THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

現実に起きている現象

2011-05-26 07:06:17 | セッション記録
し~んと静まりかえった虚空の光景が広がっていた
誰もが息をひそめ、死んでいるのか生きているのかさえ分からない

地球に何か大いなる宇宙の意思が降りてきている
巨大なうねりの波が押し寄せるかのように
地球の時空が開き交流し始めている
その光景は波の交差のようなものに見える

光が降りると、それぞれ存在していた時空が交差し始める
地球のシフトと呼ばれている現象なのだろう

私はただ起こることを眺めていた

人間である以上私は痛みや哀しみを感じるだろう
それはとてつもなく痛く、とてつもなく孤独だ


この現象はもう何年も前から始まり
今年異常に強く起き
私たち人体に影響を及ぼしている

肉体感覚では神経組織が敏感に反応する

ここに存在していないようなふわふわした感じ
体が自分の体のように感じない
風邪のような症状が長引く
肉体的な問題が浮上する
感情的なエネルギーの制御ができない
抑圧された葛藤が出ると同時に
カルマが浮上するため
自己の中に潜んでいた問題を他の中に投影する
他に対しての怒り、批判非難、疑心暗鬼
感情を抑圧していた場合、うらみ、憎しみなどに転化される

今は亡き、インドのマスターはこう言った

「幻想が現実化することを存在は許さない
あなた方は出来事を通して裸にされる
そうして出てくるのは抑圧された葛藤で
大抵はネガティブで見たくないものだ
そうやってあなた方はマスクを剥がされる
剥がされた時、真の自己と向き合わされる
自己の真実から逃げることはできない
その時、本性がむき出しになる
あなたが真と繋がっていればあなたは放射体になる
そこには欺瞞も嘘も体裁も一切存在できない
ただ真実のみが存在する」

世界は光が降りてくると同時に、自己の全存在の大きな波に飲み込まれ
揺さぶりをかけられる
それはまるで地獄のような暗闇に見える

私の中に生命の声が降りていた

「この暗闇をしっかりと見ていなさい
他の現象として捉えるのではなく見るのです
ジャッジが落ちた時、あなたは真実を知る
すべては神の戯れであり、どの現象も、どの感情も
小さなホコリや塵でさえも
私でないものは存在しないことが分かるだろう
そして暗闇も光も、ただ私が存在するだけなのだということを知るだろう
世界は闇に包まれている
そしてその闇の中に真の私を見ることができれば
あなたは私を知ることになる

私はただ存在する
あなたがそれに味をつけ色をつけていく
反応だけがあなたのものだ
あなたの反応はあなたという存在の表現として放射される
そして私の目に映るのは、どんな表現も美しい・・・
真の自己と繋がりなさい
あなたの奥から湧き出てくる源泉を溢れ出させなさい
そして人間であり続けなさい
源泉こそ真のあなたの表現・・・あなたの命なのだから・・・」

風が吹いていた

私が生命の声と繋がるとき・・・そこには必ず風がある
インデァアンで風と共にあった多くの転生そのものの私が立っていた
丘から下を見下ろすと、山や動物、すべての生命の声が聞こえる
これが私だ
それぞれの転生に行き、私は自己と繋がってきた
過去、未来、全部が今という瞬間と繋がっている

そして私は今、ここに存在している

この瞬間に身をなげて、闇と光と中間を最大に謳歌しようと思う


「癒しフェスタin金沢」イベントが動きだした

7月16日(土)17日(日)

金沢駅東広場もてなしドーム

すべての存在と共に歌を歌いたいと思う

http://iyashi-festa.com








コメント (3)

見えない繋がり

2011-05-11 06:59:32 | セッション記録
5月8日母の日・・・
私はちょうど東京にいた

3歳の時から母とはその後30年近く離れていたが
33歳の時に探しあて、私たちは再会した
その後10年ちかく、金沢と東京での交流が続いていたが
ここのところ私の中で母と向き合えない時期が続いていた

あまりにも長く離れていた私たちを取り戻すには
私の中にある裏切りという概念を溶かす必要があったが
辛い記憶を完全に封印し、閉じ込めていたものを
出してくるには、長い時間と根気が必要だった

私は凍ってしまっている感情をさらに凍らすことによって
母との関係を保とうとしていた
そしてそんな感情があったことに気づくのに10年もかかっていた
人が一度受けた衝撃は、自己が認識できないくらい深く刻み込まれていく
そしてそれを溶かすには、やはり時間が必要なのだということを改めて再認識していた



妹と母と連絡をとり、私達は品川の新しくできたホテルの側にある
吹き抜けのオープン席があるエスニック料理の店で会うことになった

妹の人生と、母のおくってきた人生、そして私の人生が重なっていった

3人とも久しぶりにお腹を抱えて笑っていた
長い時間の苦労と痛みが溶けていくようだった

母は私に自分が食べたパンを半分に割いて、私に「食べな」と渡した

その瞬間私の意識は3歳前に戻っていた

3歳前に母が私にまったく同じことをした光景がはっきりと蘇ってきた
離乳食を与えるために、母が私の口に食べ物を運んでいる光景と
感覚と匂いだった

まったく私は3歳前の赤ちゃんだった

母にとって私は、まだ3歳前の赤ちゃんのままなのだ
母にとっても時間は止まったままだった

私たちは最後に写真をとった
母と並ぶと母の胸が私の胸と重なった

その瞬間、私と母との止まった時間が流れ始めた気がした
私はまだ母の胸の中で、眠っている赤ちゃんのようだった

母と妹と別れてから、私は母に聞きたいことがあったことを思い出しメールで聞いてみた

「なんだか不思議なんだけど、ママの歌声を初めて聞いた時
自分の中の魂が目覚めた感じがしたんだ
それはまるで懐かしさで魂が震えるといった感じ・・・
私の小学校の時は、音楽と体育が大好きで、この2つだけは
ずば抜けて成績がよかったんだよ
ママとは一緒に住めなかったけどずっと繋がっていたように感じることがある
私が小さい時、歌を歌っていた?」

母の返信はこうだった

「あまり昔のことで分からないけど、何回かは歌ったよ
夜泣かれた時とかね・・・
不思議な気持ちがするのは分かるよ
同じように感じたから
だから私と同じ失敗をするかと思うと心配なんだよ
分かった時じゃ遅いからまず体を大事にして
頼れる人がお前の側にいてほしい
お金の面でも心の面でも・・・
いつまでも若くないし少しずるいくらいがいいんだよ
強く頑張ってね・・・・・・」

母のメールは相変わらず句読点がない
母は小学校6年生の時に母を亡くしている

私が生まれたのは母が16歳の時
その4年後だ

私の師にこう言われたことがある
「君のお母さんは今もまだ歌を歌っている?
それはまるで小鳥のような歌声なんだ
前世、君が幼少の時に亡くなってしまった後お母さんは
歌を歌っていたんだよ」

私の声は母から譲り受けたものだった

母の歌を私の意識は覚えていて
遠い時空を超えて、私の頭の中に、細胞のすべてに、私の魂に刻み込まれていた

私の中を流れる血は、母の悲しみと、母の優しさと強さが刻まれていた
私は母と共に泣き、母の悲しみと共にあり、母の愛と共にあった

それはいつでも、自分の中にあったのだ

東京に流れている空気は、汚れているのかもしれないけれど
少なくとも、その日私たちを駆け抜けた風は新鮮だった
草原の草の匂いが・・・風が私達を運んでいった


ママと・・・


妹と・・・・