「持続可能な国づくりの会」の賛同者のお一人の西岡秀三先生から新著を送っていただきました。
読むと、低炭素社会そして持続可能な社会が、ただの綺麗事・現実性のない理想論・実現不可能な夢物語ではなく、しっかりデザインできシナリオが書けるもの――したがってやればできること――であることが明快に理解できます。
率直なところ、たくさんのテーマについて数字の裏づけをしながら広く見渡しているという感じの本で、そういう意味では「面白い本」ではありません。読むこと、理解することに一定の努力が必要です。
しかし、その努力は、しっかりとした数字と理論に裏づけられた希望――例えば「原発に頼らなくても低炭素化は可能だ」――が見えるという意味で、必ず報いられる本でもあります。
以下、「はじめに」を引用・紹介しておきます。
一緒に読んで、一緒に考える機会があるといいですね。
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はじめに
東日本大震災では、地震や津波という自然の働きについてわれわれはなんと無知であったかを思い知った。引き続いて起こった原子力発電所事故では、自然の中では封じ込まれていた核反応を人問が操作することの限界を目のあたりにした。しかし同じ自然を相手にするのでも、じわじわ忍び寄る気候変動に対しては、自然からの警告を肌で感じながらも、それを無視するかのように、ものやエネルギーを大量に消費する生活を拡大し続けている。人間は自然への畏敬の念を忘れてはならない。自然の存在を忘れ、身の丈以上に高望みすると、自然は自然の論理で対応するからだ。
「安定な気候」は生態系を維持し、食料を生みだし、人々の日常を守る、すべての命の源である。あまりにも普通すぎてその存在さえ忘れられている。失われてみてはじめてその価値に気が付くものの一つであろう。いま地球規模での急激な温度上昇が観測されている。そしてその原因が、人間活動から排出される二酸化炭素など温室効果ガスの増加にあることが確認されつつある。一瞬にして起こる地震と違って、世界全体に広く不可逆的で甚大な影響がゆっくりと進む。さらに、南極の巨大棚氷の崩壊のように、一挙に数メートルの海水面上昇を世界にもたらす突発的で重大な変化も懸念されている。
世界の気候安定化への取り組みは、一九八○年代から始まった。「気候変勤に関する政府間パネル(IPCC)によりなされた科学的な認識をもとに、気候変動枠組条約(UNFCCC)での国際的な合意にもとづき、いまでは先進国・途上国とも「低炭素社会」に向けて大きく舵を切り始めた。
一九八○年代に成熟期に入った日本は、挑戦という言葉を忘れたかのように守りに入った。それ以来、将来を語らず、世界の動きを先取りすることもなくなった。築き上げた体制に安住し、改革に目を背けてきた。気侯の安定化に向けて産業社会を変えてゆこうとする世界の大きな流れを目の前にしても、将来ビジョンを語ることなく、目先の経済運営に終始している。変化に背を向ける人たちの、地球温暖化は嘘だ、二酸化炭素の排出削減はできない、やると損する、という大合唱が挑戦の足を引っ張ってきた。
しかし、もはや低炭素時代の到来は必至である。ならば、覚悟を決めてそこに乗り込んで行き、新たな時代の産業で国を興すしかない。日本は高齢化・人口減の国として世界の先頭を切っている。成長期で必要とされた、経済や産業における供給力主体の運営から、成熟期に入って、真の豊かさ、安全安心を保障する社会へと、生活者主体の運営に変わらなければならない時期にある。二一世紀の新しいモデルとして、自信と誇りをもって国を運営してゆくありさまを世界に示す絶好の機会でもある。
「低炭素社会」は日本が世界に発信した概念で、広く社会や個人の行動や考えの変革までを含めている。日本とイギリスの共同研究で提案されていた「低炭素経済」という表現では、この変革の意味を十分に表わせないのではないかということで、「低炭素社会」と言ったのである。
「低炭素」という言い方は物理的に響く。また「持続可能社会」や「グリーン成長」とどう違うのだという批判もある。しかし、気候の安定化を目指す仕会の目標は、やはり二酸化炭素を主とする温室効果ガスを排出しない世界を作るところにある。そこから目をそらせないためにも「低炭素」という言葉が欠かせない。気候を安定化せずに社会は持続可能ではないし、グリーン成長の中核は低炭素化にある。
この言葉は幸いにして多くの人たちの引用で世界に浸透し、いまや世界中で使われるまでにいたっている。
本書は、低炭素社会の具体的なビジョンとそこへの到達手順を示し、日本社会が大きくその方向に一歩を進める道筋を示したものである。
第1章では、科学的知見と世界政策の両面から、世界が低炭素社会へ向かう必然性を示した。その直こうには、さらに大きな挑戦となる持続可能な「ゼロ排出」の世界が待ち受けている。
第2章では、二〇五〇年までに二酸化炭素の排出を七〇%削減するという目標を達成するシナリオを描いている。このシナリオは、エネルギー需要はおよそ半分程度に削減可能だという見通しと、エネルギー供給側の大幅な低炭素化とによって実現可能になる。
エネルギー供給システムは、福島原発事故によって国民的議論の的になった。本書に関連したポイントは二つある。一つは、原発に頼らなくても低炭素化は可能だということ(第3章)。もう一つは、安全で安定したエネルギー供給システムの選択肢はさまざまにあるということである(第4章)。国民がその選択の貢任を負っている。
第3章では、省エネルギー・低炭素化に向けて、生活や生産の場でどのような技術が有望かを示している。低炭素社会への転換は、自然資源をより効率的に利用するよう知恵を絞ることでしか達成できない。
第4章では、低炭素社会に向けて企業や社会がどう変わらなければならないかを考える。低炭素社会は、人任せではできない改革である。すべての構成員がそれぞれの持ち場でなすべきことがあり、互いに働きかけて大きな流れを作らないとそこへは到達できない。
第5章では、そうした動きを推進するための政策の基本と、各国の戦略について述べる。気候の安定化がどのような形で可能になるのかには多くの論議があり、万能薬はない。個人の行動がものと時間の消費を通じて産業を変え、政治を動かし、インフラを新たにする。時間がかかる仕事である。だから長期目標を共有し、確かな道筋を見極め、徐々にそして確実に変えてゆく辛抱強さが必要である。
本書の内容は、二〇〇四年から二〇〇九年にかけて、環境省地球環境研究総合推進費による六〇名の研究者が参加した「二〇五〇日本低炭素社会シナリオ」チームの研究成果にもとづいている。本書の二酸化炭素削減シナリオは、国立環境研究所・京都大学・みずほ情報総研が開発した、気候変動政策のためのアジア太平洋気候続合評価モデル(AIM)によって裏打ちされているものである。(後略)