THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

ネガティブをポジティブに変換することに意味があるのか

2017-08-26 03:10:29 | セッション記録
漠然と世間における状況、又は多くのスピリチュアルで提唱され、行われていることだが

ネガティブは排除し、又は変換しポジティブになりなさいとか

よく聞く話だが、傷口が治っていないのに、傷口はバンドエイドを貼って無視をしなさい。

ポジティブに目を向けていれば治るという。

しかし本当にそうなのだろうか?


アドラー心理学でも、幼少期のこと、又は深く傷や痛みを再体験することは

何の意味もない。だからそこにフォーカスするのは止めなさいということが書かれてある。

何かを外に出す時は大抵、大元の人の概念や記述をそのまま書くことはない。

そのものを自分のフィルターを通し、解釈を加えて、一部だけを外に出すことになる。

そうすると、全体像を捉えることのできない多くの人にとって

一部分だけを切り取って、そこだけがあたかも大事な概念であるかのように

曲げて捉えることになる。

本当に言いたいこと、伝えたいことは、違うところにあるのに

なんだか一部分だけですべて分かった気になる。

これが世間一般に出回ることで収益があがる。



本当の真実は、分かる人にしか分からないように仕組まれている。

覚醒して一番最初に気づくのは

本当の真実は誰も知りたくないと思っているということだったりする。

これは深い孤独を生む・・・。

相手の領域に入っていって、相手が体験している世界を壊したくないと思う。

そうすると、一人、空の中で自然と戯れるが

本当の意味で思いっきり関われないことが

寂しさの要因となる。


ピラミッドでいうならば、下の底辺の部分は大衆うけがよく

多数決でいく世の中が今までの世界である。

そして上にいけばいくほど、少人数になるから

分かる人も少なくなる。

そして分かった人は、誰かの領域に入って、自分を証明しようとは思わなくなる。

それはとても困難なことでありストレスだ。


日本人は特に、自分で物を考えない習性があるから

直感やひらめきを無視し、そこから新しく深く掘って見てみるということをしないで

多くのメディアに騙されてしまう。

本当に真実は、時が来たら、分かるようになるし

それは古本屋で埃をかぶっている売れない本の中にあるかもしれない。



これからの時代、特に来年から徐々に多くの概念が変化していくことだろう。

今まで信じていたものが真実でなくなり

自分の考えやフィーリングの世界を

世間の多数決で決めない世界が創造されていくことになる。


自らの感性が研ぎ澄まされ、

多くの洗脳から解き放たれ、自分を取り戻していくことになる。


ネガティブをポジティブに変換することに意味があるといえば一部あるかもしれないが

意識のフォーカスを変えるだけで、現実が変わっていくからだが



ネガティブと呼ばれることさえもおかしいのだが

殆どの人は物事を理解しないで、ネガティブが悪いかのように捉えている。

それこそがおかしい。

ネガティブにはちゃんと意味がある。

パラシュートを作った人もネガティブから創造している。


そして人生には葛藤が必要なこともある。


恋をして嫉妬に狂うことや

相手を理解できなくて、自分を認めてもらえなくて

やりきれない思いをすることも

多くの出会いと別れを繰り返すことも・・・・


喜びと悲しみと混乱と痛みが混ざり合い

そのどれもが織り上げられていくところに意味がある。

それが生きることに味をつける。



美しい織物を織り上げるのに、どの色を使おうが

それは個々に委ねられている。


音楽も同じ・・・。

どの音が間違えているということはない。


どの音もそれぞれの音に貢献している。

一つでも音がなくなったら音楽は出来上がらない。

ハーモニーとは共に奏でることで出来上がる。

それがエネルギーとなって、私達の心を振るわせる。

何かを排除しようと努力したり、忘れようとしても

世界の一部であることに変わりはないのだから・・・。






「すべては幻想である」 マスターの言葉と量子力学

2017-08-24 02:37:10 | セッション記録
量子力学では、意識が捉えたものが物象化する。

それまではエネルギーの波の束として存在し、物象化していない。

例えばそれはこんな形で表される。

赤ちゃんにとって月というものを捉えた時に、初めて月が存在する。

それまでは月は存在せず、現れることもない。

これが量子力学の世界。

意識が存在を確定する。

意識が変われば、周りのエネルギーも変化する。

微妙なエネルギーの波の動きが、それによって変化するためである。



私の最初の師が私たちを世界に押し出すときにこう言った。

「すべては幻想です。でもそれを本当に分かっているのは一握りです」

あれから17年近くたった今、ようやく師の言っていた意味がほんの少し理解できるようになった。


そして今この時期に、多くの人が目覚めつつある。


国や社会の決め事や教育という洗脳から解かれつつある。

自主独立とは、他の概念や決め事や物事の枠組みにはまっていない状態であり

自らの心、ハートの意思に従って選択し、それに責任をとっている状態である。


何かを定義づけするのは、誰でもない自分であるということになる。

何を信じるのか?何を確定するのか?

それにどんな意味をつけるのか?

どのように捉え、世界を見たいと思うのかを瞬間瞬間選択しそれを生きることになる。


泰三さんが言っていた。


「コミットとは献身のことだ!」・・・と。

その意味が少しずつ分かりつつある。


誰かが決めた正しさではなく、自らの心に従う。

内なる意思が決めたことなら、他の誰も否定することはできない。

あなたが信じたものが、世界の中心になる。

それは自らの中心に王が帰還すること。


私という姿を現しているが、もしかしたら、夢の方が現実で

現実の方が夢なのではないのかと思うことがある。


それは一瞬にして消え去り

姿は光のプリズムで捉えられている幻想にすぎないのかもとさえ思う。


今、私という概念さえも崩れはじめている。





「私は風になり、空に漂う葉の如く大地に落ち、

地球の振動に波打つ鼓動になる。

私は音であり、永遠の今に存在し、

太古から受け継がれる生命の血が私の髪をなでる。


私は静かに大地を見下ろし、馬の背に乗り、駆け下りる。

そして闇は訪れる。

やがて深い孤独の中へ・・・・。


もう永遠にここから出まい。そう固く決めるのに

心は求めている。

これが生きることなのか・・・。


何度も生と死を行ったり来たりする。

そして答えはいつでも空になげる。

いつか私はこの孤独から抜けるのだろうか・・・。


時々訪れる愛と喜びに身を投げてみる。

自らを風の流れに委ねてみる。

地に生える草のように

もうこのまま流れのままにしておこう。

いつか夢を見ていた場所へ辿り着くだろう。

遠いあの場所・・・源へ帰る道へ」


師が言っていた

葛藤を通して人は繋がっているのだと・・・


そして私はこう思う

何かを生み出し創造するには、マスターのレベルで生み出す完全性は面白くない

不完全さの中に見る形や音が、繋がっていく時に生み出されるものの中に

神を見出すのだ


だからある程度の葛藤が必要になる

それが人間であることの証

生きることの醍醐味なのかもしれない・・・と。










風に吹かれて

2017-08-10 10:35:18 | セッション記録
2018年から新しいサイクルが実際に始動するにあたり

様々なことがとてつもない勢いで動いている


やり残したカルマは一斉に解放されたがっているため

不思議な出会いが次々と訪れる



私のカルマの中にはもう一つのやり残しがある



幼い時から将軍になることが運命づけられ

そのことで早くから引き離された息子の一生を

遠くから見るしかなかった物語だ


彼が傷つき、戦い、葛藤して死んでいく姿を

見るしかなかった



こういう出来事の一つ一つには

もっと深い意味が秘められていて

魂に刻み込まれる


これは私の姿でもある



この世の中に、どうしてこんなことが許されるのかという出来事も沢山ある

そして私の元を訪れる人たちの中には

過去世の懺悔を私を通してすることで

解放するということを決めている人たちがいる



その中には本当にどうしてそんなことをしたの?と

驚くような事象がある



家族に内緒で6000万もの大金を投資し

回収できないことを分かっていて

詐欺事件にしないとか

本当によく分からないが

実際これでカルマの帳消しをしているケースがあったりする




人との出会いの意味は、過去で終了できなかった思いがあると

まずその思いを達成しようととりかかる


それがドラマを生んでいく


宇宙はいい悪いという概念がなく

ただ現れる


それを裁き、正しくあらねばとジャッジを下すのは

神などではなく自分自身だ



この命をどこに向かわせるのか?

何を放射するのか?

あなたは何者なのか?

自分が納得するまで終わらない



この時期とても多いのが、ソウルメイトに出会うというケース



今まで時空間移動をして、それぞれの場所にたどり着き

縁の濃い人たちと出会って自分のいるべき場所に行き着く



今後2018年からのサイクルは、そういう新しい場所での

ドラマが展開していくことになる



私の次のステージの出会いは

不思議なところからもたらされた



16歳の頃、声優のプロダクションに合格した時に

オーディションで私が言った言葉がある



それは「ずっと風になりたいと思っていた」だった



それから私と風は常に一緒だった



H20の「想い出がいっぱい」を聞くたびに

風が私を通り抜け・・・私の青春時代は通りすぎていった


それからあの頃に吹いていた風を思い出すことはなかった

大人になるということは忘れることなのだと思っていた


今年に入り、仕事でボロボロになった私を助けてくれた方を通じ

とあるライブハウスにいくことになった



風に吹かれていたあの頃の自分が今ここを引き寄せた


いや、もう生まれる前からこういうセッティングだったのだ


そんな風に感じないではいられなかった



彼自身が10年もの間プロのドラマーでミュージシャンだったため

私はその縁で音楽を再び自分の人生に戻すことをし始めた



歌を歌っているうちに

私の中の何かが再び目を覚まし始めていくのを感じていた


あの風が吹いてきた



私は今・・・

風に吹かれている・・・



フォースと共に・・・暗黒面に落ちることの意味

2017-08-06 13:49:50 | セッション記録
May the Force be with you.

フォースと共にあらんことを・・・



私たちが覚醒に向かうとき、自己の暗黒面を無視することはできない



古代の文献にはこう書かれてある


すべての始まりの前は完全なる無が生じた

量子的な揺らぎにより、無から有が生じた


ベネディクト・カンバーバッチ・ホーキング
イギリスの理論物理学者もこう言っている

「宇宙には、物理法則さえも崩れるような

完全なる無が存在する・・・

物質も時間も空間さえも存在しない無が・・・

何もかもたたみこまれて消滅する場所

深く完全なる無・・・」





宇宙のすべての始まりの瞬間・・・

ファーストモーメントと言われる瞬間に
すべては解き放たれた

聖なる光と聖なる闇が・・・

奇跡としかいいようがない確率の偶然が重なり

生命は誕生した

まるで最初から計画されていたかのように・・・


完全なる無から、何らかの量子的な揺らぎによってというこの部分に

限りなく大きな意思を感じる

神の意思、大いなる生命を生み出す意識のような絶対的な意思が

この世界、この宇宙を創造した


そしてすべての存在が大いなる意思によって

同じ方向へ動いている


右へ左へ

そして時には無造作に・・・

まるで上下がない宇宙空間の中で、ダンスを踊っているかのよう・・・・



光と闇は対になっていて、同じ場の極であり

光と闇は同じものなのだということが分かる



光が存在するためには暗闇がなければ存在しない

すべての物象は、必ず対になっていて

存在というのは一つでは証明も存在を確定し表すこともできない

それを証明する、又は支える存在があって始めて存在が確定する


上という概念は下というものによって支えられることによって生じる


よって何かが生じるということは単体では

生じることさえもできない


これを縁起という



ところが地球上では、光と闇は区別される

違うものとして取り扱われ、

片方を排除しようという試みが行われる


宇宙での法則は、すべての存在、すべての意識は

ただ存在する

そのすべてが意思を持っていて、その意思は大いなる宇宙の一部として機能している


個としての意思と、大いなる一部としての意思があり

削除しようとすれば、その存在自体の個としての意思は大きくなる


闇を排除しようと思えば思うほど、暗黒面は大きくなっていくことになる



そして光が強くなければ、深い暗黒面を体験することも、見ることも不可能だということになる

もしあなたが深い暗闇の中にいるのなら、それは対極の光が強く作用しているからこそ

暗闇の中に入ることができるということになる


師の言葉が私の中に響く・・・

「暗闇の中に佇む仏陀を見たことがあるかい?それは本当に美しいんだ」


私の心が惹きつけられているのは、暗闇の中に静かに佇む仏陀の姿・・・・



目が離せない

とても静かで、繊細で、すべてを見据えている


どの暗黒面も自分の中に引き受け、それに抵抗しない

限りない優しさの中で、世界の振動と共に揺れている