「人間はコスモロジーなしには生きられない動物である」というのがコスモス・セラピー=コスモロジー教育の基本的な命題です。
人間は心をもった動物なので、健康・正常に生きていくためには、心のまとまりが必要です。
そして、その心のまとまりをベースから支えているのがコスモロジーなのです。
ところが、近代科学は、きわめて強い妥当性や有効性がありますが、コスモロジーとしては突き詰めるとニヒリズムに到るという大きな欠陥があります。
それに対して、宗教を信じることができればニヒリズムには陥りませんが、これまでの宗教のほとんどは呪術・神話的コスモロジーをベースにしているために、近代科学を学んだ=啓蒙された近代人にはそのまま信じることはそうとう困難です。
また、科学の妥当性を捨てて呪術・神話的宗教に戻ることは、困難であるだけでなく、近代人にふさわしいことではないと思われます。
前回の記事にも書いたように、そういうジレンマを超えるのが、現代科学と宗教のエッセンスを統合した新しいコスモロジーだ、と私は考えています。
そういう私の考えを、あくまでも1つの提案として伝えることを目的として、前期授業の前半で、宗教から近代科学、そしてニヒリズムへという近代精神史のプロセスを大まかに話し、後半に現代科学のコスモロジーの話をしていきます。
前半と後半でそれぞれ次のような感想を書いてくれた女子学生がいますが、講義の目的がとてもよく伝わったうれしいケースの1つです。
H大学経済学部1年女子
前期感想
今までなんでこんな考え方をしてしまうんだろうとか、なんでこんなにも無意味に感じて死にたくなるんだろうとかたくさん考えてきました。
岡野先生の授業を聞いて、こんな歴史的背景があったのだと初めて知り、こんな側面からの考え方も存在したんだと感心すると共に、また新しく考え込むことが増えました。
やっぱりこんなにも近代化した今に自分なりの意義を持って生きるには、宗教を信じるしかないのでしょうか?
落ち込むたびに、熱心になれるような宗教に入信した方が自分なりに充実した生き方ができるのではないか、と考えてしまいます。
大学に入って2ヵ月経ちますが、先生の授業がいちばん興味があって面白いです。
前期感想
今までひねくれた考えを思ってきた自分に後悔する程感動しました。
物質としか思えなかった私自身はエネルギーであり、また物質では表せない私の心があることに気がつけました。
エネルギーでも物質でもない人類の心が今後一番の難題ですね。
今は心に支配されすぎましたね。
でも今は自分自身も、周りにあるものも植物も景色も愛おしく感じます。
どんなにつらくなった時もこの気持ちを保てればなとも思いますが、今はその気持ちも新鮮に感じます。
ちょっと自信が持てました。
この女子学生は「今までひねくれた考えを思ってきた自分に後悔する」と書いていますが、私の考えでは、突き詰めるとニヒリズムに到るような近代的コスモロジーの中で育てられると、能天気に考えないですますか、かなり考え込んでひねくれるか、突き詰めて心や体を病んだり自殺してしまうか、いくつかの選択肢しかないので、現代の若者の多くがひねくれてもやむを得ないところがあると思っています。
しかし現代科学のコスモロジーを採用-信頼すれば、ひねくれないで、まっすぐに健康に生きていくことができると思います。
次の男子学生は、近代的なエゴイズムが錯覚であることに気づいて、「今、私は猛烈に反省している」「これからは怠惰な生活はせず、希望に向かって走り続けようと思うと報告してくれています。
H大学社会学部1年男子
前期感想
私たち人間が、そしてこの世の全てのものが「宇宙と一体である」と知って、深い感動を覚えた。
それと同時に、「私は今生かされているのだ」と自覚することができた。
今まで私は「自分は『生まれた』のであり、何をするにも自分の勝手だ」と思っていた。
自分の好きなように生き、ワガママを言い、身勝手に生活してきた。
今、私は猛烈に反省している。
自分の過去の行いがどれだけ人に迷惑をかけたのか。
そして、それと共に「希望」を持つことができた。
今までの自分を改め、精一杯「今」を生きたいと感じることができた。
これからは怠惰な生活はせず、希望に向かって走り続けようと思う。