THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

魂と肉体意識

2014-10-26 18:52:24 | セッション記録
集中治療室に入り、少しずつ病状が落ち着いてきた娘は無事退院した

沢山の方がヒーリングのエネルギーを送って下さった

どれだけ心強かったか・・・


脳のCTを撮りに、11月に通院するのだが、しばらくは薬で血圧を管理することになった

夕方、頭が痛いというとドキドキして、心配になる

意識がちゃんとあるか部屋に見に行ってみたり

しばらく状態が落ち着くまで、赤ちゃんと、娘から目が離せない


私自身、心配性という傾向は一切なかったのに
こんなにしんどくなるのは、やはり泰三さんを看取っているからなのか・・・・

色々なものに動じない私が、娘の命を心配するあまりに、しんどくなる

そして泰三さんの写真を見ることを避けている自分を発見

やっぱり、かなりの衝撃を受けていたんだと、自分のことなのに今ごろ気づく


生と死は宇宙の創造主の領域・・・

死は大いなる存在に再び繋がる

理解はできるが、私の肉体意識は、分離することの悲しみを感じているのは事実だ


家の前の畑から、鈴虫やコオロギが鳴いている

夕陽が並木道を照らし、そのあまりの美しさに

高揚し、そして静かになる

私は私として生きている


魂と肉体の組み合わせは奇跡のようなものだ

世界の美しさの中に神を見ることは

私にとっていいようのない至福の中に入ることであり

同時に感じる恐れさえも、静かになっていく・・・


魂は恐れをもたない

どこへ辿り着くのか・・・



師の言葉が私の中で響く

「人生を創っているのはあなただ・・・何を信じるか、何を見るのか・・・」


私達は見たいものだけを見る
見たくないものは見ない

魂が主権を持っているということがどういうことか


「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」エリナー・ルーズベルト

私はこの言葉が好きだ


今後の世界は大きく分離されていくと言う

何を見るのか・・・・どのように世界を映すのか・・・・

人の体験や見方を変えることはできない


それは時にお別れを意味することもあれば、対立を意味することもある

新しい世界に入った今、今までと違うあり方が問われる

何を指針とし、何を信じ、どんな世界を創っているのか?

究極は自分へと辿り着く旅なのだが・・・・


私は宇宙の旅人
地球の懐で自らを知る植物のように
私はこの地上に下り、自らを知っている









神の計らい 「娘の病状」

2014-10-21 10:50:18 | セッション記録

18日土曜日に娘は、赤ちゃんと退院してきた。
産後、1ヶ月は実家に帰ってくる予定だったが、その日は旦那が休みなので一緒にいたい
と言う事で、車で5分の場所に住んでいる娘の家に
通い家政婦をする予定にした。

朝から自転車で御飯を届け、洗濯をして、娘の様子をみていた

昼頃、娘から電話があり、熱があって頭が痛いから風邪ひいたかも?薬買ってきて…と言っていた

母乳が沢山出るから、少し頭が痛くても薬を飲まなかったのに、よほどしんどいのだと思っていた。

薬と夜御飯を持って、娘の家に行くと、娘は、自分が誰でどこにいるのか、分からなくなって、トイレでたちつくしていた

こっちにき来て座りな…って言っても、自分ではそれが出来ない

意識障害だった

急いで、産婦人科に電話したら、様子を見てと言う事で、
様子見てたら、娘が大変な事になると思い、大病院の緊急救急外来へ連れていった

あまりにも沢山の患者さんで、40分くらい待っ診察、検査へ…

血圧210以上、CTを何度かに分けて撮った
脳に異常はなく、産後の中毒症によるものらしい
帰って様子を見て下さいと言われた後、けいれんが起き、意識がなくなった

集中治療室に入り、人口呼吸機器をつけ、
血圧を下げる薬を点滴からいれた

発作が何回か続いているので、入院、検査、を行う

泰三さんが亡くなって以来、めっきり弱くなった私は、
娘の姿を見ていられず、倒れそうになっていた

生後6日目の赤ちゃんを抱っこして、病院通いになった

夜中にもが関わらず
皆さんにヒーリングして頂いた

妹も祈りを送りはじめたと言って
ラインで、送られてきた

「ミキに、エネルギーを送ろうとしたら、あちこちから、強い光が、四方八方から来て、暗闇が押し出されている。
すごいパワー。暗闇が小さくなって入る隙間がない
大丈夫だよ」

妹は、ヒーリングの仕方も知らないし、みえるわけでもない
でも彼女が祈り始めたら、こんな風だった
って、連絡がきた

その後、娘の意識が戻った

赤ちゃんの記録を毎日撮ってあげようと思う

みんなが助けてくれている

一人じゃない

心配して、赤ちゃんのお世話をし、カレーを作って持ってきてくれたり
電話してきてくれたり…

精神不安定だが、赤ちゃんがいる事で生きる意味が見いだせる

家族と共に…みんなを見守りながら、一緒に生きていける
幸せを感じる事ができる

娘が意識不明になる日の朝、私に今朝見た夢の話をしてくれた。
「親族が亡くなる夢で、夢占いを見たら、いい夢だって書いてあったのー」

この結果がこれか…

けいれんの発作で何度か意識を失う
何度も時間の経過と共にCT室へ…
脳の障害は大丈夫だった

まだ、集中治療室だから心配は、つきまとうが
一歩前に進んだ気がしている


長年、私を守ってくれたヒーラーの友人は、
これが神の計らいなんだね…って電話で言っていた

一人の生命が、一人の生命を救う

赤ちゃんと、娘を思う気持ちが私を再び、地上に戻している




愛は地球を救うと言うが、愛する存在がいる事が、
生きる意味を与えてくれた

「泰三さん、ずっと一緒…あなたも私達の家族だからね」


結婚記念日

2014-10-14 20:21:15 | セッション記録
今日は、結婚記念日

「泰三さん。私と結婚して幸せだった?
私はずっとあなたのお嫁さん…
ずっと傍にいるからね。一緒だよ…」

泰三さんが近くにいて笑っているようだった






娘がお母さんになりました

2014-10-13 23:56:19 | セッション記録
10月13日、娘に女の子が生まれました。
母子共に元気です。

子宮口全開から、いきみはじめて三時間半

赤ちゃんの顔の向きが、逆で
なかなか下に下りれなかった

今日生まれなければ、帝王切開…って言われたのですが、
無事生まれました。

泰三さんを亡くしているので、
亡くしてしまう恐れが心配にかわり
立ち会っていたのですが
途中しんどくなってしまいました。

それで、フェイスブックで皆さんに祈りと
ヒーリングを送ってもらいました。

それから、すぐに生まれました。
本当に皆さんありがとうございました。

娘は忍耐強く、痛いとひとことも言わず、
静かに痛みに耐えていました。

「今までで一番幸せ」って言ってました。

沢山の人に見守られ、本当に幸せです。






マスターの言葉よりも…

2014-10-10 23:30:48 | セッション記録

窓から空を見て、星や月をみ見るのが小さい頃からの夢だった

今は窓から月が見え、月の灯りで眩しくて眠れない

蛍光灯が嫌いな私は、夜になるとロウソクをつけ、
部屋を暗くするのが好き


ここ数日落ち着かないのは、
予定日を4日もすぎているのに、
娘の陣痛が始まらず
生まれないから…

このままいくと、孫の誕生は私の誕生日と同じ日になるかも?…

もうすぐ私達の結婚記念日

10月は私達にとって思い出が沢山ある月で
泰三さんも気にかけてくれているのか
よく繋がれる

嬉しい

ずっと本棚にあった本を取り出し読み始めた
とてもいい本で、先日エックハルトトールと
対談したウェインWダイアーの著書だったが、
おもしろい現象が起きた

Being
ただありのままでいて、委ねて、何もする必要がない

それを説いていた


勿論大事な事が沢山書かれてあったが

BeingとDoingのバランスの事については触れていなかった

本を読み、瞑想に入っていこうとした瞬間
泰三さんの声が入ってきた

「子供の時の傷は癒せる。だから子供には頑張れ、頑張れでいいんだ。」

それは人間体験をせよという事だった

傷つき、悩み、迷い、盲目で進む

不安、自己不振、上がったり下がったり…

そういう沢山の体験を通して、道は繋がれていく

私は泰三さんと笑いあっていた


そして師の言葉も同時に響いていった

「どんなマスターの言葉よりも、一人ひとりの人間体験は偉大だ」

どこにも正解はない
あるのは、その瞬間、自分の内側で何を感じるかだけだ…

「あなたの人生を思いっきり、自分のまま生きなさい」

そんなふうに内側で響いていた


娘はお母さんとして、もうちゃんと生きていた

月の灯りと共に、私は泰三さんと一緒に空を飛んでいた

地上に下りてくる魂に、すべての魂が祝福し、
準備をしている

それらを見ながら、私の心はいつの間にか、静かな気持ちになっていった


ブログコメントについて (隠れることはできない)

2014-10-04 21:47:07 | セッション記録
みなさん、沢山のコメントありがとうございます

かずまさん、泰三さんの本が少しでも役にたてたら、嬉しいです

そして純粋な気持ちを届けてくれて、本当にありがとうございます

泰三さんは長い間、麻痺した右足に神経痛があり、激痛で叫んでいました

それが一日で終わればいいのですが、1週間とか続く時もあって

その度に、自分が何をしたっていうんだーって神に訴えていました

本当に見ていて心が痛かったです


でも彼は生き様を見せ続けました

かずまさん自身も大変な状態なのに、優しいコメント本当にありがとうございます


泰三さんは精髄損傷になって、それだけでなく、4年前に高速バスの事故で首もやられてしまったので

私と出会った時は、殆どトイレに立つことも一苦労だったんです

手の麻痺もあって、サインをよく頑張ってしたなーって思うほどです

亡くなる3ヶ月前から、ベッドから一人で起き上がれなくなり

私がいないと何もできない状態でした


でも、私達は深く繋がっていきました

短い時間しか一緒に生きられなかったけれど

人生の中で一番幸せでした


泰三さんと私はお互いに幼少期から親と離れているので、

幸せという感覚が分からなかったのですが

二人が一緒にいるのが自然になっていって・・・

お互いの存在がお互いを支えたのです


いつも泰三さんは言ってました

「俺はこんな身体なのに、普通に仕事をしているから
みんなは、俺が重度の障害者だってことを忘れるんだ」

それは彼にとっては辛いことでもあったのです

私達のパートナーシップは多くの人を変えました
多くの人が影響を受け、人生を変えていきました

本当の愛と絆は、自分たちだけではなく
多くの人の人生に何かをもたらすことになるのだと
私達は感じていました

これからもずっと彼と一緒です



死ぬのは全然怖くないことがわかりました

フランスの空港で、散弾銃を持った兵隊が、
今にも発砲するぞといわんばかりの体制でウロウロしていますが
恐れを感じませんでした


向こうに行っている時に、フランス政府は脅しを受けていて、市民でも殺すといわれていて

姪っ子は長期滞在なので、フランス大使館からメールが来ていたのです


むしろ守られているとさえ思いました

生と死さえも超える何かがあるのだと思います


ここにコメントのことを書いたのは理由があります

コメントの中に、ひどいコメントを送ってくる人がいます

それでコメントを拒否させていただくことにしました

私を応援し、愛してくれる人たちのコメントまで拒否することになるのですが
これは仕方ないことだと思います

誰だか知らない人・・・というところで隠れることができるのがブログの特徴ですが

この方は、誰かから隠れることはできても、自分からは隠れられない

自分が出したエネルギーは、自分に返るということを知らないのだと思います


人間には、やってはいけない幾つかのことがあります

自分の感情のはけ口に、他人を中傷することに使うこと

自分の問題をやらないで、他人の人生に入り込むこと



汚い言葉を皆さんにさらすことはしたくないので
拒否という結果に至りました

この件については、裁判ということも考えています

今は隠れることができない時代になっています
どんどん色々なことが明るみに出て、はっきりするのです


皆さんとはやり取りができなくなりますが、応援してくれていることは
伝わっています

ブログは自分の心が静まるので書いています

でもこういう形をとる必要があることに悲しみと憤りを感じています

理解されない悲しみではなく、隠れて悪さをする人がいるということに対してです







サンシュルピス教会 結婚式 聖歌 

2014-10-04 21:47:07 | セッション記録
サンシュルピス教会にて


ここ数日、私の誕生日や二人の結婚記念日が近いからか、泰三さんのエネルギーを感じることができる

去年の誕生日は、泰三さんは忘れていて、私は朝から機嫌が悪かったこととか
結婚記念日だねとか、色々話をしている

彼の愛を感じる

この動画はフランスでの最後の日のサンシュルピス教会に行ったとき
聖歌を歌って、結婚式を挙げていた生の声・・・

聖歌を聴きながら、教会内部を歩いた動画

泰三さんが私に、様々なメッセージを送ろうとしてくれているのが
分かる

日本に帰ってきてから、眠れない日が続き、死にたい衝動が続いている

そんな中で、泰三さんを感じることができるのが、救いになっている


美しい声に魅せられながら、私はより一段と泰三さんの声を聞きはじめている

泰三さんと繋がるたびに「泰三さん愛してるよ・・・」って何度も何度もつぶやく

そんな中、少しだけインスピレーションが下りてくる

私が生きれるように、彼が見守って働いているのが伝わってくる








泰三さんの匂い

2014-10-02 01:36:08 | セッション記録
日本に戻り、妹の家に置いてもらっていた車に乗り

子供が待つ金沢へ向かった

車の中は、懐かしい泰三さんの匂いがした

隣に泰三さんがいるかのようだった

そして色々なことが思い出されてきた



泰三さんは亡くなる2週間前にこう言っていた

「友子には子供がいる・・・でも俺は一人きり。だから友子は帰さない」
「友子を一人占めにするんだ」

今まで愛してる?って聞くと愛が分からないと言ってはぐらかしたり

「俺は依存しないよ。誰にも・・・
依存することは自分でその後生きていけなくなるから」

と言っていた彼が、色々な本音を語ってくれた

ふざけて、愛してる愛してる・・・と独り言のようにつぶやいていた事はあっても

泰三さんはいつも自分の心をはぐらかしていた

その彼が私にこう言った


「俺は友子に依存するよ。いいか?・・・」

それは自分の人生を委ねるよという証でもあり

信頼という深い絆で結びついた証であり

彼が恐れを越えた瞬間でもあった

私達は深く繋がった


泰三さんはお別れするという言葉を言われるのが嫌いだった

喧嘩をするたびに、「別れるって言わないと言え!」って言っていた

最期の2週間は私達にとって、今までにないくらいの結びつきだった


喧嘩をするたびに私は言っていた

「お別れをするのは、あなたが死ぬ時か、私が死ぬ時かどちらかや。それ以外はない」

だから本気で別れを決意するなら彼を殺すか、私が死ぬか、どちらかの選択をすると思うくらい
異常なくらいの愛だった

でもそれは彼が望んでいたことでもあったことを私は知っていた

「友子の俺を好き好きっていう態度・・・結構居心地よかったんだ」


死ぬ前日、彼はポツリと言った


私は彼から一時も離れられなかった
離れたくなかった

彼のすべてが私を惹きつけていた

出会ってからずっと
彼は私の命であり、私の生きる意味だった


泰三さんの商材の動画を作成する時は
私が撮った一枚一枚を動画にしながら
言葉を付け加えていった

本気でブロマイド集を出そうと思っていた
妹に止められた

泰三さんも笑っていた

大谷由里子さんに呼ばれた講演の中で
「私の妻は本気で僕のブロマイド集を出すと思います」と照れくさそうに笑って言っていた


私は泰三さんの写真を撮ったり、動画を作成するのが好きだった

何度も何度も、何日も、一つの動画を作成するのに
繰り返し動画を見ながらの作業・・・・

どこから沸くのか分からないほど、私の内側で、泰三さんへの愛しさが溢れて
泣いてしまっていた

たかが動画作成なのに・・・


私はたまらなく彼が好きだった

そして動画を作成中に涙が止まらなくなると、隣の部屋にいる泰三さんのところに
駆けていって、泰三さんの傍にじっと座って、足腰にもたれかかり離れなかった



ずっと眠れない、一日4時間睡眠があればいい方だった泰三さんが
私と一緒になって、少しずつ眠れるようになっていった

8時間とか寝てくれた時は、本当に嬉しかった


泰三さんのいびきが私は大好きだった

彼が生きていることを確認できる一つの方法だったのもあるが
まるで私には子守唄のように聞こえていた


一緒になった頃は、大きな声でうなされる日々が続いていたが
それも、結婚式が終わると無くなってきた

私と一緒になってから、2回死にかけたことがある

一回目は、一緒に住み始めてすぐ、緑膿菌にかかって、いつ治るか分からず
抗生物質も効かない、下手すると死に直結する病気にかかったこと

そして2回目は今年に入ってすぐだった


とにかく私は泰三さんとの繋がりが強すぎて

自分の仕事は重要なことだけは済ませるが、どんどん仕事を減らし

辞める決意でいた

東京で彼のサポート優先で、あまった時間で自分の仕事をしようと考えていた



子供たちの面倒は見れなかった

でも金沢へ帰れば、泰三さんは子供たちを、とても大事にしてくれた

子供が警察沙汰になった時も、全部処理をしてくれて

子供たち一人ひとりと、私よりも密接に関わり、家族として共に怒ったり喜んだりしてくれた

子供が一番泰三さんに懐いていた

俺は父親にはなれないよって言っていたのに
いつのまにか泰三さんは、時にはよき友人として、父として
男としての生き方を子供達に見せてくれていた

彼はかっこよかった

最期まで、男として私の前でいてくれた


そんなことを思いだしながら、トイレ休憩2回のみのノンストップで
金沢へ辿り着いた

6日の予定日で子供に赤ちゃんが生まれる

だから一刻も早く帰る必要があった


夜、眠れずにベッドの中にいたら
虚空の中に闇が入ってきた

それは孤独、無だった

光の中で体験する無と、闇の中の無

同じなのだけど、私は死にたくなっていた

ロウソクをつけ、外に出て、田んぼにむかって道路に寝そべって
空を見ていた

最初はパラパラ雨が・・・・それでも外にいるのを止めなかった
そしたら、どんどん雲が晴れ、星が出てきた

鈴虫なのか、コオロギなのか、虫の鳴き声に耳を澄ませた

し~んと静まり返った静寂

1時間くらいして、私は諦め、眠れないベッドに入った

次の日の夕方、子供達と買い物にでかけた

夕陽が、あの飛行機の中で見たオレンジ色とまったく一緒だった

一瞬の出来事だった


その後何事もなかったかのように、又、虚無、暗闇が訪れていた

泰三さんを亡くした悲しみが無くなった訳ではない

私は肉体を持った人間なんだ


フランスに行く前から、ずっと頭痛に悩まされていたが
その頭痛が再び私を襲っていた


心を静めたいという気持ちが常に私の中に存在している

呼吸を整え、静かに座り目を閉じる


感情を殺す気はない

記憶喪失なのだ

泰三さんとの記憶を私は魂に刻み込もうとしていた


車の中の泰三さんの匂いは、私の精神を安定させる


私は深い海に潜ったまま出てこようとしていない自分を見ていた

空に向かって、私は叫んでいた

「私を早くあなたの元へ帰してほしい。早く連れていってほしい」

私の叫びは朝まで続いていた


時間は流れる

人間である以上、悲しみがなくなる訳ではない

今を生きていくのが苦しい時もある


私はあのオレンジ色の夕陽を思い出そうとしていた

やがて
泰三さんへの悲しみと、光がゆっくりと織り交ざっていった