もう0時をすぎ15日がすぎた
夜中に車を走らせ、心の中にある何とも言えない悲しみと人恋しさに
むしょうに泣きたい気分だった
このまま車を走らせ、どこまでも道が続くかぎり
心のままにいたい
そんな風に感じていた
久々の悲しみが押し寄せるように、私の中を行ったり来たりしている
数日前から泰三さんが私の心に入ってきている
この悲しみは、泰三さんの悲しみなのか、強く私を惹きつける
ずっと封印していた胸の奥で、恋しい気持ちと、一人ぼっちという気持ちが
私の心をいっぱいにしてしまう
この感覚は泰三さんと一緒にいた時に、泰三さんから感じていた感情だという事も
私の中で答えは分かっている
ずっと一人で暗い海の底にいた
そんな風に聞こえていたのだった
亡くなる前日だった
彼はいつでもポーカーフェイスで、素知らぬ顔をしていたが
心の中でどれだけ愛を求めていたか・・・
深い見えない暗闇にたった一人で・・・・彼はボロボロだった
深いところで終了させたかったのだろう
彼の深い悲しみを知った時、私も一緒に落ちようと思っていた
彼はそれを望んでいた
でも一人で逝ってしまった
美しい顔をしていた
彼は落ちたのではなく、神になった
亡くなる瞬間までずっと私達は二人きりだった
とても静かだった
あるマスターが言っていた
「時には深く悲しむこととても大切なのです。
深い悲しみというのはとても個人的なことなのです。
これは癒しでもあるのです。
もしかして初めて一人になりたいと思う出来事かもしれません。
時々若者の葬儀に出席するという名誉なこともあります。
若者が銃で撃たれて亡くなったりしたときに
多くの若者が葬儀に行きます。
自分と同じ年の死体を見ます。
13歳がお棺の中に横たわっています。
彼らにとって初めて見る遺体かもしれません。
ビクともしない状態を見るのです。
それを見て彼らも動かなくなるのです。
私はこれを死のダルシャン(死による精神の高揚)と呼んでいます。
若者は常に次は何をしようかと考えていて
いつも何かしらの興奮状態にあるので、こういう経験が大事なのです。
私の子供たちは兄弟の遺体を自分たちの意思で見ました。
遺体を見て号泣しました。
私は彼らの涙を止めようとしませんでした。
この瞬間に深く悲しむことがとても大切だからです。
一人になって深い悲しみを味わって
その悲しみが空っぽになるまで悲しんだら、悲しみは終わるのです。
それは一日かもしれない。一週間、一ヶ月、ずっとかもしれない。
でもそれもなすがままに任せておくのです。
それは心の友なのです。
又、それは慈悲の表現でもあるのです。
心の底から思いっきり悲しんで
泣きたいだけの涙を流して
空っぽにするのです。
そうするとこの深い悲しみから
何かが深く生きはじめてくるのです。
そういうことなのです」
泰三さんの漫画がコミックになることが決定した
一周忌の6月15日ぶんか社より発売になる
「車いすのカウンセラー、いのちの声をきく」
彼はまだ生きている
私の中で私の身体を通して、感情を感じているのをはっきりと感じる
この現実の世界の領域に、生きていた人格として存在できるのは1年だと聞いている
泰三さんの意識を強く感じるのは、そのためなのかもしれない
遠く・・・どこまでも歩き続けて、疲れるまで歩いたら
気が済むだろうか・・・
蛙の声は聞けず、大雨が降り出した
私は深く自分の中へと入っていこう
このままずっと・・・
夜中に車を走らせ、心の中にある何とも言えない悲しみと人恋しさに
むしょうに泣きたい気分だった
このまま車を走らせ、どこまでも道が続くかぎり
心のままにいたい
そんな風に感じていた
久々の悲しみが押し寄せるように、私の中を行ったり来たりしている
数日前から泰三さんが私の心に入ってきている
この悲しみは、泰三さんの悲しみなのか、強く私を惹きつける
ずっと封印していた胸の奥で、恋しい気持ちと、一人ぼっちという気持ちが
私の心をいっぱいにしてしまう
この感覚は泰三さんと一緒にいた時に、泰三さんから感じていた感情だという事も
私の中で答えは分かっている
ずっと一人で暗い海の底にいた
そんな風に聞こえていたのだった
亡くなる前日だった
彼はいつでもポーカーフェイスで、素知らぬ顔をしていたが
心の中でどれだけ愛を求めていたか・・・
深い見えない暗闇にたった一人で・・・・彼はボロボロだった
深いところで終了させたかったのだろう
彼の深い悲しみを知った時、私も一緒に落ちようと思っていた
彼はそれを望んでいた
でも一人で逝ってしまった
美しい顔をしていた
彼は落ちたのではなく、神になった
亡くなる瞬間までずっと私達は二人きりだった
とても静かだった
あるマスターが言っていた
「時には深く悲しむこととても大切なのです。
深い悲しみというのはとても個人的なことなのです。
これは癒しでもあるのです。
もしかして初めて一人になりたいと思う出来事かもしれません。
時々若者の葬儀に出席するという名誉なこともあります。
若者が銃で撃たれて亡くなったりしたときに
多くの若者が葬儀に行きます。
自分と同じ年の死体を見ます。
13歳がお棺の中に横たわっています。
彼らにとって初めて見る遺体かもしれません。
ビクともしない状態を見るのです。
それを見て彼らも動かなくなるのです。
私はこれを死のダルシャン(死による精神の高揚)と呼んでいます。
若者は常に次は何をしようかと考えていて
いつも何かしらの興奮状態にあるので、こういう経験が大事なのです。
私の子供たちは兄弟の遺体を自分たちの意思で見ました。
遺体を見て号泣しました。
私は彼らの涙を止めようとしませんでした。
この瞬間に深く悲しむことがとても大切だからです。
一人になって深い悲しみを味わって
その悲しみが空っぽになるまで悲しんだら、悲しみは終わるのです。
それは一日かもしれない。一週間、一ヶ月、ずっとかもしれない。
でもそれもなすがままに任せておくのです。
それは心の友なのです。
又、それは慈悲の表現でもあるのです。
心の底から思いっきり悲しんで
泣きたいだけの涙を流して
空っぽにするのです。
そうするとこの深い悲しみから
何かが深く生きはじめてくるのです。
そういうことなのです」
泰三さんの漫画がコミックになることが決定した
一周忌の6月15日ぶんか社より発売になる
「車いすのカウンセラー、いのちの声をきく」
彼はまだ生きている
私の中で私の身体を通して、感情を感じているのをはっきりと感じる
この現実の世界の領域に、生きていた人格として存在できるのは1年だと聞いている
泰三さんの意識を強く感じるのは、そのためなのかもしれない
遠く・・・どこまでも歩き続けて、疲れるまで歩いたら
気が済むだろうか・・・
蛙の声は聞けず、大雨が降り出した
私は深く自分の中へと入っていこう
このままずっと・・・