29日、日曜日。
ニュースで、訃報を聞いた。
私がもっとも尊敬する作家さんの一人、小説家の三浦哲郎氏が逝去されたとのことだった。
昭和8年生まれ、79歳。
青森県出身で、短編小説「忍ぶ川」で芥川賞受賞。
……
略歴ならソラで言えてしまうくらい、大好きな作家さんだった。
私が三浦氏の作品と出会ったのは、中学生の国語の教科書。
「盆土産」と題された短編だ。
東京に出稼ぎに行っていた父親が、お盆の帰省土産に「えんびフライ」を持って帰ってくる。
「えんびフライってなにせ」
と聞く子供に、父親はひとこと、
「うめもんせ」
と答える。
そのえんびフライは、かじると「しゃおっ」という音がする……。
教科書以降、どの短編集でも見かけていないにも関わらず、この描写は私の記憶に鮮明に残っている。
派手なドラマはほとんど起こらない。
日常に起こる小さなドラマの積み重ねと、独特で決め細やかな情景描写に、知らず知らずのうちに作品の中に引き込まれてしまう。
文中に登場する青森県南部の「南部弁」も、まるで耳で聞いているかのように響いてくる。
高校の選択授業で、「作家研究」があったときには、迷わず三浦氏をテーマに選んだ。
長辺から短編まで、課題と称して読み漁りレポートを書くのは、とても楽しい作業だった。
その中で読んだ作者の家族の姿を描いた長辺小説「白夜を旅する人々」は、今でも飽きず何度も読み返している。
暗く、ドロドロとした形にも描けそうな題材を、あくまで静かに、抑えた筆致で描くことでかえって静かな哀しみがじわじわと広がっていく、そんな小説。
大学生の頃、授業で自分の好きな芝居の一節を演じる、という課題があった。
その時私は、戯曲ではなくこの小説を持って行き、ある場面をやった。
それは自殺する次女「れん」が、それを実行に移す前の日に、まだ幼い弟の「羊吉」に自分の決意を語る場面だった。
背中におぶった羊吉は、寝息を立てて眠っている。
どうせ聞かせてもわからないのなら、寝ていてくれたほうがいい。
そんな思いで、れんは言葉をつむいでいく。
……そんな場面。
最初私は、悲壮感をいっぱいに漂わせて読み始めた。
が、間もなく先生に、
「もう決意してしまった場面なのだから、いっそ明るく、あっけらかんとやってみなさい」
と言われた。
読んでみてなるほど、そのほうがずっとれんの気持ちに近いな、と思った。
小説の舞台に憧れて、青森県の太平洋側から岩手県二戸の金田一温泉までを旅したこともある。
目に映る景色はそのまま小説の中の世界そのものに思えて、一人でワクワクしていた。
近年は新しい作品を目にすることも少なかったが、もう今後、二度と新作が出ることはないと思うととても寂しい。
すごくすごく寂しい。
きっと今ごろ天国で、先に行った兄弟姉妹たちやご両親と、再会されていますよね。
そう、信じて。
三浦哲郎氏のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
ニュースで、訃報を聞いた。
私がもっとも尊敬する作家さんの一人、小説家の三浦哲郎氏が逝去されたとのことだった。
昭和8年生まれ、79歳。
青森県出身で、短編小説「忍ぶ川」で芥川賞受賞。
……
略歴ならソラで言えてしまうくらい、大好きな作家さんだった。
私が三浦氏の作品と出会ったのは、中学生の国語の教科書。
「盆土産」と題された短編だ。
東京に出稼ぎに行っていた父親が、お盆の帰省土産に「えんびフライ」を持って帰ってくる。
「えんびフライってなにせ」
と聞く子供に、父親はひとこと、
「うめもんせ」
と答える。
そのえんびフライは、かじると「しゃおっ」という音がする……。
教科書以降、どの短編集でも見かけていないにも関わらず、この描写は私の記憶に鮮明に残っている。
派手なドラマはほとんど起こらない。
日常に起こる小さなドラマの積み重ねと、独特で決め細やかな情景描写に、知らず知らずのうちに作品の中に引き込まれてしまう。
文中に登場する青森県南部の「南部弁」も、まるで耳で聞いているかのように響いてくる。
高校の選択授業で、「作家研究」があったときには、迷わず三浦氏をテーマに選んだ。
長辺から短編まで、課題と称して読み漁りレポートを書くのは、とても楽しい作業だった。
その中で読んだ作者の家族の姿を描いた長辺小説「白夜を旅する人々」は、今でも飽きず何度も読み返している。
暗く、ドロドロとした形にも描けそうな題材を、あくまで静かに、抑えた筆致で描くことでかえって静かな哀しみがじわじわと広がっていく、そんな小説。
大学生の頃、授業で自分の好きな芝居の一節を演じる、という課題があった。
その時私は、戯曲ではなくこの小説を持って行き、ある場面をやった。
それは自殺する次女「れん」が、それを実行に移す前の日に、まだ幼い弟の「羊吉」に自分の決意を語る場面だった。
背中におぶった羊吉は、寝息を立てて眠っている。
どうせ聞かせてもわからないのなら、寝ていてくれたほうがいい。
そんな思いで、れんは言葉をつむいでいく。
……そんな場面。
最初私は、悲壮感をいっぱいに漂わせて読み始めた。
が、間もなく先生に、
「もう決意してしまった場面なのだから、いっそ明るく、あっけらかんとやってみなさい」
と言われた。
読んでみてなるほど、そのほうがずっとれんの気持ちに近いな、と思った。
小説の舞台に憧れて、青森県の太平洋側から岩手県二戸の金田一温泉までを旅したこともある。
目に映る景色はそのまま小説の中の世界そのものに思えて、一人でワクワクしていた。
近年は新しい作品を目にすることも少なかったが、もう今後、二度と新作が出ることはないと思うととても寂しい。
すごくすごく寂しい。
きっと今ごろ天国で、先に行った兄弟姉妹たちやご両親と、再会されていますよね。
そう、信じて。
三浦哲郎氏のご冥福を、心からお祈り申し上げます。