会いに行きたいが山梨までは行かれない。当分遠出は無理だろう。
散歩の途中にお寺さんがあり今日の墓地は花が飾られて賑やかである。車もいっぱい停まっている。それぞれ家族に会いに来ているのだろう。私も遠い父母を思い出して手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えて立ち止まった。
途中に見つけたこの花分かってはいるのだが名前が出てこない。
散歩中の私の姿写真で見ると丸坊主の男の子のようだ。こんな感じなので439爺から結婚以来57年ずっと可愛げのない女と言われ(でもこれは当たっていると自覚している)社会に出て働いたことのない常識外れのオナゴとも言われ今日まで暮らしてきた。そして今はその夫を介護している。
439爺は今まで自分のやってきた都合の悪いことはすべて忘れて俺は頑張ってきたのになぜこんな所にいるのだと嘆く、ストレス満載で部屋に閉じこもって悶々としている。
昨夜も話があるから部屋まで来てくれと電話がある。自宅をいつまでも空き家にしておかないで売ってもいいと言いながらそんな話は忘れて家も無くなり貯金も無くなっているなぜだと体を震わせて怒りを言い放つのである。いくら説明してもわからない。あの頃の上から目線で小言を言っていた夫はもう居ない。なぜ認知症なんかになってしまったのだろう。あのまま威張っていればいいのに・・・・・・
昔は喧嘩して悔しくて家出を何回したことだろう。家があるから家出はできたが今は家ではないので悔しくてもつらくても家出はできない。幸い部屋が別々なので自分の部屋に戻れば一人になれるが心配は尽きない。穏やかに年老いていきたいと思うこのごろである。