先週には思い立ったが吉日生活で、層雲峡の氷瀑まつりと美瑛に行ってきた(お天気が良くなかったので美瑛の雪景色はイマイチな写真しか撮れなかったけど)。
ここ半年ほど、前にも増して写真を撮りに出かける機会があると、色々考えることも出てくる。
自分にとって「写真」とはなにか。
写真とは「表現」である。
では自分にとって表現とはなにか。
表現とは「伝える」ことである。
それは例えば美しい自然への感動だったり、動物の表情の楽しさだったり。
自分の中では、お芝居や小説と同じ分類の中にある。
では伝えるためにはなにが必要となるのか。
私が今使っているのは、レンズ交換のできないコンパクトタイプのデジタルカメラ、いわゆるコンデジである。
撮った写真は.jpgファイルとなり、明るさやコントラストなどを変えたいと思ったら、加工ソフトを使わなければならない。
でも、それでいいのだと考えていた。
写真とは真を写すもの、デジタルは後で加工できると思うから撮影時に手を抜く、というフィルムカメラ時代のカメラマンのセリフを、確かにその通りだと思っていた。
加工や調整は邪道、撮る瞬間に完成させなければならない、と。
ところが最近になって、ダンナが一眼レフカメラを持ち、RAW撮りをするようになってから考えが少しずつ変わり始めた。
RAWで撮った写真は、現像ソフトを使って現像しなければ通常の画像として見られるようにならない。
現像の際には明るさはもちろん、色味やコントラスト、ピント(シャープさ)まで調整することができる。
極端な変更をかければ、夕陽まで満月に変えてしまうことができるのだ。
では現像と加工の境目はどこにあるのか。
「これだからデジタルは」と思うアナログカメラマンもいるかも知れない。
でも程度の差こそあれ、フィルムカメラにも現像はある。
明るさや色味、シャープさを調整することもできる。
だからプロカメラマンなどは懇意のカメラ屋さんがあって、自分好みの現像をしてもらうのだ。
となれば必ずしも現像=加工、ということではなくなる。
そして写真が「表現」であるならば、撮った写真が自分の伝えたいことを完全に表現しきっていないと感じたときに、色味やコントラストを調整することは、作品を完成させる過程のひとつになる。
例えばテレビのお笑い番組の観客が、どうしてさほど面白くない場合でもあそこまでみんなが大笑いをするのかと言えば、場の雰囲気が「笑い」のテンションになっているからだろう。
写真なら、美しいと思う景色は周りの空気や音などを五感で捉えて初めて「美しい」という感覚になる。
けれどもそれを写真として切り取って持ち帰った時には、その場に立ち会わなかった人には五感の情報がない。
そんな中で自分の感じた美しさを存分に相手に伝えようと思うなら、その部分を写真の中で強調するなりして取り込んでやらないくてはならない。
そのための調整は、加工とはまた別物なのではないか。
もちろん調整というのはあくまで補助手段であって、素材が良くなければ厚塗りメイクのように醜いだけになってしまう。
料理と同じで、いくら料理人の腕が良くて設備が整っていても、素材が悪ければ本当に良い仕上がりにはならない。
被写体に向かう姿勢は、アナログでもデジタルでも変わらない。
同じ写真は二度とは撮れない、だからこの一瞬の光景を的確に捉えたい。
テーマは「自分だけが見つけた景色」。
コンデジ片手に今日も怪しげな視線を周囲に走らせている。
で、そろそろ新しいコンデジが欲しくなってきたわけですよ。
今のものも私自身が使い始めたのは去年の秋で、その前に使っていた機種よりはずっと高機能で充分といえば充分なわけなんだけど、新しく発売されるデジカメに、私好みのものを見つけてしまって。
Olympus SP-550UZ(3月発売!!)。
基本マクラーの寄りたがり人間の私にぴったりな光学18倍ズーム&マクロ1cm!
基本三脚不使用な私にぴったりな手ブレ補正付き!
鳥を撮りたがる私にぴったりな一秒15コマの超高速連写機能!
しかも、遡り撮影可能!
画像が荒れるんじゃないかと心配になるくらいのISO5000まで対応!
そしてそして、RAW撮りもできる!!
って、あたしゃオリンパスの回し者か。
デジカメはオリンパスオンリーで来てるので、勘弁してつかわさい。
けっしてアフィリではありませんぞ(でもリンク貼ってみたりして)。
あ~深さ10mまでの水中撮影ができるμ-770SWも欲しい!
オリンパスフォトコンの商品になってくれないかなぁ。
なっても、上位入選しなきゃダメなんだよなぁ。
お金貯める方が早いってウワサもあるなぁ。
……いつまでコンデジ使う気だ、っていうダンナのツッコミも聞こえてくるなぁ(笑)。
ここ半年ほど、前にも増して写真を撮りに出かける機会があると、色々考えることも出てくる。
自分にとって「写真」とはなにか。
写真とは「表現」である。
では自分にとって表現とはなにか。
表現とは「伝える」ことである。
それは例えば美しい自然への感動だったり、動物の表情の楽しさだったり。
自分の中では、お芝居や小説と同じ分類の中にある。
では伝えるためにはなにが必要となるのか。
私が今使っているのは、レンズ交換のできないコンパクトタイプのデジタルカメラ、いわゆるコンデジである。
撮った写真は.jpgファイルとなり、明るさやコントラストなどを変えたいと思ったら、加工ソフトを使わなければならない。
でも、それでいいのだと考えていた。
写真とは真を写すもの、デジタルは後で加工できると思うから撮影時に手を抜く、というフィルムカメラ時代のカメラマンのセリフを、確かにその通りだと思っていた。
加工や調整は邪道、撮る瞬間に完成させなければならない、と。
ところが最近になって、ダンナが一眼レフカメラを持ち、RAW撮りをするようになってから考えが少しずつ変わり始めた。
RAWで撮った写真は、現像ソフトを使って現像しなければ通常の画像として見られるようにならない。
現像の際には明るさはもちろん、色味やコントラスト、ピント(シャープさ)まで調整することができる。
極端な変更をかければ、夕陽まで満月に変えてしまうことができるのだ。
では現像と加工の境目はどこにあるのか。
「これだからデジタルは」と思うアナログカメラマンもいるかも知れない。
でも程度の差こそあれ、フィルムカメラにも現像はある。
明るさや色味、シャープさを調整することもできる。
だからプロカメラマンなどは懇意のカメラ屋さんがあって、自分好みの現像をしてもらうのだ。
となれば必ずしも現像=加工、ということではなくなる。
そして写真が「表現」であるならば、撮った写真が自分の伝えたいことを完全に表現しきっていないと感じたときに、色味やコントラストを調整することは、作品を完成させる過程のひとつになる。
例えばテレビのお笑い番組の観客が、どうしてさほど面白くない場合でもあそこまでみんなが大笑いをするのかと言えば、場の雰囲気が「笑い」のテンションになっているからだろう。
写真なら、美しいと思う景色は周りの空気や音などを五感で捉えて初めて「美しい」という感覚になる。
けれどもそれを写真として切り取って持ち帰った時には、その場に立ち会わなかった人には五感の情報がない。
そんな中で自分の感じた美しさを存分に相手に伝えようと思うなら、その部分を写真の中で強調するなりして取り込んでやらないくてはならない。
そのための調整は、加工とはまた別物なのではないか。
もちろん調整というのはあくまで補助手段であって、素材が良くなければ厚塗りメイクのように醜いだけになってしまう。
料理と同じで、いくら料理人の腕が良くて設備が整っていても、素材が悪ければ本当に良い仕上がりにはならない。
被写体に向かう姿勢は、アナログでもデジタルでも変わらない。
同じ写真は二度とは撮れない、だからこの一瞬の光景を的確に捉えたい。
テーマは「自分だけが見つけた景色」。
コンデジ片手に今日も怪しげな視線を周囲に走らせている。
で、そろそろ新しいコンデジが欲しくなってきたわけですよ。
今のものも私自身が使い始めたのは去年の秋で、その前に使っていた機種よりはずっと高機能で充分といえば充分なわけなんだけど、新しく発売されるデジカメに、私好みのものを見つけてしまって。
Olympus SP-550UZ(3月発売!!)。
基本マクラーの寄りたがり人間の私にぴったりな光学18倍ズーム&マクロ1cm!
基本三脚不使用な私にぴったりな手ブレ補正付き!
鳥を撮りたがる私にぴったりな一秒15コマの超高速連写機能!
しかも、遡り撮影可能!
画像が荒れるんじゃないかと心配になるくらいのISO5000まで対応!
そしてそして、RAW撮りもできる!!
って、あたしゃオリンパスの回し者か。
デジカメはオリンパスオンリーで来てるので、勘弁してつかわさい。
けっしてアフィリではありませんぞ(でもリンク貼ってみたりして)。
あ~深さ10mまでの水中撮影ができるμ-770SWも欲しい!
オリンパスフォトコンの商品になってくれないかなぁ。
なっても、上位入選しなきゃダメなんだよなぁ。
お金貯める方が早いってウワサもあるなぁ。
……いつまでコンデジ使う気だ、っていうダンナのツッコミも聞こえてくるなぁ(笑)。