THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

集中力

2013-03-29 19:06:28 | セッション記録
日テレの深夜番組「月曜から夜ふかし」。マツコデラックスをみていた
眠れずにテレビをつけていた番組だったが
桐谷 広人さんが自転車で走っている姿を見て
目が釘づけになってしまった

じっと見ていると、この桐谷さんはまったく葛藤がない
自分の信じる道をただひたすら生きているのだ

誰かにどう見られるかとか
自分の生き方はどうか・・・なんて
そういう葛藤がない

ただ自分自身でいる

自分自身でいるならば、誰もあなたを批判することはできない

この言葉は、私のコーチが言った言葉だ

もう感動としかいいようがない

そしてつい最近好きになった人の中で
太田光代さんがいる

太田光の妻ということで恐妻で一般的には出ているが
彼女の生き方にも胸を打たれてしまった


一生懸命に自分のやるべきことをやっている人

これは私の指針でもある



つい最近の私は、癒しフェスタのイベントで集中する必要があるが
この集中というのが一番難しいものだと
言われる

何かを起こす時には、必ず自分と向き合わねばならないことが出る

そして私も自分と向き合っていた

真っ向からにらめっこだ

ありんこのように一つずつ壁を崩していくが
あまりにも大きな壁に圧倒され、逃げ出したくなることがある

自分のちっぽけさや、無力さ
色々なものを突きつけられ
それでもなお
進んでいかねばならない

生命の声はこう言っていた

「あなたが進みたいといったのだ
誰もあなたを邪魔することなどできない

あなたの道はあなた自身が決め、進むのだ」

集中することは、それ以外のことが消える

世界の0.03パーセントの人がその領域を体験すると言われている

普通は気を散らしている

集中するまでに自分を追い込むことがある
追い込み、ストレスをいっぱいにかける
もうこれ以上無理だというところまで追い込むと
ジャンプする

そうジャンプするには自己をその領域まで追い込むことが必要なのだ

そして集中が始まるとすべてが消える

私はまだ有り余っているエネルギーを持て余し
怒りというエネルギーに変換していた

「今日という日のやるべきことを明日に延ばすな」
「昨日やり残したことを今日やるな」

この2つの教訓が私の胸を突き刺していた

すべてが消える領域にいくには、この集中しかない
そしてこれが一番難しい

この領域は、誰かが何かを言おうとも
自分がどんな存在になりたいかなんてことも
なくなるのだ

肉体の痛みも・・・心の揺れも

一点に研ぎ澄まされる

すべての○○道とつくものは
この一点の研ぎ澄まされた領域・・・神の領域にいくための道の一つ

私はこの一点に限りなく近づくために自らを追い込んでいる

追い込んでいること
ストレス

これらは道に至るためのプロセスにすぎない

世界にはすごい人たちがいるものだ











満月・・・復活祭

2013-03-26 18:44:48 | セッション記録
今年の復活祭(イースター)・・・・
それは西方教会(グレゴリオ暦)と東方教会(ユリウス暦)が、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」 と決めた
ということで明日がその日にあたる

イエスが磔にあった後、3日間暗闇が世界を覆った

イエスの血が地上に流れることで、暗黒の時代の波動を変える必要があったのだ

ここ2、3日、私の体調はすぐれず、急な喉の痛みと発熱
扁桃炎だと医者は言うが、その日のうちに
あれほど痛かった喉の痛みが消えてしまった
そして昨日は夕方から急に背中に激痛が・・・
呼吸ができない
動かしても、じっとしていても痛い

人間には、説明のつかないことが起きるのだ

そして大抵そういうときはストレスだと片付けられる

マスターは喜びと哀しみを同じ領域と捉える

私はこの痛みと共にいよう

何かが動いている

それに逆らわず、痛みを受けよう

夕陽の中で久しぶりに光を見ていた
私はこの時空を生きている

風が私の魂と共に流れていった
ただあるがまま







社長のストレス

2013-03-24 07:41:57 | セッション記録
私を育ててくれた母に言われ、私はとある鼓笛隊に入っていた

小学校から中学校までの間だ

ある時中学生だった私は、運転手つきのベンツの後ろで
名古屋で有名な会長の家に向かっていた
勿論、会長の家に行ったのは、それ以上に力のある方に連れられて・・・
ということになる

そのころの私は、静かで真面目でおとなしいというイメージ
自分がどこへ向かうかもその時は知らず
たまたま、そういう流れになったのだ

名古屋の会長の家は大きな庭園が続き
車が着くとすぐに、何人かの青年が現れ
私達は日本庭園が見える場所に案内され
お茶を飲んだ

帰りに青年が運転手にキーを渡し
私達は車に乗り込み発車した

その時、運転手と話をしていたこちらの会長が
関心していた

行ったときよりも車はピカピカに磨かれ
ガソリンは満タンに入っていた

すべてが行き届いていた

心を尽くす

仕事をする

とは一体どういうことなのだろう・・・

中学生だった私が体験したことは今も私の身に染み付いている

「私は3歳から修行に出ていたのだ」

今になってようやく思える
親不幸者とは私のことをいうのだと思う



ある時、私はとある社長と話をしていた
現在社長のストレスは、ものが分からない人間が多すぎるという

何も学ばないのだ・・・と

この瞬間にいて自分は何をすべきなのか?
どう人に尽くすのか?
どんな心構えでいるのか?
一体なぜここにいるのかが明確でないのだ

私はこれを夢遊病と言っている

そして世の中の社長は求めているのだ

仕事がちゃんとできる人
指示通りにもできない
文句をいう
これが現在の従業員なのだと言っていた

仕事がないのではない
仕事ができない人がいるだけなのだ

自分を成長させるとは一体どういうことなのだろう・・・

生命は進化するか滅びるかのどちらかだと
私のコーチングの師は言っていた

今の自分に安定を求め、成長せずに他に何かを求める
これは進化しているのだろうか・・・
それとも退化しているのだろうか・・・

あるノーベル賞をとった方のコメントの中で
こういうものがあった

「私はまだ満足はしていない」

これはすごい言葉だと思った

十分世界に貢献しているのに、もっと研究をし続けますと言っているのだ

今、この瞬間にいて、私にできる最高の仕事をしよう

それが掃除でも、数を数えることでも・・どんなことでも同じように・・・

今できる最高の頭と体を使い、一生懸命にする

それができたら、すべてうまくいく・・・
これが原点なのだから















不眠

2013-03-18 03:07:12 | セッション記録
眠れない・・・
うたた寝をして目が覚めてしまった
気が遠のいていきそうになりながら
嫌な妙な風が吹く・・・

それらを仕方なく
静かに見守っていたが

私の中の機嫌は、暫く直りたくないようである

私達はよく、あの時こうしていればこうなったかもしれない
などと思う

こんな風にしていればよかった・・・とか

結果を見て後悔したり、道を誤ったなどと思う

でもそれはありえない
間違いはあり得ない
人生を間違うことなど出来ない

これは既に経験するものはするように
なっているということを示している

どんなに巻き戻しをしてもう一度同じ場所を通っても
同じように選択するようにできているとマスター達は言う

ということは私達に与えられているのは
その時々の反応だけということになる



私の機嫌の悪さは益々強くなっていき、それが生命の声を引き出していた
私は自分を責めていた

責めるということで自分を見たかったのだろう
厳しさと怠惰は似たようなものなのだ・・・



「大いなる領域に足を踏み入れ探求を行うとき

完全なるものに溶けることが必要になる時がある

自己を大いなるチャンネルに合わせ
風と踊るのだ・・・

あなたが風になって踊るとき
あなたの細胞は地球と共にある

人生において、どんな試練が待ち受けていても
その状況が受け入れられないときでも
踏み潰され、粉々になったとしても
それは風のようなものなのだ・・・・・

人生の中を通り過ぎ、又新しい何かがやってくる
それは受け入れがたいことかもしれないし
喜びを簡単にもたらしてくれるものかもしれない

しかし覚えておきなさい

どのような状況であっても
あなたであることに変わりはない

あなたは風に揺られ、水の中に沈み
火のように燃える
それらのすべててありなさい

どの瞬間も神の一部として
あなたの前に私は現れるだろう

さあ。私をあなたは見つけることができるだろうか?

私からはあなたがはっきりと見える
あなたは私であり、あなたがどんな状態かは関係がない

風の中に入って私に近づきなさい

世界の、この美しさを見せてあげよう・・・」

音を立ててビュンビュン吹く風に居心地よさは感じなかったが
私は肉体意識を超え、魂の次元帯にいて笑っていた

このアンバランスさ・・・その中に究極のバランスを感じていた

生きるとはこういうことをいうのかもしれない

まるで泣きながら笑っている子供のようだ・・・

思いっきり
ここに精一杯身をおいて

全部で受け止める

これぞ生きている証だ・・・・・



















ミッションステートメント

2013-03-04 21:51:45 | セッション記録
今年の私のトイレは、ちょっとした風変わりになっている
大きな文字でミッションステートメントが書いてある

●今日一日単位で考える

「私の一日は、今日一日しか存在しないとしたら
何をするか?

朝目が覚めて、今日一日すべてのことに対して
一生懸命に取り組む
出会うすべての人に誠意を尽くす
瞬間にちゃんといる」

私達の日常は
自然の流れで一日を終えてしまう
流れ作業のようなものが多い

それは今にいない

何かをする時に
違う何かのことを考えている
瞬間にいないから、後悔が残る
瞬間にいないから、相手と本当に繋がれない

●相手が送ってくるエネルギー(思考、感情、行動)が重要なのではない
自分がそれにどう反応し、どう誠意を尽くせるかが重要だ

その人そのものを受け取ること
どんなエネルギーでも、すべての人の中に神聖が宿っている

マザーテレサは言った
「目の前に神がこんな姿形で横たわっている」
憐れみではなく、生命への畏敬、生命への限りない尊厳
人間一人一人を神として扱っている
そしてこうも言った
「今目の前にいる人に全力を尽くすだけです」


師がこう言っていた
「すべての存在をアバターとみなしなさい」

これらの言葉は私を毎回トイレに入る度に
思い出させてくれる

私は常に自分に正直でいるか?
私は常に自分の生命を生きているか?

私はこの人生を生きたと
思いっきり生きたんだと自分に言えるだろうか?
そう問いかける

自分でいることは、真っ正直でいること
下手でいい。格好悪くてもいい。
一生懸命やるべきことをやる
何者になる必要はない
自分になる必要がある

手抜きではなく

目の前の与えられたことに全力を尽くそう・・・

常に自分にできる最大のことができるように・・・・
































コーチング

2013-03-03 22:06:00 | セッション記録
子供がよちよち歩きから様々なことを学ぶにあたって
模範となる人間が必要になる

殆どは側にいて生き方を見せている親がそれにあたる

反応、観念、物事の捉え方、人との関わり方
葛藤、恐れ・・・それを側にいて学ぶ

大昔はコミュニティーで子育てが行われ
代々引き継ぐ学びや信念などがあった

コミュニティーでは
ある程度社会を知り、自己のコントロールもできる
50代から60代の大人が子育てにあたる
どの子もみんな同じように叱り、同じように愛情を
注ぐのだ

20代30代は子供を産み、外で働く

エネルギーを社会に貢献することに使う

大昔のシャーマンの時代だ



近年は
親が子供の責任を一人で抱え、自分の感情もどうしていいか分からない
社会や地域とどのようなかかわりを持つのか、手探りの時に
いっきに責任が問われてしまう訳だ

人生にとって一番重要で、一番大変な仕事は子育てといって過言ではないだろう

世の中のお母さんという仕事がどれほど大変な仕事なのか

お母さんには誰もたちうちできない

お母さんであるだけですごいことなのだから・・・


私は21歳の時に子供を授かった
今小さな子供を見るたびに
今だったら、こんな風に落ち着いてみてあげれたかも?と思うことがある

なんせ生きることだけでも必死だった
よく生きてこれたものだと思う


さて話を元に戻そう

コーチングというテーマだ
私達は自分の感情の処理をどのようにしていくかを教わっていない
なぜ感情が出るのか?

人の反応は2つに分かれる
1つは開く
もう一つは閉じる

殆どの人は自分自身を守っていくために
様々な処方を取り続け、そこにエネルギーを向けているため
社会や人の犠牲者になっていると考えている
どうしたら自分を認めてもらえるか
どうしたら相手から自分を隠せるか
どうしたら相手より優れていることを証明できるか
どうしたら相手に勝てるか

これらはすべて閉じている行為といえよう

ブータン王国の王様が日本の子供達にメッセージを残していったことは誰もが知っていることだろう

人の中にはドラゴンがいて、私達はそのドラゴンを育てていかなくてはならないと・・・・・



禅のマスターはこう言っていた
「自らの内側に留まり続けなさい。けして外に出てはならない」

これは他者の領域に入っていって、こうしてほしいという期待を持つことも含め
相手に求めるものを自らが与えよと言っている


誰かにこうしてほしい(認めてほしい。これをしないでほしい。など)
こうすべきである(指示)
なぜこれをしてくれないの?(自己憐憫と期待)

これらは自分を自分で育てているのではなく
自分ではできないから、鏡に映っている自分を見て鏡をなんとかしようとする行為に似ている

私達は人間なので感情があって当然なのだが、
感情がでるのは、その内側にある自分で映し出す観念によって心が動くのだ

人間は共感能力がある
だから、誰かが淋しければ伝わるし
誰かが怒っていればそれも伝わる
誰かが悲しいと思えば、悲しみが伝わる

それが人間であることの醍醐味だ

感情を感じるのは、神からの贈り物である

だからしっかりと感じるべし

不感症が一番よくない

赤ちゃんのように純粋に、泣いたり、笑ったりするのがいい

ただ、感情は素直に出すことを世間や周りが許さないことがある

そうすると自分を隠し、感情を感じることを恥じることになる

感情は曲がった形で出るとなかなか処理できなくなる

すべてをちゃんとした形で理解することができると
もう個人的に色々受け取ることがなくなる

たとえ、誰かが傷つくような暴言を投げたり、無視という形をとっても
傷つくということが減ってくるのだ

殆どの人は自分を守る

相手の送ってくるエネルギーを
理解し、なぜその反応をしているのかが分かれば
ニュートラルに受け取れる

それには少し訓練が必要になる

誰かより優れることもなく
犠牲者でもなく
自分に向き合っている状態

それには子供と一緒で学ぶことが必要になる

ちゃんとした理解は人を自由にする

自由とは、好き勝手することではない
自由とは、自分の枠を自らが取り払い
完全に自分の魂と一体になっている状態だ

考えてみてほしい

もし自分にあるすべての問題を自らがクリアできたとしたら・・・
あなたの世界はどのように変わるだろうか?

今年は癸の巳年

一人一人がどこへ辿り着きたいかが重要になってくる

自分の本当の内側の声が、あなたの道になるのだから・・・・