あさってから週末にかけて、横浜の両親がうちへ遊びに来る。
目的はもちろん雪まつり……ではなく、孫の顔を見ること。
母は出産直後に手伝いに来てくれたのでえいみと会うのは二度目だが、父は初対面。
札幌のじぃじ(お義父さん)にはちょこちょこ会っているえいみさんだが、もう一人のじぃじにはどんな反応を見せますやら。
私自身にとっての「おじいちゃん」は、父方の祖父は私が生まれた時にはすでに亡かったので、母方の祖父だけだ。
祖父は空襲で大怪我を負い、戦後は大きな病気を患った。
私の記憶の中では特に床に伏せっているということもなく、釣りとパチンコが好きなふつうのおじいちゃんだった。
祖父にとって私は一番幼く、唯一の女孫でもあった。
自分の子供たちは全員女で、男の子が欲しかったからと私の母(三姉妹の次女)を男の子扱いしていたという祖父。
お陰でケンカも勉強もそんじょそこらの男の子には負けなかったという、負けん気に育った母。
(さらにその母に育てられ、お転婆な上に父譲りの頑固をプラスして受け継いでしまった私……)。
病気の名残からか、祖父はいつも痩せていた。
一緒にお風呂に入ると、鎖骨がくっきりと浮かんで見える。
幼い私は悪気なく、「肩で金魚が飼える」と喜んでいた。
「次に会う時は金魚を何匹飼えるようになってるかな?」
お風呂のお湯を肩のくぼみに流し込みながら、無邪気にそんなことを言っていた記憶がある。
祖父は笑いながら「ほうか(そうか)、ほうか」と頷いていた。
入れ歯のせいで空気の抜ける発音になっていたのか、祖父の同意はいつも「ほうか」。
だから私は祖父を、ほうかほうかのおじいちゃん、と呼んでいた。
祖父はよく男孫である従兄たちを連れて釣りやパチンコに行っていた。
私は、パチンコには何度か連れて行ってもらったことがある(当時は子供連れでも大丈夫だった)。
そしてお正月に人が集まると、相手を替えながら囲碁や将棋の対戦をするのも好きだった。
私は祖父に将棋を習い、勝負をした。
対局の時、祖父は相手が子供であっても真剣勝負をしてくれた。
そんな祖父に一度だけ私が勝って、飛び上がって喜んだことを覚えている。
母が子供の頃は身体が悪いながらも怒ると怖く、厳しい面もあったという祖父。
でも私にとってはいつも笑顔の、優しいおじいちゃんだった。
その祖父は、私が中学3年生の時に亡くなった。
「娘」にとっては色々な思いのある、「父親」の存在。
でも孫にとってのおじいちゃんは、また全く別のもの。
えいみにとってのじぃじ、私の父は、どんな存在に映るのだろうか。
そして父はどんなじぃじに変身するだろう。
ちょっぴり、楽しみだ。
じぃじ、ではなく、ひな壇飾りの左大臣。
初めての女孫のために、ほうかほうかのおじいちゃんと祖母が奮発して贈ってくれた七段飾り。
今年からはひ孫であるえいみのために、我が家に飾られている。
きっと二人とも、空の上から笑顔で見守ってくれているよ、ね。
目的はもちろん雪まつり……ではなく、孫の顔を見ること。
母は出産直後に手伝いに来てくれたのでえいみと会うのは二度目だが、父は初対面。
札幌のじぃじ(お義父さん)にはちょこちょこ会っているえいみさんだが、もう一人のじぃじにはどんな反応を見せますやら。
私自身にとっての「おじいちゃん」は、父方の祖父は私が生まれた時にはすでに亡かったので、母方の祖父だけだ。
祖父は空襲で大怪我を負い、戦後は大きな病気を患った。
私の記憶の中では特に床に伏せっているということもなく、釣りとパチンコが好きなふつうのおじいちゃんだった。
祖父にとって私は一番幼く、唯一の女孫でもあった。
自分の子供たちは全員女で、男の子が欲しかったからと私の母(三姉妹の次女)を男の子扱いしていたという祖父。
お陰でケンカも勉強もそんじょそこらの男の子には負けなかったという、負けん気に育った母。
(さらにその母に育てられ、お転婆な上に父譲りの頑固をプラスして受け継いでしまった私……)。
病気の名残からか、祖父はいつも痩せていた。
一緒にお風呂に入ると、鎖骨がくっきりと浮かんで見える。
幼い私は悪気なく、「肩で金魚が飼える」と喜んでいた。
「次に会う時は金魚を何匹飼えるようになってるかな?」
お風呂のお湯を肩のくぼみに流し込みながら、無邪気にそんなことを言っていた記憶がある。
祖父は笑いながら「ほうか(そうか)、ほうか」と頷いていた。
入れ歯のせいで空気の抜ける発音になっていたのか、祖父の同意はいつも「ほうか」。
だから私は祖父を、ほうかほうかのおじいちゃん、と呼んでいた。
祖父はよく男孫である従兄たちを連れて釣りやパチンコに行っていた。
私は、パチンコには何度か連れて行ってもらったことがある(当時は子供連れでも大丈夫だった)。
そしてお正月に人が集まると、相手を替えながら囲碁や将棋の対戦をするのも好きだった。
私は祖父に将棋を習い、勝負をした。
対局の時、祖父は相手が子供であっても真剣勝負をしてくれた。
そんな祖父に一度だけ私が勝って、飛び上がって喜んだことを覚えている。
母が子供の頃は身体が悪いながらも怒ると怖く、厳しい面もあったという祖父。
でも私にとってはいつも笑顔の、優しいおじいちゃんだった。
その祖父は、私が中学3年生の時に亡くなった。
「娘」にとっては色々な思いのある、「父親」の存在。
でも孫にとってのおじいちゃんは、また全く別のもの。
えいみにとってのじぃじ、私の父は、どんな存在に映るのだろうか。
そして父はどんなじぃじに変身するだろう。
ちょっぴり、楽しみだ。
じぃじ、ではなく、ひな壇飾りの左大臣。
初めての女孫のために、ほうかほうかのおじいちゃんと祖母が奮発して贈ってくれた七段飾り。
今年からはひ孫であるえいみのために、我が家に飾られている。
きっと二人とも、空の上から笑顔で見守ってくれているよ、ね。
以前お会いしたときに、「田舎があるって羨ましい」と言っていたのをふと思い出しました。今ではすっかり北海道のひとになってしまって、こっちが故郷になってしまいましたね。なかなか、頻繁に帰ることはできないと思いますが、電話にメールにビデオレターにと今は色んな手段がありますから、沢山えいみさんの成長をおじいちゃん・おばあちゃんに見せてあげて下さいね。
お雛様もいつかまた娘から孫へ受け継がれていくといいですね。
素敵な週末をお過ごしください。
「田舎がある人って羨ましい」って
そんな話をよく覚えててくれましたね(笑)
私が北海道に移ったのも、まさにそれが原点です。
間もなく丸10年ですよ~
週末にかけては天気が荒れるという予報もあって
まずは無事に飛行機が飛んでくれることを願ってます