も可能です。前回の簡単な復習――シンプルで楽な瞑想を含む――をして先に進みますから、この回のみご参加いただいても、十分、多くのヒントを得ていただけると思います。
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瞑想はストレス・不安を緩和する

2018年09月24日 | メンタル・ヘルス

 最近、アメリカでは、「マインドフルネス瞑想法」が大流行しているようです。

 いまやグーグル、アップル、ヤフー、メルカリ、ゴールドマン・サックス、サンサン、ゼネラル・ミルズ、メドトロニック、エトナなどなど、もっと、多数の優良企業が社員教育に採り入れているというのは、驚きです。

 しかし、日本にとってマインドフルネスはいわば仏教の瞑想法の逆輸入物で、それは以下のとおり創始者のジョン・カバットジン氏もはっきり認めているとおりです。

 「『マインドフルネス瞑想法』というのは、“今”という瞬間に完全に注意を集中するという方法です。これは、仏教における瞑想の中核といわれており、禅宗を初めとして、そのほかの仏教宗派でも非常に重んじられているものです。しかし、仏陀も強調しているように、『マインドフルネス瞑想法』は、仏教徒以外の人が普通の生活に広く応用できる普遍性を備えているものです。私は、多くのアメリカ人が、新しい生活や新しい生き方をめざし、この古くから実践されてきた『マインドフルネス瞑想法』をとり入れ、それが肉体的にも精神的にもたいへん役だっていることを、日本の方々にも是非お知らせしておきたいと思います。」(春木豊訳『マインドフルネス ストレス低減法』「日本の読者のみなさんへ」ⅵ、北大路書房)

 とはいっても、もちろん伝統的なかたちそのままではなく、「マインドフルネスストレス低減法は、東洋思想や技法をベースにしているのであるが、それをカバットジンはプログラム化して分かりやすくしていることである」と訳者の春木先生は言っておられます(同書ⅲ)

 筆者が学んでいる範囲で言うと、

 ①仏教の特定宗派の教義は説かず、心を調えるうえで妥当・有効な洞察だけを採り入れている、
 ②結跏趺坐にこだわらず、より楽な坐り方やイスでもできるように工夫している、
 ③体のリラックス法としてヨーガもそうとうに採り入れている、
 ④それらの全体がプログラム化されており、その臨床効果が医学的・科学的に検討―確認されてきている、

といったところが大きな特徴だと思われます。

 中でも、たくみなプログラム化と臨床効果の科学的実証については、長年いわば本家の禅のかたちで実践してきた筆者も脱帽です。

 それから、臨床効果の科学的なエビデンスを学んだ結果、坐禅・瞑想の姿勢は「結跏趺坐でなければならない」という一種の原理主義を、少なくともストレス緩和の方法という点に関しては大幅にゆるめることにしました。

 そこで、すでに研究所の講座では、かなりゆるやかにやっていただくようご指導してきましたが、結跏趺坐や半跏趺坐でも足の痛み・しびれでつらい方には、より楽な坐り方やイスでもできる瞑想法として、より積極的に「マインドフルネス的瞑想法」――こちらがいわば本家なわけですが「マインドフルネス瞑想法」としてまとめ上げたのはカバットジン氏ですから、敬意を表して少し呼び方を変えることにしました――も使っていこうと思っています。

 いずれにせよ、坐禅、マインドフルネス瞑想法、ヨーガの瞑想法、ヴィパッサナー瞑想法、チベット仏教の瞑想法などの瞑想どれもが、ストレス・不安の緩和に顕著な効果があることは、もう議論の余地はないようです。

 あと、ストレス・不安の緩和法としてどれを選択するかは、自分との相性や出会いの問題なのかもしれません。

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考えなければ不安はない

2018年09月23日 | メンタル・ヘルス

 考えるのなら、腰を据えて考え抜く。

 いい考えが浮かばないのなら、一度徹底的に頭を空っぽにしてみる。

 考えなければ、ストレスは感じない、不安にも鬱にもならない。

 俗な言い方をすれば、「バカは悩まない」のである。「バカはへこたれない」「バカほど打たれ強い」。

 では、いったん意図的にバカになってしまってはどうだろう。 


 以下の『大般若経』(初分教誡教授品第七之二十六)の言葉も、とても格調の高い言い方をしているが、要するにそういうことを言っているのだと思われる。

 スブーティよ、覚りを求める者・志の大きな者が智慧を完成する行を修行する時には、すべてのことについて認識しないようにする(何も考えない)。すべてのことについて認識しない時には、その心は衝撃を受けるとか恐怖を感じるとか不安におののくといったことはない。すべてのことにかかわって心が沈み込んでしまうことも、またくよくよと鬱になることもない。

 善現、是の如く菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を修行する時、一切法に於て都(すべ)て見る所無し。一切法に於て見る所無き時、其の心驚かず恐れず怖(おのの)かず。一切法に於て心沈没(ちんもつ)せず亦た憂悔(うげ)せず。
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不安を感じていない時間を持つためには2

2018年09月22日 | メンタル・ヘルス

 考えなければ、悩まない。では、考えないためにはどうするか、というと……

 「覚めているけれど心が空っぽで何も考えていない」という意識状態になれるといいわけです。

 それが①を徹底したかたち、具体的には本格的な坐禅であることはいうまでもありません。

 当ブログでかつて「足の痛み・しびれは心配ありません:禅定の話 2」という記事を書きましたが、この記事は今でも多数の方に読んでいただいています。

 ちなみに、9月9日にはこの記事を中心に12404の記事を8259人が読んでくださいました。

 2005年8月20日にこのブログを始めてしばらくして、閲覧者数7千を超えてビックリしたことがありましたが、それ以来のうれしいビックリでした。

 その後も続けて、かなりの数の方が読んでくださっています。

 有難うございます。参考にしていただけて、とてもうれしいです。

 坐禅・瞑想をすると心が安らいでストレスが軽くなるのではないかという期待で、してみたいが「足の痛み・しびれが心配」で思い切ってやってみることができないという方や、始めてはみたが、やっぱり足の痛み・しびれがきつすぎて続けるのがつらい、続けられないという方が多いのでしょう。

 私の研究所の講座では、坐禅の場合も準備体操をして足の痛み・しびれが最小限になるようなご指導をしていますし、会場によって、イスでできる瞑想法もお伝えしていますので、「足の痛み・しびれが心配で」、ためらっておられる方、よろしければぜひお出かけください。

 しかし、とはいっても、心が空っぽ、さらには空(くう)というところまでいく本格的瞑想・坐禅はなかなか簡単にマスターすることは困難です。

 そこで、それよりは難易度は低いけれどもかなりの効果を期待できるのが、②にあたる数息観(呼吸を数えることに心を集中する瞑想)やマインドフルネス的瞑想(シンプルにただ呼吸を感じる瞑想)などで、こうした瞑想法もお伝えしています。

 どちらにしても、呼吸などに注意を集中できるようになると、その他の余計なことは考えない、つまり悩みを忘れている時間を作れるようになることはまちがいありません。

 もちろんどれも、それなりの練習は必要ですが、瞑想にストレス・不安の軽減の顕著な効果があること、いわばコストパフォーマンス=対労力効果は確実・十分であることは、いわゆる科学的なエビデンスによって保証されています。
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不安を感じていない時間を持つためには1

2018年09月21日 | メンタル・ヘルス

 当研究所の講座プログラムは、「正しく適度な心配はするが過剰な不安に囚われず、やれることをやって、後は宇宙に任せる(受容)ことのできる心」を育み、危機の時代を生き抜く心備えを確立することを目指しています。

  そこで、まず不安を感じていない時間を持つ方法をお伝えしていくのですが、そのためにまず大筋として以下のポイントを押さえていきます。


 ① 心を空(「から」、さらには「くう」)にする:考えない

 ② 心を何かに集中する:余計なことを考えない

 ③ 大きな心になる:大きく正しく考える


 私たちは、熟睡したり気絶したりしている時は悩んでいない。というか、悩めません。

 それは、考えていない・考えられないからです。

 逆に言えば、考えるから悩む、考えなければ悩まない、ということです。

 ですから、悩みたくなかったら、考えないこと。

 とはいっても、パスカル風にいえば「考える葦」であることを運命づけられた人間は、ふつうふだん目が覚めている時は、あれこれと考えずにはいられません。

 だとしたら、どうすればいいのでしょう。

 次回の記事をお読みください。
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不安への対処の3つのタイプ

2018年09月20日 | メンタル・ヘルス
 
 不安は、未来の危機への漠然とした想像から生まれる感情です。

 非常に不愉快な感情である不安をなくすための対処には、以下の3つのタイプが考えられるのではないでしょうか。


 ①想像・考えることをやめる:否認と気晴らし

 ②避けられないこととして受け入れる:あきらめ、受容

 ③心配し正しく認識し適切な対処法を探って行動する


  どんなに困難であっても決して対処不可能ではないことについては、否認やあきらめではなく、③の対処がもっとも合理的・適切な対処であることはいうまでもありません。

 しかし、対処にはかなりのエネルギー・意志・勇気が必要ですから、そのエネルギーをチャージするために一定の気晴らしをすることは、ある程度あっていいし、必要だとさえいえるでしょう。

 また、安易なあきらめは非合理的・不適切ですが、ほんとうに避けられない・運命的な出来事については、受容するほかありません。

 そして、受容することは、フランクル‐ロゴセラピー的にいえば「態度価値の実現」です。

 変えうることは変える、変ええないことは受容することについて、よく知られているのは、アメリカの神学者ラインホールド・二ーバー(1892–1971)の次の祈りの言葉です。


 神よ、私に、変ええないことは、それを受け容れる平静さと、変えうることは、変える勇気を与えてください。そして変えうることと変ええないことを見分ける知恵を与えてください。
 
O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.
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現代の主な7つの不安

2018年09月19日 | メンタル・ヘルス

 先日(15日)、東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」の第1回目を行ないました(*当日のメモに基づき昨日の記事を若干修正し、タイトルも変更しました)。

 その内容のポイントをご紹介しようと思います。

 まず、参加者のみなさんと現代の主な不安にはどのようなものがあるかを考え、筆者があげたのも含め以下のような不安があることが確認―共有されました。

 読者のみなさんは、どう思われるでしょうか。
 もちろんこれ以外にもいろいろあると思われますが、「主な」というとほぼこれだけなのではないでしょうか。もし、お気づきのことがあれば、ぜひコメントをください。


  現代の主な不安

 ①生活水準が保障されなくなるのではないか

 ②社会秩序が崩壊に向かうのではないか

 ③災害が巨大化するのではないか

 ④環境がますます悪化するのではないか

 ⑤戦争に巻き込まれるのではないか

 ⑥科学技術が行き過ぎてしまうのではないか

 ⑦人類は絶滅に向かうのではないか


 こうした不安に目をつぶらず、どう向かい合うか、が学びの課題です。

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東京日曜講座のお知らせ

2016年02月28日 | メンタル・ヘルス
 これもすでにお伝えした東京集中講座・日曜日のプログラムです。案内文を入れたチラシを掲載します。



*4月17日(日)はコスモス・セラピーの1日ワークショップに変更になりました。予めご了承のうえ、お申し込みください。
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メンタル・タフネス関連記事 目次

2013年03月10日 | メンタル・ヘルス

 これまで書いてきたメンタル・タフネス関連の記事を検索しやすくするための目次を作りました。

 順序に読んでいくと、メンタル・タフネスを身につけるヒントにしていただけると思います。


 パウロ式ストレス・コントロール
 途方にくれても行き詰らない 
 いい人生のための黄金の法則
 シビアな社会で優しくあり続けるためには
 ピンチをチャンスに変える心がまえ
 問題があることはいいこと?
 私が敗北することなんてありえない!
 就活に勝つメンタル・タフネス 1
 就活に勝つメンタル・タフネス 2
 就活に勝つメンタル・タフネス 3
 就活に勝つメンタル・タフネス 4
 梅雨時のポジティブ・シンキング
 就活に勝つメンタル・タフネス 5
 就活に勝つメンタル・タフネス 6
 就活に勝つメンタル・タフネス 7
 就活に勝つメンタル・タフネス 8
 就活に勝つメンタル・タフネス 9:エディソンの不屈の精神
 生きてるだけでも大変な奇跡
 就活に勝つメンタル・タフネス 10:自信の欠如の治療法
 就活に勝つメンタル・タフネス 11:ネガティヴなことに囚われることを拒否する
 困難を建設的に使用する

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困難を建設的に使用する

2011年03月23日 | メンタル・ヘルス

 困難はあなたを破滅させることもあるし、また逆に、あなたを育てることもある。それはすべて、困難をどのように受け取り、それにどのように対処するかにかかっている。

 「困難はナイフのようなものである。それは刃のほうをにぎるか、柄のほうをにぎるかによって、私たちに役立ちもするし、私たちを傷つけもする」とはジェームズ・ラッセル・ローエルの言葉である。

 困難を「刃」のほうでにぎれば、それは私たちを傷つける。「柄」のほうをにぎれば、それを建設的に使用することができる。

 困難の柄のほうをにぎることはむずかしいことではあろうが、それはできないことではない――これはたしかなことである。

      ノーマン・ビンセント・ピール『積極的思考の驚くべき結果』より


 国難ともいうべき困難の中にある私たち日本人が、困難の柄をにぎることができるように祈っています。そして、きっとできると信じています。
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新刊『仏教とアドラー心理学』

2010年10月11日 | メンタル・ヘルス


 久しぶりに書き下ろしました。ぜひお読みください。








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仏教心理講座(武蔵野大学生涯学習)案内

2010年09月26日 | メンタル・ヘルス

*筆者が関わっています日本仏教心理学会と武蔵野大学の協力による「仏教心理」の講座シリーズが開催されます。
最初の講義は筆者が担当します(コスモス・セラピーの凝縮版です)。
最寄駅はJR中央線三鷹駅です。こちら方面在住の方でご希望がありながら距離的に藤沢まではお越しになりにくかった方、どうぞこの機会にお出かけください。
他の講座もとても興味深いものになると思います。






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就活に勝つメンタル・タフネス 11:ネガティヴなことに囚われることを拒否する

2010年09月07日 | メンタル・ヘルス

 メンタル・タフネスとポジティヴ・シンキングは大きく重なっています。

 ポジティヴ・シンキングができるようになるということは、メンタルがタフになるということです。

 しかし、日本ではポジティヴ・シンキングと能天気な楽天主義が混同されている傾向があります。

 ピールは次のような短い文章で、はっきり、きっぱり、誤解を正しています。

 
 ポジティヴ・シンキング(積極的思考)はどんな時にでも効果があるのか?
 答えは「イエス」である。

 私はこの答えが、大胆すぎることはわかっている。当然、次のような反論が予想できる。

「本当にそうだろうか。私には問題がありすぎる。私もポジティヴ・シンキングについて読んでみたけど、依然として、問題は未解決のままだ。」

 また、次のように言う人もいるかもしれない。

「私の仕事はゆきづまりだ。私もポジティヴ・シンキングをやってみたが、仕事はいまだにゆきづまっている。ポジティヴ・シンキングも事実を変えはしなかった。破産は厳然たる事実なのだ。そのことを否定するなんて、君は砂の中に頭を突っ込むバカなダチョウみたいなものだ」

 あまりにもしばしば見受けられることだが、人々はポジティヴ・シンキングの本質を本当にはわかっていないようだ。ポジティヴ・シンキングをする人は、ネガティヴなことがあると認めるのを否定しているわけではない。ただ、ネガティヴなことに囚われることを拒否するだけなのだ。

 ポジティヴ・シンキングをする人間とは、最悪の事態に出会っても、そこからいつでも最善の成果を探し求め得るような考え方を持った人のことである。建設的な何かを発見することはできる。事態がよくない場合でも、自分で最善のことを期待することは可能だ。

 あなたがよい成果を求めれば、それを見出すことが非常に容易になるということだ。

 積極的なものを探し求めるということは、熟考されたプロセスであり、選択の問題なのだ。

 (ビンセント・ピール『積極的思考の驚くべき結果』5~6頁、ただし訳を変更)


 ポジティヴ・シンキングとは、ネガティヴなことに囚われることを意思的に拒否し、最悪の事態の中に最善のことを見出そうとする、という心の選択の問題なのです。

 「平気平気、なんとかなるさ」というのんき・能天気な楽天主義とはちょっとちがうのです(もちろん、それでうまくやれる人はそれでいいのですが)。

 具体的にいえば、今、有効求人倍率が1以下であろうと、0.いくつであろうと、それは「職がない」ということではなく「職はある」という意味だと考え――「少ない」は「ない」ではなく「ある」ということなのです――しかも、この世には必ず私を必要としている「職」があると信じる、という心の姿勢です。

 内定がまだもらえない若者諸君、再就職先がまだ見つからない成人のみなさん、「まだ」は「これから」です。

 面接100回でまだだったら、101回目に、「きみの長所は?」と聞かれた時、「面接100回落ちても、まだへこたれない、これからが勝負だと思える根性です!」と言ってみるという手なんかどうでしょう?

 まだ、これからだ!! あきらめるな! 宇宙はきみの味方だ!

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就活に勝つメンタル・タフネス 10 : 自信の欠如の治療法

2010年09月05日 | メンタル・ヘルス

 *以下は、特に「就活」だけの話ではないのですが、ここのところ書いている連載的なテーマなので、タイトルを合わせました。


 戦後の日本人、特に若い世代ほど表面はともかく内心では自信がない最大の理由は、敗戦によって国家神道・天皇教というコスモロジーと込みで飛鳥以来の日本の伝統的コスモロジーであった「神仏儒習合」のコスモロジーの意味も見失わされて・見失ったことにある、と考えられます。

 ところで、ピールのキリスト教をベースとしたポジティヴ・シンキングでは、自信のなさの治療法として、端的に「単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはない」と言っています(改行は筆者)。


 自信の欠如に対する確実な治療法の一つは、神が現実に自分と共におり、自分を助けてくれると信じることだ。
 これはキリスト教の最も単純な教えの一つである。
 全能の神が同伴者となり、あなたの側に立ち、あなたを助け、見守ってくださっていると考えるのだ。
 ほかのどんな考えも、この単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはない。
 これを実行するためには、ただ「神がともにおられる。神は私を助け、導いてくださる」と受け入れればよい。

    (ノーマン・V・ピール『積極的考え方の力』27頁)


 確かにそのとおりだし、信じられたアメリカ人には大変な効果を生み出したことはまちがいないと思うのですが(ピール『積極的思考の驚くべき結果』日本ソノサービスセンター、参照)、しかしいったん合理主義・科学主義を学んで、その〔ある程度にすぎないのですが〕妥当性を知ってしまった現代の日本人が、伝統的宗教にそのままのかたちで帰ることはできないし、無理に帰る必要はない、というのが私の考えです。

 私たちは、伝統的宗教のいい点と現代科学のいい点を統合して、理性的でありつつゆるぎなき自信を身につけることができるという、そういう意味ではいい時代に生きています。

 つながり・かさなりコスモロジーを学ぶと、「神」「仏」「天」「道」「大自然」「宇宙」などがほぼ同義語であると納得することができるのです。

 そうすると、ピールの言葉もそのままでもいいし、抵抗感が残るのなら、「神」のところに「コスモス」を代入して、自信を強くする基礎の考え方・文章にすることができます。

 念のため、実際にやってみましょう。


  自信の欠如に対する確実な治療法の一つは、コスモスが現実に自分と一体であり、自分をサポートしていると信じることです。
 これはコスモロジーのもっとも単純な考え方の一つです。
 全エネルギーそのものであるコスモスが同伴者となり、あなたの側に立ち、あなたを助け、見守ってくれていると考えるのです。
 ほかのどんな考えも、この単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはありません。
 これを実行するためには、ただ「コスモスはいつも私と一体だ。コスモスは私をサポートし、導いてくれる」と〔いう事実に基づいたコスモロジーを〕受け容れればいいのです。


 それに関して、かつてウィキペディアで、私の禅の師である秋月老師のさらに師であった――法祖父ということになります――山田無文老師のことを調べていて、とてもいいエピソードがありましたので、ご紹介しておきます。

山田無文(やまだむもん 1900年7月16日 - 1988年12月24日)は昭和期日本の代表的禅僧。

 チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。わかり易い法話で親しまれた。

 結核時、無文には兄がいて、兄は結核で命を失う。
 無文は闘病中の夏の日。縁側でそよ風に吹かれると、ふと考えた。
 風とは何ぞや。風とは空気。空気とは何ぞや。空気は自然。 その空気を朝から晩まで晩から朝まで、呼吸して生きている。 「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」と考えたら、寝てられなくなった。
 そして、元気が出てきたときに、下手な句を読んだ。 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」
  南天の実が赤かった夏の日のことでした。(NHK-TVあの人に会いたい より)


 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」

 下手どころか、心に沁みる実にいい歌ですね。

 「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」という気づきは、まさにコスモロジーです。

 ただ、この夏は酷暑すぎて、なかなか「今朝吹く風の涼しさ」を感じられないのが残念ですが、でも今日あたり、日が落ちるといくらか涼しい風が吹いています。


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