リーダーの役割としての公正な裁判:十七条憲法第五条

2007年01月28日 | 歴史教育

 前条で述べられたように、リーダーが手本を示し、メンバーがそれを学んで、内発的な秩序が自然に生まれることが望ましいのですが、人間の集団はなかなかそうはいきません。

 ふつうの人間の集団ではメンバーはほとんど全員凡夫であり、無明から生まれる自己中心性の傾きを多かれ少なかれ持っていますから、どうしてもメンバー同士の争いが起こりがちです。

 しかし、もし集団のメンバー一人一人やその中のサブグループ同士が物理的力で抗争して、その勝敗でものごとが決まるのだとしたら、そこには暴力のバランスしか生まれないでしょう。

 暴力のバランスによる秩序は一時的かつ不安定で、けっして持続せず、何よりもメンバー全体の幸福につながりません。

 ですから、共同体が持続的に安定するためには、メンバーのトラブルを調整・調停し裁く権力を与えられたリーダーが必要なのです。

 リーダーの最大の任務の1つは、共同体のあり方ができるだけメンバー全員にとってよいものになるように調整することです。

 人間社会におけるリーダーとその権力は、もともとそういう共同体の必要によって生み出されたものだと思われます。

 本来、共同体全体の利益になるようメンバーを指導し調整するためにリーダーとその権力があるのであって、リーダーのために共同体があるのではないのです。

 ですから、言うまでもなく、本来、リーダーは私利私欲のためになるものではありません。

 まして、リーダーの行なう調停や裁判が私利私欲のために行なわれるようなことがあってはならないのです。

 争いを裁く上での公正さは、リーダーの最重要の条件の1つです。

 菩薩は「貪り」という根本的な煩悩を超えなければなりませんが、「貪らない心(不貪)」こそ、リーダーの根本的条件なのです。

 供応や賄賂への期待は、言うまでもなく貪り・私利私欲の心から生まれるものであり、菩薩的リーダーのもっとも避けるべきものです。

 しかし、第五条を読むと、〈太子〉の時代の実情は、ほとんど逆で、宴会を好み、賄賂を求める豪族・官僚が多かったことがうかがわれます。


 五に曰く、あじわいのむさぼり(餮)を絶ち、たからのほしみ(欲)を棄てて、明らかに訴訟を弁(さだ)めよ。それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)るを、いわんや歳を累(かさ)ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりをもうすを聴く。すなわち財あるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず。臣道またここに闕(か)く。

 第五条 〔役人たるものは〕飲み食いの貪りを絶ち、金銭的な欲を捨てて、民の訴訟を明白に裁くように。民の訴えは一日に千件にも及ぶほどである。一日でさえそうであるのに、まして歳を重ねていくとますますである。このごろは、訴えを取り扱う者が私的利益を得るのが通常となってしまい、賄賂を取ってから言い分を聞いている。そのため、財産のある者の訴えは、石を水に投げ入れるよう(に通るの)である。貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるよう(に聴き入れられないの)である。こういうわけで、貧しい者は、どうしていいかわからなくなる。こうしたことでは、また君に仕える官吏としての道が欠けるのである。


 成文法がなく慣習法だけだと、力があってしかも公正さを欠く権力者の勝手気ままに曲げられる危険があります。

 この時代、民の訴えも、族長への付け届けの高で、受け付けてもらえるかどうかが決まってしまうという実態があったのだと推測されます。

 氏族が次第により規模の大きな国家へとまとまりつつあり、訴訟の件数も激増していたでしょう。

 こうした時に社会の平和が維持されるには、公正で迅速な裁判が不可欠です。

 ところが、「このごろは、訴えを取り扱う者が私的利益を得るのが通常となってしまい、賄賂を取ってから言い分を聞いている」という状態だったようです。

 「そのため、財産のある者の訴えは、石を水に投げ入れるよう(に通るの)である。貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるよう(に聴き入れられないの)である」という比喩は状況を巧みに表現していて、臨場感があります。

 太子が、民と豪族たちの関係の現状をよく知っていたことの現われでしょう。

 「ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず」という言葉には太子の民への深い思いやりが感じられ、「臣道またここに闕く」という豪族・リーダーたちへの厳しい忠告には、深い嘆きと怒りが感じられます。

 私たちの国は、いまだに利権のために政治家や官僚になり、賄賂によって公正でない公的決定が行なわれることが頻繁にあるという状態にあるようです。

 そういう意味で、幸か不幸か、『十七条憲法』は「済んだ過去の話」ではなく、依然として未来に向かう理想・到達目標としての意味をまったく失っていない、と思うのです。


*中途になっていた『十七条憲法』の授業、ようやく再開です。1~4条までの記事がだいぶ前になってしまいましたので、読者のみなさんの読みやすさを考え、少しだけ修正したうえで、近い日付に移動しました。更新記録をごまかそうという意図はありませんので、ご了承下さい。


↓ 記事が参考になった方、ぜひ、2つともクリックして支援していただけると幸いです

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

充電期間中?

2007年01月26日 | Weblog

 そろそろ本格的な授業を再開しなければと思いながら、なかなかエンジンが本格的に始動しません。

 サングラハの講座のほうは、すでに本格的に始まっているのですが。

 講座のない日には、いろいろ片付けなければならないことが出てきて、会報『サングラハ』の原稿も遅れ遅れです。

 ようやく、少し書き進めています。


 昨日は、藤沢の講座、フランクルの第2回目、参加者も1名増え、学びも深まっています。

 フランクルの思想は、学び直すたびに、ほんとうに深いな、と思います。

 人生が、楽をするため、楽しさ、快楽のためにあると捉えてしまうと、楽でなく楽しくなくなったら、人生が嫌になり、さらには死にたくなったりする。

 しかし、人生は意味の実現―体験のチャンスだと捉えると、どんな状況でも意味深く生き抜くことができる。

 意識的に、責任的に、自由意思を行使して、意味の実現を選択していくことにこそ、人間の人間らしさ、自分のかけがえのなさが現われる。

 苦しくとも厳しくとも、何か創造的な行為ができれば、その人生には意味がある。

 たとえ創造できなくなっても、美しい自然、すばらしい芸術、そして何よりも「この人に会えただけでも、生まれてきたかいがあった」といえるほどの人との出会い、という体験があれば、その人生に意味がないと誰がいえるだろう。

 そして、さらに創造も体験も困難な状況になっても、なお人間にはその困難・苦しみ・運命をどう受け止めるかという態度を選択する能力が残されている。

 運命を受け止めるその態度のなかに、人間のもっとも高貴な本質が現われる。

 困難・苦しみ・運命をも意味実現のチャンスと捉えてしまえば、もうこの人生で恐れるものは何もなくなる。……と。


 今日は、若者の手を借りて書棚と折りたたみイスを買いに行って、イスは持ち帰りでミーティング・ルームに運び、「持続可能な緑と福祉の国・日本をつくる会(仮)」の準備委員会のための会場準備をしました。


 というわけで、ブログ受講生のみなさん、本格的な記事はもう少し待ってください。

 コメントをくださったみなさん、返事が遅れて申し訳ありません。少しずつ書きます。




↓いま、心のバッテリーがあがりかかっているのかもしれません。よかったら、是非、2つともクリックして充電にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リーダーが模範を示す:十七条憲法第四条

2007年01月25日 | 歴史教育

 第一条から第三条までで、日本の目指すべき理想「和」が宣言され、それを妨げる無明の心と党派心が指摘され、その曲がった心を正すには仏教が必要であることが示され、民とすべての生き物を庇護し支えることこそリーダーの使命であると語られ、憲法のもっとも重要なポイントが語られていました。

 第四条は、それを実現する上でのリーダーのあり方について語っています。要するに「模範を示す」という、ある意味では当たり前の話です。

 人間は、生まれつきいい(適応的で倫理的で幸福になれる)生き方ができるような本々の能力(つまり「本能」)をもっておらず、教えられてはじめていい生き方を身につけることができる生き物です。

 すでにいい生き方ができている人に模範・手本を示してもらってその真似をする――「学ぶ」は語源的に「真似ぶ」から来ていることはご存知のとおりです――ことによって、ちゃんとよく生きていけるようになるのです。

 そういう人間の本質からして、大人・リーダーの責任は重大です。第四条は、そういうリーダーの模範を示す責任について語っています。


四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民を治むる本は、かならず礼にあり。上、礼なきときは、下、斉(ととのお)らず。下、礼なきときは、かならず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは、位次乱れず。百姓(ひゃくせい)礼あるときは、国家おのずから治まる。

第四条 もろもろの貴族・官吏は、礼法を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼法にあるからである。上に礼法がなければ、下も秩序が調わない。下に礼法がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼法がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼法がある時は、国家はおのずから治まるのである。


 集団の重要な地位にある人は、法を守ることは当然ですが、まずそれに先立つモラルやエチケットつまり「礼法」を守って、人間としてのいい生き方の模範を示す責任がある、というのです。

 人々を治める――これはもちろん支配・搾取・抑圧するという意味ではなく、穏やかに秩序を保って平和に幸福に暮らせるようにするという意味です――には、根本的に生き方の模範を示すことが必要なのです。

 上に立つ人が、エチケット、モラル、さらには法にまで違反するようでは、下の人々がちゃんとするはずがありません。

 上に立つ人のモラルが乱れていれば、下々は犯罪さえ犯すようになるのです。

 しかし上に立つ人が、法律遵守することは当然、それ以上に品格のある行動をして模範を示せば、人々も「ちゃんとした人間はああいうふうに生きるものなのだ」と、それに倣って秩序を守るようになる、というのです。

 そして人々がエチケットやモラルをちゃんと守るようになれば、まして法律を犯すようなことはなく、強制しなくても自然に国が平和になっていくのだ、と太子は言っています。

 まさにそのとおり、話としては当たり前の話ではないでしょうか。

 しかし、毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。

 これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。

 一日も早く、第四条の当たり前の話・理念が、同時に当たり前の事・現実であるような国になってほしいものです、いや、したいものです、ぜひそうしましょう。

 そう思われませんか。



↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の日本のリーダーとは:十七条憲法第三条

2007年01月24日 | 歴史教育

 「十七条憲法」の第三条は、戦前もっとも誤読・誤用されたところです。

 しかし、第一条から続いている文章の流れ〈コンテクスト)で、しかもこの条文全体を素直に読んでみてください。


 三に曰く、詔(みことのり)を承(うけたまわ)りてはかならず謹(つつし)め。君(くん)をば天とす。臣(しん)をば地とす。天は覆(おお)い、地は載(の)す。四時(しいじ)順(したが)い行ないて、万気(ばんき)通うことを得。地、天を覆わんとするときは、壊るることを致さん。ここをもって、君言(のたま)うときは臣承る。上行なうときは下靡(なび)く。故に詔を承りてはかならず慎(つつし)め。謹(つつし)まずば、おのずから敗れん。

 第三条 詔を受けたならば、かならず謹んで受けよ。君は天のようであり、臣民は地のようである。天は〔民を〕覆い、地は〔民を〕載せるものである。四季が順調に移り行くことによって、万物の生気が通じることができる。地が天を覆うようなことをする時は、破壊に到るのである。こういうわけで、君が命じたなら臣民は承る。上が行なう時には下はそれに従うのである。それゆえ、詔を受けたならばかならず謹んで受けよ。謹んで受けなければ、おのずから事は失敗するだろう。


 戦前、この条は要するに「天皇陛下の命令には絶対服従せよ」という意味に読まれ、それが聖徳太子の教えだと説かれました。しかし、そうでしょうか。

 確かに最初に「詔を受けたならば、かならず謹んで受けよ」と言われてはいます。

 しかし、そこだけを読まず、前と後を続けて読んでいくと、「何であれ詔ならばいつも無条件・無批判に盲従せよ」ということではないようです。

 それは特に、この後にちゃんと、「なぜ、どういう詔を謹んで受けなければならないのか」説明されているからです。

 「君すなわち天皇すなわちトップ・リーダーの役割は天の命を受けて天の代理として民およびすべての生きとし生けるものを覆う・庇護することにあり、臣すなわち高級官僚すなわちサブ・リーダーの役割は大地のように民およびすべての生きとし生けるものを載せる・支援する・支えることにある」と言われています。

 トップ・リーダーとサブ・リーダーが協力しあって本質的なリーダーとしての役割を果たすならば、四季は順調に巡り――つまり異常気象になったりすることなく――万物のいのちの気が活き活きと通うことができる、というのです。

 ここで太子が言いたいのは、トップ・リーダーがその役目を果たすかぎりにおいて(つまり条件付きで)、サブ・リーダーはその命令を天の命令のように謹んで受けなければならない、ということではないでしょうか。

 太子は、いうまでもなく儒教の「天命」「天子」という思想を踏まえて語っています。

 そしてここでは言及していませんが、もちろん、天子が天命にそむいた場合は、天命が変革される、つまり「革命」がありうるのだという考えも知っていたはずです。

 それを知った上で、自らを「日出る処の天子」と名乗ったにちがいありません。

 天子は、天に代わって人と人の間に平和と幸福を、人間と自然の間に調和と安定をもたらすことが役割なのです。

 太子の視野には、人間だけでなく、自然と人間の関係も入っていることが、第三条からはっきりと読み取れる、と私は思います(これは従来あまりちゃんと読み取られていなかったのではないでしょうか)。

 そうした天命である「和」を実現するためのリーダーとしての君・天皇には、臣・官僚たちは真心から従うように、というのがこの個所で語られていることです。

 ところが、サブ・リーダーが、自らの私利私欲のために権力を獲得したくてトップ・リーダーの座を狙うのは、地が天を覆おうとするようなもので、天地自然の理に反しており、それでは集団が大混乱し破壊に到ってしまうではないか、と(ここには、蘇我馬子への痛烈な警告が隠されていると思われます)。

 今、天皇(およびその代理・摂政として太子)が天命を受けて真心から「和の国日本」を創造しようとして詔(特に第一条)を発している以上、それには誠心誠意従ってほしい、という命令・呼びかけです。

 そうしないと、すべての人、すべての生き物を幸せにしようという、この大きな国家プロジェクトは失敗してしまうだろう(そうなってしまえば、結局、誰も幸福にはなれないのだ)、というのです。


 これは、現代にもそのまま通用するリーダーの本質論ではないかと思います。

 努力した(その結果勝った強い)人(だけ)が経済的に報われるような経済成長だけを目指すリーダーは、聖徳太子の国のリーダーとしてはまったく失格だ、とあえて言わざるをえません。

 今、日本では、例えば国民健康保険料が払えなくて(払わなくて、ではありません)、病気になっても医者にかかれない人が急増しています。

 8年連続で、今年も自殺者が3万人を超したそうです。

 ここで私が挙げるまでもなく、こうした問題は山積しています。

 現状を見れば日本は、「緑の福祉国家」どころか急激に「福祉国家」からもはるかに遠ざかりつつあります。

 日本をこんな国のままにしておいていいのでしょうか。

 日本の原点・「十七条憲法」の心をしっかり自分の志にした、本当の「日本のリーダー」の登場が待ち望まれます。



↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曲がった心を正す方法:十七条憲法第二条

2007年01月23日 | 歴史教育

 「十七条憲法」の第二条は、いわば仏教の国教化宣言です。

 ここには、なぜ太子が仏教を国教とするのか、きわめて明快な理由が示されています。

 人間の心は無明によって曲がってしまっている。そのために憎みあい、争いあい、自然の循環を乱してしまう。

 しかし、本来どうすることもできないほどの悪人はいない。すべての人には「仏性(ぶっしょう)」が具わっている。

 仏が存在し、その真理の教え、つまり縁起の理法、すべてはつながって1つだという教えがあり、それを体得した集団・僧伽があって、その真理を人々に教えるならば、人々は教化され真理に従うことができるようになる、というのです。

 そうなれば、平和と調和に満ちた国、日本を創出することは不可能ではないのです。


 二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏(ぶつ)と法と僧となり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、甚だ悪しきものなし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

 第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、仏と、その真理の教えと、それに従う人々=僧である。それは四種類すべての生き物の最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人が、この真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば〔真理に〕従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって曲がった心や行ないを正すことができようか。


 しかも、太子は、すべてはつながって1つ、縁起の理法は人間だけでなくすべての生き物のいのちの根拠でもあり、すべての国が到達すべき普遍的な事実であることをしっかりと認識しておられます。

 「いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん」というのは、太子がただ仏教を頭から信じ込んでいたのではなく、それがあらゆる時代、あらゆる人に通用する普遍的真理であることをつかんでおられたことを示しています。

 かつての教条的な左翼の先入見――私ももっていました――と異なり、太子は、自分は理解したり本気で信じたりしてもいないのに、「民衆の阿片」、つまり人々をだまして服従させるためのイデオロギー(虚偽意識)として、仏教を導入-利用したのではないようです。

 自ら、深く理解して、その普遍性・妥当性に信頼を置かれたので、和の国日本を創るために指導者から始まってすべての国民の心を浄化する有効な方法として導入されたのだ、と思われます。

 しかも、仏教を排他的に採用したのではなく、仏教に不足している倫理的な教えの部分については儒教を併用し、従来の神道も十分に尊重しています。

 「神仏儒習合」という日本の心の基礎は、太子が作られたものだといっていいでしょう。

 ところで、歴史学的には、聖徳太子の3つの経典への注釈書『三経義疏(さんきょうぎしょ)』はすべて後代のものであるという説が強く、それどころか太子の存在そのものさえ疑う説もありますが、「十七条憲法」と『三経義疏』をちゃんと読むとそこには一貫した思想があり、同じ人の書いたものと考える方が自然なくらいです。

 この一貫した思想をもっていたのは、誰なのでしょうか? 実証史学では、そういうことは問題にされていないようです。

 しかし、私はそうした問題に深入りする気はありませんし、論争をする気もありません。

 そうではなく、かつて古代の日本にはこんなにすぐれた国家理想があった、その理想を掲げたすばらしい国家指導者がいた、という日本の〈物語〉の意味を読み取りたいと思っているのです。




↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和と調和という国家理想:十七条憲法第一条

2007年01月22日 | Weblog

 聖徳太子「十七条憲法」は、604年に発布された日本の最初の憲法です。

 そもそも「憲法」という言葉自体、「十七条憲法」に由来するものです。

 ところが、戦後、かつてお話したような事情で、日本人が自分の原点を忘れてしまうような教育制度が出来上がってしまいました

 日本史や倫理の時間にほんの少し仏教の話、聖徳太子の話が出てはきますが、「十七条憲法」の全文を高校までの授業でちゃんと読む機会を与えられた人は、ほとんどいないでしょう。

 私も、読んだ記憶がありません。授業時に聞き取り調査をしていますが、私の学生の中でもこれまでのところ1人もいないようです。

 しかし、良かれ悪しかれ、これは日本という国の出発点・原点です。

 価値判断の前に、ともかく私たちは読んでみる必要があるのではないでしょうか。

 読みもしないで、進歩主義的偏見で「古い」とか「右よりだ」とか「保守反動だ」と言ってしまうのは、おなじくちゃんと読まないで信奉する保守主義的偏見とおなじくらい不毛でフェアでない態度だと思います。

 そこで、これからしばらくみなさんに原文(の書き下し)と私の現代語訳をご紹介し、短いコメントを加えて、判断の材料にしていただこうと思います。


一に曰く、和をもって貴しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな黨(とう)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。

第一条 平和をもっとも大切にし、抗争しないことを規範とせよ。人間にはみな無明から出る党派心というものがあり、また覚っている者は少ない。そのために、リーダーや親に従わず、近隣同士で争いを起こすことになってしまうのだ。だが、上も下も和らいで睦まじく、問題を話し合えるなら、自然に事実と真理が一致する。そうすれば、実現できないことは何もない。


 ここには、日本という国がもっとも優先的に追求すべき国家理想は人間と人間との平和――そして後でお話しすることで明らかになるように人間と自然との調和も含まれています――であることが高らかに謳われています。

 しかもそれだけでなく、争い・戦争というものは無明*から出てくる自分たちさえよければいいという党派心から生まれるという深い人間洞察が、短い言葉のなかでみごとに表現されています。

 無明がなくならないかぎり、戦争はなくならない、平和は実現しない、人間と自然との調和も実現しないのです。

 しかし、たとえまだ無明を克服し覚ることのできていない人間であっても、心を開いて親しみの心をもって、事柄とコスモスの真理が一致するところまで徹底的に話し合うなら、たとえどんなに困難なことでも実現できないことはない、というのです。

 近代的な民主主義のまったくない時代に、私利私欲ではなく理想を目指して徹底的に議論すること、話し合いによる政治を提唱し、「和の国日本」の建設という当時の状況からすればほとんど不可能に見える大国家プロジェクトをみんなで立ち上げよう、と太子は呼びかけています。

 この理想、このプロジェクトは1400年経っても、残念ながら実現されていないのではないでしょうか。

 これは、私たち日本人の立ち帰ることのできる原点、立ち帰るに値する原点、立ち帰らなければならない原点だ、と私は思うのです。

 *ところで、ここで念のために言わせていただきますが、私は右でも左でもありません。右の妥当な面と左の妥当な面を統合したいと思っているのです。



↓ご参考になりそうでしたら、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「仏」と私の関係

2007年01月20日 | 心の教育

 昨日は、サングラハ中級講座「摂大乗論を読む」でした。

 かなり長い年月をかけて学んできた『摂大乗論(マハヤーナ・サングラハ)』の最後の第10章を1月から3月まで6回で学びます。

 大乗仏教でいう「仏」の意味を、「法身・自性身」、「受用身・応身」、「変化身・化身」という3つのレベルに分けて述べている「三身説」、全体の結論の部分です。

 一見、抽象的な宗教哲学の議論のように思えますが、実は「私と仏・宇宙が一体である」ということの意味を明らかにしているともいえるので、私は「究極のアイデンティティ」論というふうに捉えています。

 私は単に個人であるだけでなく仏と一体であるということは、私は絶対に肯定されているということでもあり、私はただこの死んでなくなってしまう体と心だけで出来ているのではなく、宇宙・仏こそほんとうの「私(自己)」であり、時間を超えて永遠であるということでもあります。

 そのことが理論としてわかるだけでも、人生に光が見えてくるという気がします。

 ……と、学びは続き、深まっていきます。




↓記事に興味を感じていただけたようでしたら、2つともクリックしていただけると幸いです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学生時代にこれだけはやっておくといいこと

2007年01月19日 | 心の教育

 ここのところ仏教関係からの依頼がほとんどだったのですが、久しぶりにキリスト教関係の依頼があり、キリスト教主義大学のチャペルアワー(礼拝)の説教をしてきました。

 「神仏基習合」を標榜している私としては、どちらからも声をかけていただけるというのは、とてもうれしいことです。

 少し長いのですが、ネット学生のみなさんにもシェアしたいので、以下、原稿を全文掲載します。

                          *

   聖書:コヘレトの言葉(聖書協会訳では「伝道の書」)11:8―12:2(実際には今プロテスタントとカトリック両方の教会で標準的に使われている「共同訳」を使いましたが、私にはその前のプロテスタント標準だった「聖書協会訳」のほうがぴんと来るので、そちらで引用しておきます。)


 人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあることを忘れてはならない。すべてきたらんとする事は皆空である。

 若い者よ、あなたの若い時を楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。

 あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除け。若い時と盛んな時はともに空だからである。

 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。


 今日、みなさんにお話ししたいことは、タイトルからすぐにわかっていただけると思います。

 私は、二つの大学の計三つの学部と、集中講義も合わせるとあと二つ、四つの大学で、宗教論や仏教などを教えています。つまり、みなさんと同世代の若者とたくさんつきあっているということです。

 つきあいながら、いつもぜひ伝えておきたいと思って繰り返すことがあります。それは、学生時代というのは長い人生の一部であり、しかも非常に重要な一部だということです。これは、当たり前といえば当たり前なのですが、必ずしもみなさんの多くが自覚しているとは思えないからです。

 大学はふつう四年間です。その後、仕事について社会人として六十歳定年まで働くとしたら四十年弱です。つまり、学生時代は社会人時代の十分の一の時代だということです。その学生時代に何をしたか、何を学んだかが後の十倍近い人生をかなり左右するのですね。

 いうまでもないかもしれませんが、そのことをしっかり自覚して学生時代を過ごしている学生諸君は必ずしも多くはないように見えます。もちろん、社会人になってから学ぶこともありますし、学びなおせることもあります。しかし、そうとう決定的なベースになることは確かです。

 学生時代に自覚的に準備と蓄積をしておいたのとそうでないのとでは、自分の納得できる職業につけるかどうか、職業についた時に実力があるかないか、そうとうな差が出てきます。その差は、いうまでもなく人生の満足度、クォリティ・オヴ・ライフの差になります。

 私はもうすぐ六十歳になりますが、今も学生時代に学んだことをベースにして、本を書いたり教えたりして、生活しているわけです。そのなかで、学生時代にやっておいてよかったなと思うことと、もう少しやっておけばよかったなと反省することがあります。

 今日は短い時間ですから、反省のほうの話はほんの少しにして、主にやっておいてよかったなということのほうの話をしたいと思います。

 反省のほうは、若さの特権でもあるのですが、学生時代、人生の時間が無限にあるような気がしていたことです。今日の聖書の個所のようなことは、教えられて知ってはいましたし、ある程度は頭に入っていたのですが、それでもやっぱり無駄遣いしてしまった時間がずいぶんたくさんあったような気がします。

 今年二十歳になったみなさんもおられるでしょうが、私はちょうどその三倍くらいを生きてきたことになります。生きてきてみて感じるのは、人生の時間は有限で、決して長くないということです。それどころか、あっと言う間だったという気がすることもあるくらいです。

 これは、私よりも上の、七十歳、八十歳、九十歳の方にうかがっても、みなさんが口を揃えて言われることです。別に暗い話をするということではなく、事実として、残念ながら人生は私たちが願うのよりもはるかに短い、というのが実感です。やっておきたいことや味わいたいことや学びたいことなどなどのすべてを実行・実現するだけの時間は、人生にはないようです。

 しかし、よかったなと思うのは、それでも今日の聖書の個所のようなことを教えられて、人生は青春だけでできているのではないということがいちおうは頭に入っていたことです。

 しかも、人生は青春だけでないどろこか、平均寿命の長くなった現代では、学生時代の約十倍の長さの社会人時代の後に、現役引退後の人生があります。男女の大まかな平均の八十歳まで生きるとしたら、六十歳から二十年間、つまり体力も頭脳も衰えてきてから、みなさんの生きてきたくらいの長さ、学生時代の五倍くらいの人生があるわけです。

 学生時代に準備し蓄積したものが社会人・現役の時代のベースになるように、さらに学生時代と社会人現役時代に準備し蓄積したものが引退後の人生のベースになると思いますが、現役時代には仕事で忙しくて、よほど自覚的でないかぎり、今やっていることで精一杯、他のことまで考えられないという時間の過ごし方をされる方が多いようです。

 男性のケースでいえば、定年退職後になって、奥さんや家族との心のふれあいの蓄積、会社以外の人とのふれあいの蓄積、生きがいになる趣味や会社以外の仕事の準備、そもそも仕事をやる以外の、自分が生きていることそのものの価値を見出しておくという人生観の準備ができていないことに気づいて、非常にとまどわれる方も少なくないようです。

 人生とはどういうものなのかについての考えを「人生観」と呼ぶとすれば、誰でも一定の人生観は持っています。しかし、どういう人生が本当にいい人生なのか、どういう人生を過ごしたいのかについてのはっきりした、そして生きてみて実際に充実・満足できるような考えのことを「人生観」と呼ぶとすると、そういう本格的で本物の「人生観」が確立できている人は決して多くないように思われます。

 人間は、他の動物と違って生まれつきの本能だけで生きていくことはできません。むしろ、ほとんどのことを学習しなければならないのです。人生観も学習しなければ身につきません。もちろん生活体験の中でそれなりの人生観は得られるのですが、今いったような本格的な「人生観」は、意識的に学習しないと身につかないのです。

 ところが、現代の日本では、人生観についての学習をするような科目は義務教育の中にはまったくといっていいほどありません。そこで、多くの若者諸君が自分の生活体験の中で何となく自分なりの人生観を身につけているわけです。

 しかし、私の接する学生諸君の人生観には、学生時代の約十倍の社会人現役時代、そして五倍くらいの引退後の人生があるということが、ちゃんと計算に入っていないことが多いように見えます(みなさんには当てはまらない誤解だったら、失礼)。

 そこで、私はまず何よりも、人生の全体の長さを計算に入れた人生観を作ることが必要だということを指摘するのです。つまり、青春だけでなく一生全体に通用する人生観が必要だということです。そして、一生に通用するような人生観には、一生に通用するような、いつでも・どんな状況でも通用する、つまり普遍的な価値観が含まれていなければならないのではないだろうか、と問いかけるのです。

 そういう価値観・人生観を確立するには、時間と努力が必要です。そして、食べるための労働ではなく、そういう人生観の確立のために注ぐ時間と力の余裕があるのは、青春時代だけです。しかも、人生観の学習のための素材が豊富に提供されているのが大学です。だから、就職の準備や資格の取得もしておいたほうがいいでしょうが、「学生時代にこれだけはやっておくといいこと」の第一番にあげたいのは、一生通用するような、年をとっても生きることにしっかりと意味を見出せるような、本物の人生観を確立することです。

 そのためには、そもそも人生とは何かということをはっきりとつかむ必要があります。私にいわせていただけると、そのもっとも根本的なものが、私たちは誰もがみなすべて生まれてきたという事実です。そんなことは当たり前ではないかと思われるかもしれません。確かに当たり前です。しかし、その当たり前の事実の深い意味をよく自覚している人は多くない、と思うのです。

 誰か、自分で自分を生んだ人がいるでしょうか。おそらく私の知るかぎり、かつても今もこれからも、世界の中で自分を自分で生むことのできる人は一人もいないと思います。それは、遺伝子操作でクローン人間が作れるようになっても(すでに技術的にはできるようになっており、もしかすると密かに生まれているのかもしれませんが)、それ以前から四〇億年のいのち―遺伝子のつながりがなければ、遺伝子操作ができないという意味で、変わることはありません。

 私たちのいのちが自分で生んだものではないということは、私たちのいのちを生んだものがあるということです。その私たちのいのちを生んだもののことを、キリスト教では「神・造り主・創造主」と呼んできました。

 ここで大切なことは、「神・造り主・創造主」という言葉を使うかどうか、その言葉に伴うイメージが好きかどうか、その言葉に関してキリスト教が教えてきた教えを信じ込むかどうかではない、と私は思っています。

 重要なのは、私たちが生まれたということが事実である以上、私たちを生んだ私たち個人個人を超えたいわば「より大いなる何ものか」が存在することも事実だと考えざるを得ない、ということです。

 私たち人間のいのちは、当たり前のようでもあり不思議なようでもあることですが、心を持っています。その心で、自分が生きているということを感じたり考えたり、さらに自分を生かしているより大いなる何ものかのことを感じたり考えたりすることができます。そこに人間が、他の生命でない物はもちろん、他のどの生命とも違う特徴があるといっていいでしょう。

 人間は大いなる何ものかから生まれたものでありながら、その大いなる何ものかのことを感じ考える存在なのです。現代人に納得しやすいように、私はその大いなる何ものかのことを「宇宙」とか「自然」と呼ぶことにしていますが、人間は宇宙・大自然から生まれたものでありながら、自らを生み出した宇宙・大自然のことを認識する存在です。

 そこに、人生をどう捉えるかの原点があると私は思います。自分を超えた大いなる何ものかによって生まれ、そして人生をとおして、その大いなる何ものかに支えられ包まれているのではないでしょうか。そのことを感じ考えるかどうか、自覚するかしないかは、人生全体の質、クォリティ・オヴ・ライフを決定的に左右すると思えます。

 若さ、能力と時間に恵まれている時代に、ぜひ、自分をこの世界に生み出した自分を超えた大いなる何ものかのことについてしっかりと学び、自覚して、自分の人生観を確立する、そして人生観の基礎・原点をつかむということをやっていただくといいのではないか、と強くお勧めしたいと思います。

 いつも言うのですが、私の次世代の諸君に対する基本姿勢は、「けっして強制はしないし、できないが、強く強くお勧めしたい」ということです。

 受け止めてもらえると、とてもうれしいです。




↓記事が参考になったようでしたら、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広範囲の協力体制を

2007年01月17日 | 心の教育

 昨日は、サングラハの提携先であり、強力な支援をいただいている㈱はせがわの新事業とそれに合わせた「いのちの終わりと供養を考える会」設立のプレス発表に出席してきました。

 報道関係、業界関係合わせて40社あまりが来たとのことでした。

 「いのちの終わりと供養を考える会」は、㈱はせがわの大きな支援を得て設立される会ですが、代表に推薦されお引き受けしたので、次のような趣意を述べました。


 「いのちの終わりと供養を考える会」設立趣意・スピーチ

 今、葬儀やそれに続く供養のあり方が大きく変わってきています。

 それは、死=いのちの終わりについての意識の大きな変化に対応していると思われます。

 いのちを単に個人だけのものと捉えると、死は本人と周りのごく少人数の関係者だけに関わるものと考えられ、その結果、葬儀は小規模なものでいいとされるようになります〔例えば家族葬〕。

 さらにはいのちを単に体という物質の機能と捉えると、死はその機能の停止であり、遺体は要するに死体であると考えられ、その結果、簡略に処理すればいいものとされてしまいます〔例えば直葬、葬儀なしの火葬〕。

 〔さらには死んだらすべては終わり、何もなくなるのだから、葬儀も供養も意味はない、お墓や仏壇もいらない、という考え方に到ります。〕

 しかし、本当にはいのちは、ただ個人のものであるだけでなく、もともと親や先祖とのつながりによって伝えられたものでありそして子孫へと伝えられていくというところに本質があるのではないでしょうか。

 しかも、個人のいのちは生きている間ずっと他の多くの人とつながり・関わりながら営まれます。

 そして体の死・個人としてのいのちの終わりの後も、つながり・関わりのあった人にとっては、依然として心の中でそのつながり・関わりは続いていきます。

 現代人が考えがちなのと違って、「死んだらすべては終わり」ではないのではないでしょうか。

 個人のいのちがその役割を終えてもいのちの流れそのものは過去から未来へつながり続けるのです。

 それは、現代科学風に言えば、40億年の生命の歴史は一ヵ所も途切れることなく人間以前のかたちの先祖、そして人類というかたちになってからの先祖、そして私、さらに私の子孫たちというふうにつながり続ける、ということになります。1)

 時間的にも空間的にも、いのちは単体で存在するのではなくつながり・関わりの中にあり、「つながってこそいのち」と言えるのではないでしょうか。

 日本の葬儀と供養は、そうしたいのちのつながり、心のつながりを大切にすることの象徴的な表現だったのであり、そうした死者と生者〔特に先祖と子孫〕の心のつながりは、日本の深くすぐれた文化の基底にあり続けてきたものだと思われます。

 確かに変化のなかには、形骸化したものが捨てられるという当然の面や、時代・社会の変化に伴うやむをえない面もあるでしょうが、そうした葬儀・供養の本質的な意味が見失われ、忘れられてしまうことは、日本文化の変質とその結果としての日本人の心のおそるべき荒廃をもたらす、いやすでにもたらしつつあるのではないかと深く憂慮しています。2)

 私たちは、そうした時代状況の中にあって、問題意識を共有するみなさんと、葬儀・供養の本質的な意味についてもう一度捉え直し、再発見し、再発見したものを日本社会に問い直していくための場として本会を設立したいと考えるものです。

                    *

 私の読者やブログの読者の中には、私が葬儀・供養の業界と深く関わることに疑問を感じられる方もおられるかもしれません。

 ビジネス界とは距離を置いて、純粋に思想的・学問的にやるほうがいいとお考えの方もあるでしょう。

 しかし私は、日本人の精神性の荒廃の現状とそれに対処すべき立場の方々の反応の不十分さを考えると、どこであれ協力できるところとはすべて協力してやるほかないと考えています。

 これからも、各宗門の真剣な布教師の方や、柔軟性のある新宗教の方や、いろいろな立場の教育関係者、心理学関係者、そしてビジネス界の方……まだあまりありませんが政治家の方などなど、あらゆる分野の方と協力していくつもりです。

 しかも、私は、ここ2、3年ずっと社長や副社長その他の幹部の方とふれあいながら、この会社は本気だと感じています。

 「儲けるために社会に貢献する(ようなふりをする)のではなく、社会に貢献した結果として正当な利益を得る」という姿勢が一貫しています。

 こんな会社は、他にはあまり知りません(といっても、私が知らないだけで、他にもあるはずです。ご存知の方は、ぜひ教えて下さい。いくつもあるようなら、それは日本の希望です。)

                    *

 本気でスピーチしたせいか、かなり疲れて帰ってきたので、夜の元アメリカ副大統領ゴア氏の出る筑紫哲也の番組は録画しておいて、今日かみさんと見ました。

 かみさんのブログ記事とまったく同感なので、そちらを読んでいただくことにして、こまかいことは書きませんが、「政治には情熱を失いました」という発言には正直失望しました。(同世代として、気持ちはとてもよくわかるような気がしますが……。もしかしたら、「政治的発言」で、実は敵を油断させておいて、次の選挙でぎりぎりになって突然再立候補を表明するのかもしれないと思いつつ)。

 今こそ、政治主導の環境問題への取り組みが緊急に必要だと思うからです。




↓というわけで、お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレルギーが治りつつある

2007年01月16日 | 持続可能な社会

 昨日は、朝9時から夕方5時までかけて、聖徳太子「十七条憲法」の講義をしました。

 内容については、すでに書き始めていて休止状態になっている記事をもう間もなく再開しますので、ここでは書きませんが、聞いてくださった方の反応で、とても典型的なものが2つあったのを紹介しておきたいと思います。

 1つは、もっとも初期からのサングラハの会員で現在長崎在住の方が言っておられた、「今日、この講義を聞いて、なぜ岡野さんが一方でスウェーデンに一所懸命になり、もう一方で聖徳太子のことを話すのか、やっとわかりました」という言葉でした。

 聖徳太子の掲げた国家理想は、人間と人間が平和に、お互いがお互いを幸福にしあうような暮らしをすることができ、人間の暮らしと自然の営みが調和しているような、そういう「和の国」日本をつくろうということだった、と私は考えています。

 そして、現代の世界の中で、そういう「和の国」に限りなく近い「緑の福祉国家」を実現しつつあるのがスウェーデンだ、と思うのです。

 だから、私の中では日本の原点ともいうべき聖徳太子「十七条憲法」と「スウェーデン・モデル」はまったく1つのことなのです。

 そしてそれは単に私個人のことではなく、これが1つのことだとわかることで、現在の日本人がどこに向かえばいいのか、大きな合意形成が可能になるのではないか、と私は考えているのです。


 もう1つは、ちょうど折り良く講座のほんの数日前に、九州で私の講義を聞ける機会はないかと問い合わせをくださり、急いでお知らせしたら、早速出かけてくださった方の言葉でした。

 その方は、私の本をそうとうたくさん買って読んで下さっているということでしたが、『聖徳太子『十七条憲法』を読む』を見た時、最初は、「岡野先生ともあろう方が天皇絶対主義を復活させるような本を書くとは」と思われたとのことでした。

 しかし、本を読み、そして改めて講義を聞いて、「そういうことではないんだ、とよくわかりました」と言ってくださったのです。

 聖徳太子→天皇絶対性・軍国主義というアレルギー反応は、かつて私も罹っていた戦後日本人のいわば「精神の自己免疫疾患」です。

 〔自己免疫とはいうまでもありませんが、ほんとうは自分のいのちの一部であるものを「異物」と認識してしまうことです。〕

 これを治さないことには、私たちは健康なエネルギーを取り戻すことができず、前に進むこともできないと思うので、私は誤解を恐れず語ることにしているのですが、こうして少しずつ誤解が解けていくことは、ほんとうにうれしいことです。

 こうして少しずつではあれ、深刻なアレルギーがようやく癒されつつあるようで、希望を感じます。

 原点にあった「和」という国家理想に戻りながら、そこを出発点として前進し、綺麗ごとではなく実際に「美しい国」をみんなでつくりたいものです。



 今日は、連投の後の中日という感じの1日を過ごしました。また、明日は東京で大切な用事です。



↓お手数ですが、是非、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の仕事

2007年01月13日 | メンタル・ヘルス

 朝早く起きて支度し、金色の美しい朝日を浴びながら家を出て、羽田から福岡へ。

 仏教講座で、聖徳太子の生涯について語りました。

 今日も語っていて、自分で感動してしまいました。

 でも、40人あまりの聴衆のみなさんにも、感動は伝わったようです。

 おかげさまで、今日の仕事も充実していました。

 しかし、かなりしっかりエネルギーを使ったので、がっくり疲れました。

 よく眠れそうです。

 みなさん、おやすみなさい。

 帰ってから、ブログでも十七条憲法の続きの記事を書きます。

 待っていて下さい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

始まりがあれば終わりもあり

2007年01月12日 | 心の教育
 昨日は、M大の最終講義と藤沢での講座でした。

 学生たちの書いてくれた1年間の授業への感想は、コスモロジー・メッセージをとてもよく受け止めてくれたことが感じられて、うれしいものでした。

 藤沢での夜の初の講座は、「フランクルとコスモス・セラピー」、私も入れて6名と少人数精鋭でしたが、しっかりと話し合いもできて充実していました。

 とにかく、フランクルは深い、格調高い、すばらしい!


 今日は、H大文学部の今年度の最終授業、ここでの非常勤は今年で終わりなので、6年間の最終でもありました。

 このクラスもとてもよく受け止めてくれたので、これで終わりというのはちょっと残念な気もしましたが、まあ、すべてのことには始まりがあり終わりがあるのが自然なんですね。

 6年間本気で学生たちに接したつもりなので、終わりとなるとすごく感慨があるのではないかと予想していたら、実際終わってみるとけっこうさっぱりした気分だったので、自分でもふーんという感じでした。

 ものごとへの執着が少し薄くなってきたのでしょうか。

 「こだわらず情熱的に」という今年のモットーに近づいたのだったらいいのですが、単に気抜けしただけだったりして……。

 明日から2日間、福岡のお寺の集中仏教講座で『十七条憲法』について語ってきます。

 仕事が始まったら、とても忙しくなりました。

 ま、体を壊さない程度にしっかりとやっていこうと思っています。




↓よろしければ、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力いただけるとうれしいです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学びは続く

2007年01月10日 | 生きる意味

 昨夜の講座では、ナチの収容所を生き延びて『死と愛』を書くまでのフランクルの半生について講義しました。

 例えば、ある期間フロイトとアドラーとフランクルそしてヒトラーがウィーンという同じ町に住んでいたという時代のドラマを、聴講者のみなさんに感じていただきたかったからです。

 ヒトラーが作った収容所に入れられ、そして極限的な悲惨を体験しながら、なお生きることには無条件に意味があることを確信し続けたフランクルの精神の強靭さ、それを裏付ける思想の深さ、収容所から解放されて直後から書き綴られた『死と愛』という著作の重さを知ってから、その内容を詳しく学んでいただきたいと思ったのです。

 みなさん、深く感じていただけたようです。

 学びは、これから思想の具体的内容に入っていきます。

 そこには、ヒトラーをも生み出したニヒリズムという近代の怪物に対する徹底的な闘いそして克服の筋道が語られています。


 今日は、ほとんど事務処理に終わりましたが、それでも『大般若経』を読み始めました。まだ巻1、2だけですが。

 ところで、かみさんの実家から送り返したものはよく見たら『大品(だいぼん)般若経』=すでに読んだ『摩訶般若波羅蜜経』であって、600巻の『大般若経』ではありませんでした。

 私の早とちりでしたが、それにしても紛らわしい。

 でも、国訳一切経(大東出版社)の『大般若経』も第1巻と飛んで第6巻は買ってありましたので、そちらで読み始めたというわけです。

 読み進むにつれて買い足さなければなりません……買い足したいなと思っています。

 ところで、+αの話もいいけれど、まとまった授業はまだ始まらないのかと待っていてくださる方もあるかもしれません。

 もう少ししたら始めるつもりですから、お待ち下さい。



↓よかったら、2つともクリックしていただけるとうれしいです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事始め

2007年01月09日 | メンタル・ヘルス

 今日から大学の授業が再開です。

 といっても、それぞれ1回だけで、試験期間―春休みになるのですが。

 サングラハの講座も始まります。

 今日は、フランクル『死と愛』(みすず書房)の学びです。

 みなさんと、どんな過酷な状況をも生き抜きうる精神性の深さ・強さとは何か、学んでいきたいと思っています。

 今年もよい学びの年になるでしょう。




↓お手数ですが、2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力いただけると幸いです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い長いお経を読む気になっています

2007年01月06日 | 心の教育

 年末、年始は、紅白、行く年来る年、年の初めはさだまさしを見たり、箱根駅伝を見たり、かみさんの実家に帰って95歳になる義母と過ごしたり……とごくふつうにやっていました。

 その合間に、「いよいよもう間もなく60歳、還暦になるが、平均寿命くらいは生かしてもらうとして、残された人生の有限な時間の中で、どうしてもやっておきたいことは何なのか、できればやりたいことは何なのか、まあできてもできなくてもどちらでもいいことは何なのか、優先順位を決めなければならないな」などと考えながら、実家の倉庫に預けていた40箱以上の「そのうち読みたい」と思って溜め込んでいた本の整理を始めました。

 優先的に読むつもりのもの、研究所の資料として後に残してもいいもの、古本屋に売ってもいいもの、捨てるしかないものなどに分類するつもりですが、まず今回は、8箱分だけ選んでミーティングルームに送りました。

 特筆すべきことは、去年、『摩訶般若波羅蜜経』が思いがけず面白かったので、引き続いて『大般若経』に挑戦してみようかという気になり、積み上げた箱の山の中から探し出して送ったことです。

 『大般若経』はなんと全600巻という般若経系統の経典群の大全集で、日本でも古来重んじられ、多くの寺院に置いてあり、正月などには『大般若会(だいはんにゃえ)』というなかなか素敵な儀式も行なわれるのですが(折本の経典をぱらぱらと繰って読んだことにして、年に一度の風入れにもするという「転読(てんどく)」を見たことのある方もいることでしょう)、全部を読んだ人はあまりいないという代物で、私も買ってはあっても一生読むことはないだろうなと思っていました(和綴じの国訳大蔵経版)。

 ところが、読みたくなったのです。

 その内容を一言で言えば、「一切空」とか「諸法空相」でも済んでしまうもののようです(先学によれば)。

 転読の際に使われる回向文(えこうもん)でも、

 「諸法皆是因縁生(しょほうかいぜいんねんしょう、すべての存在は直接間接の関係によって生ずる)。

 因縁生故無自性(いんねんしょうこむじしょう、関係によって生じるのでそれ自体の変わることのない本性はない)。

 無自性故無去来(むじしょうこむこらい、本性がないので去るとか来るということもない)。

 無去来故無所得(むこらいこむしょとく、去ることも来ることもないものを〔実体的に〕把握することはできない)。

 無所得故畢竟空(むしょとくこひっきょうくう)把握できないので結局は空というほかない)。

 畢竟空故是名般若波羅蜜(ひっきょうくうこぜみょうはんにゃはらみつ、結局空なのでこれを般若波羅蜜――分別知でない智慧という完成の行――と名づける)。

 南無一切三宝(なむいっさいさんぼう、すべての仏・法・僧という宝に帰依します)、無量広大(むりょうこうだい、量り知れず広大な)、発阿耨多羅三藐三菩提(ほつあのくたらさんみゃくさんぼだい、この上なく等しいもののない覚りを得たいという心を起こします)」

という程度で済むことのようです。

 でありながら、語るとなると600巻も長々と語ることもできるわけですが、それはどんなことになっているのか、確かめてみたくなったのです。

 これもまた、マスト化するつもりはありません。他の仕事の合間に、興味がずっと続いたら読んでいくつもりです。

 長くて長くてなかなか終わらない、なかなか終わらないということは楽しみがなかなか終わらないということで、そこがいいという、大長編小説に取り掛かる時のような、ちょっとわくわくするような気分です。

 長いお経を読もうとするのにわくわくするなんて、変わってると思う人もいるでしょうね。

 しかし、そうなんです。今年も仏教の楽しい学びが続きそうです。




↓よろしければ、2つともクリックしていただけるとうれしいです。

人気blogランキングへ

にほんブログ村 哲学ブログへ


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする