菩薩は福徳と智慧を生長させ その二種の糧は無限である
真理について思惟し心が決まるので 外界のあり方を分別する原因を理解する
(摂大乗論第三章より)
時々、私は菩薩つまり自他の幸福(福徳)と覚り(智慧)を求めることを志している人間なのだろうか、凡夫つまり根本煩悩に駆られて自分(たち)だけの幸福――などというものがあると錯覚してそれ――を求めている人間なのだろうか、と反省します。
すると、菩薩のつもりだったのに、いつの間にか凡夫的になっていることに気づきます。それを「退行」といいます。
まあ、「凡夫の菩薩」という言葉もあるくらいですから、そのくらいの成長段階にいるのでしょう。
筆者は、残念ながら決して退行しないというほどすばらしい境地には到っていないのですが、折々に気づいて、気を取り直せるくらいにはなっているので、あまりがっかりしないことにしています。
もちろん反省はしますが、自己非難はしないのです。
自分の幸福とみんなの幸福をバランスよく追求することと、智慧の心をみんなで育てていくことで、生活の糧と心の糧を得ようとする、それが真理・コスモスの法則に合った生き方だとはっきり理解できると、人生に迷いがなくなります。心そして志が決まるのです。
決まっていたつもりなのに、いつの間にか迷いはじめる。
そういう場合どうしたらいいのかというと、要するに原点にもどることです。
……と偉そうに言っていますが、筆者はそうしています。
単純に、逸れたらもどる、逸れたらもどる、です。
自分と他者とが分離しており、損と得が別々にあり、幸福と不幸が絶対に別のものであり……と外界を分別して捉えてしまうのは、実体視された自分と自分のつごうを物差しにしているから、でした。
でもそれは、コスモスの現実に合っていない、非現実的、非論理的、非合理的な思い込みなのです。
非現実的・非合理的な思い込みで行動すると、短期には得をするように見えますが、長期には必ず損・失敗をします。
長期にわたってほんとうに自分のいのちを養ってくれるもの=糧を得たいのなら、コスモスの法則に従うのが賢いのでした。
自分の迷いや悩みの原因がすっきりわかると、爽やかな勇気が湧いてきます。
個人としても、社会・国も、人類も、一日も早く、コスモスの法則をしっかり見つめた英知に基づいた長期的な利益を追求できるようになるといいですね。
まずは、自分からそうしましょう。
きびしい時代だからこそ、短期的な幸不幸や損得に振り回されたりしないで、自他の長期的な幸福という目標に目を据えてしっかり追求していくというのが私のライフスタイルだ、と腹を固めなおしましょう。