82歳にして初めて台所に立った爺の料理について書いてみる。料理歴ゼロ
まずは昨夜の作ったゴーヤとバラ肉の炒め物 6月の初めから比べるとだいぶ上手になったと思う。
最初に褒めておいてから書く必要がある。
5月は私自身が最悪の体調だった。キチンと話はできないし体力がなく食事の支度も掃除もできない有様だった。そんな時連れ合いもイライラが始まり喧嘩になった。
喧嘩は恒例のことで驚くことではないが、私が落ち込んでいる時だったので爺も運が悪かった。元気な時なら何を言われてもスルーしてきたことなのに 今回はカチン!と頭にきてしまいどうしても許すことができない一言であった。こんな体調の時に絶対許せない!
私「その言葉忘れないでください。明日からあなたの食事の支度はしません。私がいないと思って自分のことは自分で全部してください。」 ろれつが回らない口でやっとこれだけ言って喧嘩が終了する。
次の日から私は朝歩行をして途中のレストランでモーニングをゆっくり食べて帰ることにした。
私は七十数年間生きてきて旅行以外に朝食を外で食べるなんてことはなかった。朝食は家族揃って家で食べるのが当たり前のことだったから・・・モーニングなんて考えてもみなかった。
我が家の付近にも4軒くらいモーニングをしているお店があった。入ってみると結構老夫婦や若い人たちも多かったのには驚いた。 歩いたあとのモーニングが珍しくて歩行コースを変えながらの楽しみの一つであった。
しかし物珍しさも1,2週間も経つと飽きが来た。 その間爺は一人朝食をしていた。ご飯は前夜炊いておいて煮物の残りや何かしらオカズを置いておくので出して食べればいいわけである。
ここから先は爺の今日に至る生き方を書かねばならない。
結婚するまで7人兄姉弟だと知らされていたが、本当は8人兄弟で爺の上に5人の姉がいた。長男・5人の姉と爺と妹 という順序である。爺の仕事は庭の掃除ぐらいで台所に立つこともなかったろう。上げ膳据え膳の状態。
大学も寮に入り賄い付き社会人になっても寮生活で一人で生活したことがなかった人である。
従って食事は作ってくれるものを食べる人で 生まれてからず~~とその生活が続いてきたのだ。
退職後は朝食7時・昼食12時・夕食19時と規則正しく食事の支度がしてないと機嫌が悪くなる。私が出かけるときはそれなりに準備しておかなければならない。レンジでチンが必要だ。
それが突然食事の支度と言われて困るだろうと思ったらとんでもハップン何と言ったと思いますか。
「食べるものなんか今はどこのスーパーでも惣菜はいっぱい売っているから困ることはない。料理くらいで驚きはしない」・・・・と軽く見ているのである。料理をすることなど大したことではないと言い切るところが許せない。
では自分でやってもらいましょうぞ!
ここから始まりました。 何もできない人です、レンジさえも温めることだけしかしりません。
1週間くらいはお弁当を買ってきて食べていました。昼はパンを買ってきて冷蔵庫の野菜をちぎって食べていた。
結婚以来外食の嫌いな人で粗食でも家ご飯がいいという人である。
お弁当だって飽きが来る・・・・ふふふ飽きがきたのが早かったヮ
そしてある日「お母さん!ナスの煮物を食べたいのだが教えてくれないか」 といよいよ始まったワイ。
「いいわよ。作りたいものはかってきてください。冷蔵庫の中を調べてないものを買ってきてね」
料理というものは買い物をしてこないと作れないのよ。と言いたかった
一人買ってきたもの ↓
一度で全部揃えず人参をまた買いに出る。肉は冷蔵庫にあった。
ここから私は手を出さないことにして野菜を洗って切って と順に口だけで伝える。味付けの調味料は全部台に揃えておくこと等など・・・出来上がり
上出来ではあるが最初から最後まで付ききりだからこれは当たり前の話で次が果たしてどうなるかな?
今まで50数年食事中美味しい!うまい!という言葉が一度もなかった、不味いということも言わなかった。
食べることに関心がない人だと思っていた。
戦中戦後育った人なので出されたものは黙って食べる・・・そんな生き方だったのかもしれない。
しか~し ナントなんと! 驚き桃の木山椒の木自分で作ったこのナス料理 “美味しい!おいしい”の連発だよ。
さぁ~ここから爺の料理が始まる。今日に至るまで毎日ではないが自分から進んで作ったものである。
いろいろな笑い話があるがまたの続きにする。
爺の料理
食に興味のない人ゆえ食器にも興味などない、料理が入ればよしの感覚で同じ食器を使いまくる。
とにかく料理を好きでないことはわかった。教えた事を覚えようとしていないし楽しんでいない。
最近は夕飯の支度をはじめると手伝わされるのではないかと逃げ腰になり、お風呂の掃除をしてくるとか花に水をやってくると理由をつけて台所から遠ざかる。
フォトチャンネルに入れ忘れたいくつかの料理の一つでこの牛蒡の煮物は本人満足気味だったようだ。