THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

自主独立という生き方 

2015-02-25 15:28:52 | セッション記録
孫のゆあちん。4ヶ月。とうとう寝返りを







これは初節句。生徒の貴美さんから手作りの雛人形を頂きました。





離乳食始まりました。

好奇心旺盛なゆあちんは、食べるのも上手。



お風呂には勢ぞろいのふなっしーが・・・・

恐るべし



最後は私に食べられるゆあちんでした。

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メルマガに書きましたが、自主独立というテーマについて

少しだけシェアを


先日、ある生徒から質問を受けました。


温泉に入ると沢山の人のエネルギーの影響を受ける

のでよくないと聞いているのですが

どうなのでしょうか?という質問でした。



質問は私達を自らの本質へといざなうものであり、

質問をしてくれるからこそ

禅問答ができるし、質問者も答える側も、

聞いている周りも

恩寵を受け取ることになるのです。




ではこの質問への禅問答へと一緒に入っていきましょう。



この影響を受ける(悪い影響)ということなのですが

「この概念を受け取るならば、

その人の人生に影響を与えることになります。 」

これが答えです。




私達は何を信じるか、何を信じたいか、

又は世界をどのように捉えるかで

その視点での世界を生きています。




例えば、誰もが見ても美しい人に

あなたは美しいと言っても、

本気で受け取れない場合があります。




あなたが大好きですと言われても、

お世辞でしょ?と受け取ったり・・・・



これは前回も書いた観念

物事をどのように捉えているか?により

感情の反応の仕方が変わってくるのです。



だから、その人にとって

それが真実だと思っているものを

いくら他の人が変えようと思っていても

難しいのです。




それを信じるならば・・・

それを受け取るならば・・・

というのが答えとして出てきます。




誰かが言った言葉を自分の人生に取り入れるとき

それはその人がそれらを無意識にせよ、

意識的にせよ、取り入れるという選択をした

ということになります。




その影響が不自由ならば、

選択しなければいいのです。




これが自主独立という生き方です。




自分の反応や人生の責任はすべて自分にある

ということなのです。




勿論普遍的な真理というのはあります。





でもこの場合は誰かがその世界観を作り、

その世界観に同意した場合のみ

その影響が起こるというのが真実になります。




温泉に入ると沢山の人のエネルギーの影響を受ける
ということに対して


私はこの意見には同意しません。

同意していなければ、その世界は存在せず、ということになります。



私が魂の視点で物を見る時・・・

地球、地は私達を包み、すべてのものを包含する

大地から生み出され、

大海の大いなる水となり

分子でできた私達の肉体は、

地球に還る(母なるものと一つになること)で

力は蘇り、浄化され、まっさらな純粋無垢を

再び取り戻す



これが温泉だと思っています。




この概念、観念は

私の魂のインディアンスピリットによるもの

だと思っています。

インディアンは

大地と共に、地球のスピリットと共に常にあるのです。

これが私が見て、いる世界です。



人にはそれぞれ観念がある



観念とは、世界をどのように映しているのか?

捉えているのかということなのです。



そしてその観念があなたという世界を創り、

今もその中でドラマを作っているのです。




どれが正しいとかではなく、

あなたはどのような選択をしたいですか?

どのような世界を生きたいですか?

これが今回の禅問答です。



私の師がこう言っていました。



すべての人の選択は愛か恐れかのどちらかである

自分のマインドの門の前にかたく見張りをせよ


私を創っているのはいつでも私自身ということになるのです。






愛がなければ意味を持たない

2015-02-24 00:32:00 | セッション記録
私たちが内側の旅を始めるとき

自分は正しい位置にいるのかと振り返りをする


正しさに合せようと自分自身のジャッジの中で自己を見失う


自分の内側に到達するのではなく、逆に離れてしまう


仏陀は中道を説いたが


何かに到着するために必要だと思ってそれにトライしようとすることは

そのエネルギーを揺さぶっているに過ぎない


抵抗しそのものを消そうという行為が

そのエネルギーに力を与えることになるからだ




私はずっと長い間、確執があった関係性の終了をすることになった

幼少期から親に捨てられているので、それに伴う感情の解放は

長い間、様々な関係性に影響することになる


一番自分の中で納得がいかない問題は、人間関係を通して現れ

その度に自分の幼少期の痛みを持ち続けることになる


でもそれももうどうでもよくなってきている


泰三さんはよく、気が済んだかい?という言葉を使って私に問いかけてくれていたが

私達は色々な痛みや恨み、悲しみを気が済むまで持ち続ける


そして気が済んだ時にはじめて解放される


正しい方に進ませることで私達が見落とす大事なことがある

その正しさは本当の自分の心の奥深くにある正義なのかということだ

誰かや何かによってもたらされた正しさに焦点を合せると

どこかで葛藤を感じるようになっている



よく泰三さんは物語を話してくれた

私も又、一つの物語を話そう


天国に神様がいました

神様は天国の門の前に来た者にこう言いました

天国ではみんなに共通の規約があるのだ

その規約を破いた者は天国には入れない

よく覚えておくがいい

そう言って神様はここにいるにはこうあらねばならないという話をしました

そのため、天国では秩序が保たれ、光がいっぱいに降り注いで平和を保っていました

天国に入った青年は規約を守っていました

ところがある時、自分の妻だった魂が天国の門の前にきました

彼女には子供がいました

子供は天国に入れない罪をおかしていました

彼女は子供と一緒にいることを選択し、天国から降りて子供がいる世界に下りました

青年はそれを見て悩みました

このまま自分だけ天国にいるべきなのだろうか?

青年は妻を心から愛していたのです

そして青年は妻といることを選択しました

天国から下界に降りました


彼らは正しさを選択したのではなく、自らの愛を選択しました

マザーテレサはこう言いました

愛がなければ意味がない



自分が正しい

自分だけが正しいといえば、相手が間違えているということになる

そのジャッジが戦争を生んでいるのです


バカでいい

頭がよくなくても、理解できなくてもいい

純粋無垢・・・それこそが

幼子達が世界を導くであろうという

古代のマスター達の予言なのだ


自分だけの正しさにはまり、それによって利用され裏切られたという

私の中のドラマは終わりを告げた


もうそんなことさえもどうでもよかった

ゆっくりと瞬間に生きたという

それだけが空の中に溶けていった



私は私であり続け

そして私は私でありながら

世界のすべての一部だ


どの存在もただ存在し、宇宙そのものとしてただ存在している



幻想は終わりを告げ

私はいつのまにか解放されている自分に気づいていた


気が済んだかい?

泰三さんの声が私の中に響いていった













サイババの恩寵

2015-02-10 13:35:19 | セッション記録

私の一番最初の師はサイババだった

3歳で親に捨てられ

28歳まで人生のすべてが深刻で

冗談が通じない子、心から笑うことができない

それが私だった


私は渇いていた

ずっと肉体を持った人生の師がほしかった

そんな時に一冊の本に出会った

青山圭秀さんの「理性のゆらぎ」「真実のサイババ」だった

私の中に迷いは一切なかった


どうしてもインドへ行かねば・・・・

そして私は何もかもを置いてインドへ渡航した



「求めよ。さらば与えられん」この言葉の通り、私は人生をかけて求めていた



師のメッセージの中にこんな言葉があった

「探求をする時、とりあえずやってみようは大抵失敗に終わります。

やる気と決意、真摯さがとても重要です。

そのうちしっくりくるだろうではうまくいきません。

自分を変えるというのはとても大変で簡単ではないのです。」



人生には幾つかのターニングポイントがある

私は人生をかけていた

なぜ生きるのか?この生命をどう放射するのか?



サイババの事を色々な人が様々なことを言うが

会った者にしか分からない神の領域・・・・仏陀フィールドを体験すれば

どれだけすごいかが分かる

サイババは亡くなった後、国葬されている

国葬はマザーテレサもそうだったが

国葬されるということがどれだけの影響力であるかを意味している



私はサイババに出会った後、日常で大きなくぎりをつけることになる


子供3人を抱え、車検の切れたオンボロ車一台と一緒に

路上(山)で寝泊りすることになる


私一人ならまだそれも可能だろうが、路上生活を子供3人とすることになる


若いからこそできた体験だと思う


世間知らずだったので、生活保護という言葉も知らず

私はたった一人で身寄りもなく、金沢の山で子供3人と生活をする


今考えてもゾッとする




第1回目のターニングポイントは3歳


これは私の人生の第2のターニングポイントだったのだろう


この後、私は神の恩寵を受けることになる



ある子供が山で遭難し、何日も見つからずに生きて帰ったという話がある


なぜ生き延びることができたかというと、子供は環境適応能力があり

なぜ自分はこんな目にあっているのかという疑問で頭を悩ませたりしないからだという


今できることをする

寒ければ、暖かくなる方法を探し

食べ物がなければ、口にできそうな水を近くで見つける

これが生き延びられた原因だと専門家は言っている


私がこういう状況を乗り越えてきたのも

ずっとこれが続くのかという不安や
自分はこれでいいのだろうかという疑問を感じる暇がなく

今日生きるために、食べるためにどうしたらいいかにフォーカスしていた

必死だったからなのかもしれない

何かを考える暇(余裕)などなかったのだ


子供がいたことが、私を強くしたのだろう


その後私は光の体験をすることになる


サイババの恩寵にて


私は解脱がしたい・・・真実を知りたいと願っていた

それは理屈や理解を超えた説明のつかないフィールドに包まれることで

瞬時にすべての創造の瞬間を体験し、すべて知っているという体験が待っていたのだった


師が言っていた


「覚醒した人がいたら、その人の傍に行きなさい

仏陀フィールドは、あなたのすべてを目覚めさせ、あなたを連れ戻すことになる」・・・と

仏陀に出会うことは、肉体を持った覚者に出会うことは、この上ない恩寵だと思っている


何世代も、何百回もの転生を超えて、準備がなされてきたのだから・・・





















月満ちて

2015-02-05 23:54:39 | セッション記録
4日は満月

しかもこの日は立春だった

エネルギーに敏感な方は、この日までにとても感情的になったり

怒りやイライラ、孤独感などで押しつぶされそうになったという話を聞いている

それは正常な反応であり、何もおかしくない

この期間平常心でいられるほうがよっぽど、
鈍感か又は集中しているかのどちらかになる

冬至は一年の始まりを意味するが、実際に色々動くのが、2月1日、節分あたりから立春にかけてになる


やっと今年が動きだしたといえる

地球規模でエネルギーが強くなっているので、
色々な意味で強さが増す

それは悪いことではなく、
余計なものが振り払われるために

真実の自分に近づくということでもある

早朝6時

空を見たら満月が…

あたりは澄みわたり、シーンと静まりかえった中から

深いオレンジ色の月の中に
青いうさぎが…

その青さが、今まで見た事がない透明感を放ち

惹きつけられ、目が離せなくなった

何とも言えない深遠なる空間に
私の魂と心は満たされていった

完全に守られている事
何の恐れも心配もいらない
すべてうまくいく事

そんなエネルギーが私の中に浸透していった

大きなソウルスピリットからの応援
包含された安心感
沢山の巨大な集合意識と一つに繋がり
交信が伝わってきた

暫く月を見つめ続けていた

幸せだった…



瞑想の基本は

今この瞬間にいる事

「すべての瞬間に立ち会いなさい」と

師の言葉が響く…


幸せは、環境によって感じるのでない

ただ瞬間に自分と繋がる

そしてこの一瞬は終了をむかえる

新しい一瞬が訪れる…

内なる自分、
時が止まったようなドットの領域は
常に私の中にあり続ける

この世界で生きる時…
この領域への
出入りを繰り返す

いづれ完全に一つになった時
もはや、世界と私との間に境目はなくなり

私は地球そのものになり
私は私でなくなるだろう…


私は今、人間である事を謳歌し続けている