気多大社で光を浴びる
この動画は実際に私が撮影した動画である
今回、まったく予定ではなかったのだが
30年も金沢にいて、呼ばれたことがなかった気多大社に
踏み入れることを許された
撮影した場所は神門の領域である「入らずの森」の前
気多大社のことは、
気多大社の宮司さんと仲良しであった
とある雑誌社の社長さんから昔、話をよく聞いていた
しかし、私がこの神社にいくことはなかった
それがなぜかこのタイミングでいくことになるとは
気多大社は縁結びで有名らしく、重要文化財になっており
昭和天皇も入られた場所がある
すべてには意味があり
今年は特に、神の領域に呼ばれ
光を受け取ることが多い
このタイミングでいろいろなことが起きてくることを
自然な形で受け取っているが、この神社に来ることになったのは
とあるお医者さんと会ったからである
今回、不思議な仕事関係のご縁で
メディアでも有名であり、医師会理事長である、とあるお医者さんと会うことになっていた
石川県の能登で会食し、いろいろお話を伺うことができた
東京から車を走らせ、子供たちとラブラブし、金沢の自宅に一泊した次の日能登へ
チューの嵐攻撃を受けた(笑)
東京のコロナの感染者数は人口の一割にも満たない
しかし、メディアで報道する数が爆発的に大きくなっているので
東京=コロナ感染者という一種の「差別」が広がっているのが現状である
こんな大変な時期に会うことになったのにも意味があるのだろう
コロナ関係の話が特に興味をひくもので
50代以下のワクチン接種者が少ないとのことだった
この出会いは「自分の信じる道を進むこと」の重要さを教えてくれるものになった
今回の旅では
実際に表に出ないヤバイ金沢の裏事情、議員や国の政策の裏事情も聞いた
日本で唯一、車を浜辺で走らせることができる千里浜の砂が無くなった真実の理由は
とても悲しいものだった
すべての瞬間はパーフェクトである
手水舎がこの時期に水が流れているのを見るのはありがたい
入らずの森⇧
写真を撮ると、ここの気が澄んでいるのが分かる
世界の情勢は激しい
あるお坊さんの話で、戦火の中を歩くお坊さんの話がある
銃弾にあたることがないお坊さんは戦火の中を
ただゆっくりと歩く
彼の世界には戦争がないから
戦争がある世界から見ると
銃弾は彼を擦りぬけるように見える
しかしお坊さんの目には銃弾など見えていない
戦争がある世界に
銃弾など飛んでいない世界が
交差している
実はどの次元にも私達の意識は同時に存在している
私達の真実だと思う世界のエネルギーの次元帯を
私達自身が信じ込んでいるだけである
よって自分の世界に自分が信じているものが現れている
仏陀は仏陀にしか出あわない
私は私にしか出あわない
私の中に静寂なドットの部分が存在していれば
その世界が私の前に現われる
もし、何かに巻き込まれているのなら
その世界を自分の前に現す意味があるのだ
他を変えることはできない
自分の中にすべてが存在している
私はこの世界をどう見るのか?
あなたには何が見えているのか?