ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

本日の滝野すずらん公園

2006年10月29日 | フォ撮りある記
朝、ダンナの声に目が覚めた。
「ねぇねぇ、wakaさんからご一緒にってメールが来てるんだけど」。
wakaさんは、私たちがよく利用している写真サイト「zorg」に写真を上げている、札幌在住の人。
やりとりは今までにもあったけれど、実際に会ったことはない。
天気予報では雨だったはずの今日だが、いつの間にか午後は晴れ、の予報に変わっている。
じつは昨日、積丹に行ったので今日は特にどこにも行かない予定だった。
でも思いがけないながらもせっかくのお誘い、次へ次へと延ばしていたらいつになるかわからないから行ってみようよと、話は即決した。
待ち合わせたのは地元のホームセンター。
現われたのは、美少年系の好青年(ダンナよりひと回りも年下。若いっ!)。
ふだん職場では珍しくないが、プライベートの友人にはあまり多くない年代。
最初こそ自分たちの年齢を気にして「話し辛くないかな」と思ったが、奥様の年齢が私と近いと聞いて気が楽になった。
(後から知ったところによると、奥様は私よりもさらにひとつ上だった)。

すっかり葉が落ちて、夏場とはまるで違う場所のように見える有明の滝を軽く撮ってから、滝野すずらん公園へ。
まだ2時を過ぎたばかりだったのに、すでに5時くらいかと思うような影の長さ。
気温もぐんぐん下がって、風が冷たい。
こちらももう紅葉はほとんど終わりに近い。
昨日行った紅桜公園とそれほど離れていない場所なのに、山ひとつ違うだけで葉の落ち方が全く異なる。
面白いものだと思いつつ、春先から何度も行きそびれていたアシリベツの滝。
方角的に、滝の奥に太陽が沈むかっこうになるかも、と予想していたが。
午後2時半。太陽はすでに滝の向こうに沈んでいた。
正確に言えば、滝はすでに山の陰になっていた、という感じ。



せっかくだからもう少し公園内をまわってみよう、と、車でさらに高台のほうに移動。
無料開放のだだっぴろい芝生の広場には、お父さんとボール投げやサッカーをする子供の姿が。
風が冷たくたって、子供たちは元気いっぱいに走り回っている。
子供の頃は自分もそうだったよな、と思いながらシャッターを切る指はすでにかじかみ始めている。
広場も間もなく山の陰に入ったところで、今日はこのへんにしますか、とwakaさんと別れる。



初対面の私たちをどう思ったかなと気になっていたところ、「またぜひ誘って下さい」というメールが。
私たちもひとまずホッとして、じゃあ次に行くならどこがいいかねぇ、とまたぞろ盛り上がった。

本日の紅桜&西岡公園

2006年10月25日 | フォ撮りある記
日ハムが日本シリーズで勝つまで日記を書かない、と決めたわけではないけれど間が空いてしまったここしばらく。
登別と倶多楽湖に紅葉狩りに行ってみたり、思いがけない嬉しいニュースが入ってきたり、市内の手稲山に雪が積もったり。

そして本日はぷらりといつもの公園へ。
紅桜公園は、何度も前を通っていながら入ったことのなかった場所。
3時を過ぎればもう陽ははっきりと傾き、今が盛りと美しく色をつけている木々もあっという間に陰になっていく。
公園の道の関係で、ここは朝に来た方がいい具合に陽が差すのでは、という結論になる。
でも散歩にはとてもいい、気持ちのいいところ。
西岡公園のイチョウ並木も今が一番きれいな時期のようだ。

(写真が拡大表示できるようになりました。クリックしてご覧下さい)

それにしてもめっきり寒くなった。
雪虫も飛んでいる。
日中の最高気温も二桁になることが少なくなり、昨日の仕事帰りには、日本シリーズの試合で熱い札幌ドームの横の温度計が、マイナス零℃を示していた。
いよいよ氷点下。
気温は低くても、北海道の熱い日々はまだ続く。
頑張れ!日ハム!

久しぶりに「あい」の風景画を更新しました。コチラから。

☆日ハムリーグ優勝☆

2006年10月13日 | 日常雑記
日ハムが北海道に来て3年、ついに悲願のリーグ優勝!
私はそれほど熱心な野球ファンではないが、夏の甲子園の駒大苫小牧や日ハムのような地元チームが活躍してるとなればやはり気にはなる。
シーズン中に好成績で駒を進めて来ているのを見ていれば、自然と応援にも力が入った。
そしてプレーオフ進出。
水曜の第一試合はTVにかじりつき。
木曜のいよいよ優勝決定か、という大一番は残念ながら仕事中。
でもTVのある職場なので、音だけは聞こえてくる。
優勝の瞬間には、歓声が上がった。
4万3000人の観衆が集まったドームが近いから、振動が伝わってきたかと思うくらい。
仕事後はドーム渋滞をうまく避けて帰宅。

ローカル局は予定を変更しての特番、試合前も各局が何度も生中継をしての盛り上がり。
そんなふうにみんなを元気にしてくれる日ハムに、本当におめでとう、そしてありがとうと言いたい。
さて次はいよいよ日本シリーズ。
名古屋出身の両親には申し訳ないが、私はもちろん日ハムを応援させてもらいます。
道北の町で初雪予報が出ても、北海道の熱い日々は続くのだ。
ビバ!北海道!!

blastⅡ:MIX 札幌公演

2006年10月08日 | 映画・舞台・ライブ
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5月に札幌厚生年金会館に見に行った札響他のコンサート(レビューはさぼってます)に行った時、入り口で渡されたチラシにあった、blastⅡの公演。
なんとなくウワサは聞いていたものの、行ったことがなかったblastをぜひ見に行こうとその日のうちに気持ちは決まった。
元々高校のブラスバンドでトランペットを吹いていたダンナと、中学の時に同じくトランペットを吹いていた私。
ブラス好きなら行っておかなくちゃ、と6月のチケット販売を待っていたところ、発売の一週間前に、実は楽器店などで先行発売前の先行発売をしていることを知って、あわてて電話をした。
それでも時すでに遅し、本当は舞台全体が見渡せるA席中央辺りを狙っていたのだが、もう全公演A席完売。
結局、前から数列目、中央よりやや上手側のS席を手に入れた。

台風の余波で朝から雨降りの札幌。
それでもTOXIC Audioの時とは違い、日本公演が初めてではなかったことと前宣伝が良かったからか、会場と同時にロビーは大勢の人で溢れかえっていた。
(以下、一部ネタバレあり、ご注意を)
打楽器=赤い四角、金管=黄色い三角、木管=青い丸、と呼応させながら次々と展開されていく身体表現と音楽。
アラベスクをしながら、トランポリンをしながら、ステップを踏みながら楽器を鳴らす。
町のお祭りで行進しながらペットを吹くだけでもしんどかったことを覚えている自分としては、それだけでもすごい、と感動してしまう。
動きの基本はバレエ。
学生時代、そう言われながらも最後まで苦手意識が取れず上達しなかった科目だが、こうやって舞台を見ていると確かにその通りなのだと実感する。
何十人ものダンサーが楽器や小道具を持って飛び回っているのに、足音がほとんど聞こえない。
もちろん床のリノリウムのお陰もあるとは思うが、それも鍛えられた身体感覚あってこそのことだろう。
そしてこの舞台に出演している50人もの出演者はみな、バレエを始めとした身体表現のプロフェッショナルな上に、楽器の演奏ができ、しかもとんでもないスタミナの持ち主ばかりだ。
賑やかなマーチの次には、静かなバラード調のソロが入る。
ペットとバトンの息詰まる競演がある。
斜幕が上がって新しい世界が現われたと思ったら、すぐにまたその奥の斜幕が上がって違う世界が現われる。
カラフルな照明、ブラックライトで浮かび上がる足と腕だけの「人」、さまざまに形をかえて予想外の表情を見せてくれる小道具たち。
突如背後から鳴り響くカスタネットに振り返れば、客席からにょきりと現われるパフォーマーたち。
おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさと、次になにが起こるんだろうというワクワク感が掻き立てられ続けて目を逸らす暇がない。
幕間にはロビーに出てきて一曲演奏してくれてそれこそ目の前で見られるという、サプライズもあり(観客の男の子が手を取られて連れ出され、照れながらダンスを踊る場面も)。
今回のステージは「図形をめぐる旅」がコンセプトだという。
音楽のジャンルを旅できるだけでなく、ある時は街なかの喧騒、ある時はエジプトのピラミッドの前、またある時は海の中、森の奥、果ては星空の中にまでぐいぐいと連れて行かれる。
そして途中で長いろうそくのようなものを手に舞台へと登場した人々は、楽器・パフォーマンスのパートも様々、人種も様々。
様々な場所に育った様々な人々が、ひとつのものを創り上げて伝えていく、その中には相互理解と平和への祈りが込められているように思えた。
最後は全員で「スウィング・スウィング・スウィング」。
出演者が舞台から降りてきて、お客さんとハイタッチをしながら退場していく。

少人数、楽器は身体だけ、小道具も最小限というTOXIC Audioとはある意味で正反対な、大人数、楽器も大小道具もふんだんに使っていたblastだが、最高の「これぞエンターテインメント!」なステージを魅せてくれたことは共通している。
心がすっきりして元気になれるステージ。
パンフレットの裏には「来年もまた会いましょう」という文字が。
来年も見たいぞ! でも本場ブロードウェイに行って、ショー三昧もしてみたいぞ!

アリエナイ。

2006年10月05日 | 日常雑記
「それって有り得ない」という話し言葉が定着して久しいが、間投詞のようにではなく、本気で連発したくなることがある。
今日もまさにそんな感じ。
いつものペットショップにオカメのエサを買いに行った。
ちょうどアトラ(後からお迎えした子)を選びに行った時に案内してくれた店員のSさんがいて、アトラのことやショップにいるオカメの話などをしていた。
その中でたまたまオカメのペアのことが話題になった。
Sさん「たまにあるんですよ、ペアで買って行かれて、ヒナが生まれたら『ヒナがいればいいから』って言って親オカメだけを返しに来られるお客様とか」。
もちろん、ペットショップは(どこもそうだろうが)、購入した直後にケガや病気が発覚するなどショップに原因がある場合を除いて、生体の返品は不可である。
それにしても「子供を産んだから親はもういらない」って。
……有り得ない。じゃあ挿し餌で育ったヒナを買ってけよ。
他にも、ちょくちょくお店に来てはヒナを買って行き、「もう八羽目なんだけど、みんな3ヶ月持たないのよね」というお客さん(どう考えたって育て方が悪いんでしょうよ。反省してから買ってくれ)、よく生体を買っていくけどエサを買っていく気配のないお客さん(Sさんも心配になるらしい)などなど。
心から鳥さんが好き、という感じのSさんにとっても、仕事だしお金を払うと言えば売らないわけにもいかない立場ながら、不安なまま送り出さねばならないことも多いようだ。
誰だって「初めて」はあるから初心者が買っちゃいけないってことはないけれど、命を買うという最低限の意識だけは忘れて欲しくない。
そして極めつけは、レジの近くにあった張り紙。
「捨てペットお断り」。
以前、お店の前に捨て犬をされていたことがあるらしい。
それだけでも腹立たしいが、仕方がないから里親募集をして飼い手を捜していたところ、捨てた前の飼い主が出てきて「他人の持ち物を勝手に処分した」と訴訟になったことがあるらしい。
……有り得ない。呆れて物も言えない。意味不明。

捨て犬、捨て猫、捨て鳥、捨てウサギ。
飼い主家族が不慮の事故で全員亡くなって、身寄りもなく、困った近所の人が捨てるとかそういう特殊な場合もあるかも知れない。
万が一そうだとしても、人間に飼われていた命を「捨てる」という選択肢が頭に存在すること自体が私には理解できない。
友だち、職場、インターネット、張り紙に広告。
いくらでも手段はあるはずだ。
自宅で飼えなくても里親を探している間だけなら、ペットショップや動物病院に預かってもらうことだってできるだろう。
それができないのなら、かわいがってきた自分の手で殺してみろ。
ってそれは極論過ぎるだろうか。
だけど捨てると殺すはほとんどイコールだ。
「拾ってくれる人がいるかも」「野良でも生きていけるかも」なんてのは、邪魔だけど死ぬところはみたくないという自己中な言い訳にしか過ぎない。

「この写真に写っている犬たちは、一匹たりとも今この世にはいません」
そんなコピーの入った写真を見たことがある。
保健所で引き取り手のないまま、期限の一週間を迎えようとしている犬たちが写っていた。
一度は家族として迎え入れた命を大切にできないような人は、動物や植物だけでなく、自分以外の人間の命も軽く見てしまうのではないか。
考えただけでぞっとする。