ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

矛盾上等

2009年02月27日 | 日常雑記
昨日と今日、ヤツらはまた立て続けに現れた。
最初はバケツの中。
それは穂和が気付いて処分をしてくれた。
そして今朝は、穂和を送り出した後ふと振り返った玄関で。
穂和はいない、が、放置するわけにもいかない。
私と目が合った瞬間、ヤツはだるまさんが転んだよろしくピタリと静止した。
私は目の端で、何か武器になるものはないかと探す。
車の氷を落とす、プラスチックのスクレイパーが目に入る。
あれならすぐに手が届く。
でもその他にやはりティッシュは必需品だ。
けれどティッシュは玄関にはない、居間まで行かないと手に入らない。
私がティッシュを取ろうと身体を動かした瞬間、ヤツは逃げようとモソモソと動き出す。
しかし寒いからか、非常に鈍い。
チャンス、と私は急いでティッシュを2枚、居間から持ってくる。
続けざまにスクレイパーにも手を伸ばし、ここはもう自分が覚悟を決めるしかないと言い聞かせて、ティッシュをヤツの上に向けて放り投げる。
そしてその上から、ヤツ目掛けてスクレイパーを振り下ろす。
ハズレ。
ヤツはティッシュの隙間から必死に逃げ出てくる。
もう一発、二発。
狙いを定めるどころか、闇雲に突き続けている状態だ。
とうとう当たったのか、ヤツがティッシュの上に転がり出た。
でもまだ動いている、息の根を止めなくては。
スクレイパーの先でティッシュを操作し、ヤツの姿を隠し、さらに突く。
そうして当たったのを目視で確認してからティッシュごとチリトリに乗せ、玄関脇のトイレの便器に放り込んで、レバーを「大」に回す。
水と一緒に、黒いヤツの姿が吸い込まれていった。
(ティッシュペーパーは溶けないので、トイレに流してはいけません)。

昨年、現在の家に引っ越してきたとき、ここはヤツらの天国だった。
建ってから4年間、誰も住んでいなかった山の上の家は、ヤツらにとって快適な場所だったに違いない。
こと、冬に関しては。
お風呂の排水溝、トイレ、和室の天井、浴室の照明器具の中などなど、下見に来ていたときには気が付かなかったところから、次々と姿を現した。
真っ黒で胴体が大きめの、1~5cmくらいのクモ。
見つけるたびに悲鳴を上げ、穂和に退治してもらっていた。
けれども引っ越しをして1週間ほど経ったある日、ひときわ大きなクモを捕らえたのを最後に、その姿はパッタリと消えた。
あの大きいヤツは「ボス」だったに違いない。
そう思っていた。

そんなヤツらとの、久しぶりの再会(ちっとも嬉しくない)。
山の上なんだから、クモくらいいるのはわかっている。
関東に住んでいた頃のゴキブリに比べれば、小さいし抵抗も弱い。
昔、山の中でキャンプをした時には、手足を伸ばしたら自分の手のひらより大きなクモにも何度も遭遇している。
朝のクモは殺しちゃいけない。
家の中のクモは守り神だから殺しちゃいけない。
一寸の虫にも五分の魂、命は大切に。
と、言われたって。
イヤなものはイヤです、耐えられません、ごめんなさい。

ゴキブリ対策のホウ酸団子は効果があったという記憶がある。
では庭や畑ではなく、家の中のクモ対策には、何か良いグッズはないものだろうか。
ホームセンターでは見つけられずにいるのだが、ご存知の方がいたらぜひとも教えて欲しい。
(スプレーのように薬剤をバラまくタイプはダメです。穂和の呼吸器、自分のアレルギー肌、そしてオカメたちの肺への影響が心配なので)。


屋外にいる、こんな子なら素直に「キレイ」と思えるのに。

何度目だろう

2009年02月25日 | オカメインコ
我が家のオカメインコ、チョコ(♀)がウチへ来て丸5年。
最初の3年ほどはずっと性別がわからず、病院によって診断が異なっていた。
1年半前の4歳直前に卵を産んで女の子だとわかって以降、それまで産まなかった分をまとめて出すかのように、ちょくちょく産んでいる。
もう5歳半だし、身体への負担もあるからあまり産ませたくないのだけど、恋人代わりのおもちゃを取り上げても、やはり4ヶ月も経つと巣作り体制に入ってしまう。
栄養豊富にしないほうがいい、カルシウムを与えすぎないほうが良い、など、産む子対策は色々とあるようだが、エサに関する部分は諸刃の剣のような気がして、大きく変えることができないでいる。
栄養豊富にしない、とは言っても、ウチの子はどちらかと言えば粗食だし、カルシウムを減らすとは言っても一歩間違って不足すれば、できかかっている卵の殻が固まらなくて卵詰まりの原因となってしまう。
そもそも全く同じ内容のエサを毎日食べているもう一羽の♀、アトラは、チョコに影響されてか1歳半になるころには初めての卵を産んだものの、その後は1~2度程度、しかも1回に小さなもの1個だけという状況だから、これは個体差と考えるしかないのだろう。

そして現在、またしてもチョコは巣作りモードに入っている。
暗い隙間を探しては潜り込み、かじれるものはかじって細かく砕き巣にしようとする。
おかしな場所に産まれるくらいなら、前回と同じ改造スピーカーの巣の方が安心なのでそこに誘導してやったら、さっそくせっせと通い始めた。
フンも水っぽくなってきたし、産卵まではそう遠くないだろう。

アトラは最初、チョコのお婿さんにと連れてきた子だった。
結果として♀だったからカップルにはなり得なかったが、これがもし♂で、しかもチョコと相性が合ってしまっていたら、今頃ウチはオカメ屋敷になっていたかも知れない……。
チョコとアトラは2年半経った今も付かず離れずの微妙な間柄だけど、♀同士で良かったのかも知れない、とちょっぴり思う。
無精卵を懸命に温める姿は、ちょっぴり切ないけれど。

薄い。

2009年02月22日 | 日常雑記
用紙の買出しをしに、いつものお店に行った。
(で、プリンターのインクを買い忘れてきたことに今日記を書いて気が付いた)。
昨日があまりにも大荒れのお天気だったせいか、打って変わって好天の今日は驚くほどにお客さんが多かった。
お店に入って一番最初に目についたのが、4月始まりの手帳コーナー。
そういえば、結局また手帳を買っていなかった、と思い出す。

思い起こせば昨年も、買おう買おうと思いながら時が過ぎ、4月前に仕事の関係で必要になって4月始まりのものを買ったのだった。
そのために年が変わって2009年になってからも、まだ3月までは記入できるので買い換えずにここまで来てしまった。
でも、本当なら私は1月始まりが好き。
ふと売り場を見回すと、私のような人のためになのか、1月始まりの手帳の割引販売コーナーがちゃんとある。
悩みに悩んだ結果、B6版の薄い手帳に決めた。
手帳の薄さが、そのまま手帳への興味の薄さのような気がして、少し寂しくなりながら。

中学生から10数年間、私は毎年手帳にはこだわり続けてきた。
ペン先0.3mmの細い水性ペンで、盗み見をするのもイヤになりそうなほどビッシリと色々なことを書き綴っていた。
それは今読み返しては恥ずかしいながらも、面白い。
そんな私が手帳から遠ざかって行ったのは、多分ホームページやブログをやるようになったから、そして移動手段が車になったから、ではないかと思う。
ホームページなどで「日記」を公開する。
手帳と違って他人の目に触れるものだから、日記ほどダラダラとありのままを書き連ねたり周囲の友人知人に関する内輪ネタな内容にしたりはしない。
けれどその日に何があったか、どこで何をしたかの記録、という意味では手帳に記しているのと変わらない。
さらに移動手段が公共交通機関だった頃に比べて、「待ち時間」が少なくなった。
移動中も、運転席でも助手席にいても、当然のように手帳に何かを書くという時間ではなくなる。
何かを考える、ということはあっても、書き留める、という時間は確実に減った。
こうして手帳は、単純に予定を忘れないためのメモをするツールとなり、余白はちょっとした連絡先やTo Doリストを残すだけのものとなってしまった。

それでもまだ、ケイタイのスケジュール機能を使わずに、アナログの手帳を使っているだけ自分らしいのかな、と思ったりもする。
電源の存在がなくても見たいと思った瞬間にすぐに見られ、走り書きも簡単、過去をさかのぼることも容易なアナログの手帳。
12分の1.5以上経過してしまった2009年だけど、残りの10.5に何が書けるか楽しみにしつつ。

にしても、年間プラン、マンスリースケジュールの他はフリーメモと生活便利帖しかついていない手帳って、本当に薄いなぁ。

鶏とマクロ

2009年02月18日 | 日常雑記
去る日曜日。
穂和が丸鶏を調理したいと言い始め、小樽から戻ってすぐ、台所に立った。
別に何かお祝い事があるとか、クリスマスやお誕生日が突然やってきたわけではない。
いつも買い物に行くスーパーは、業務用にも使えるような、大きなサイズのお肉が安く手に入る。
だからいつもまとめ買いをしては小分けにして冷凍庫に保存している。
その丸鶏も前日に買い物に行ったときに買ってきてあったものだ。

ネットで見つけた、ダッチオーブンを使った蒸し焼きのような方法。
うちにダッチオーブンはないので、空焚きのできるセラミック鍋を使用。
ハーブ塩を擦り込んで、野菜と一緒に、底上げ(蒸し器の中敷)をした上に乗せて火にかける。
待つこと一時間。
調理を全て任せているため手の空いていた私は、水槽にカメラを向けた。
前々から、水草がある程度育ったら泡を撮りたい、と思っていたのだ。
手ブレ補正があるとは言っても、さすがに今回は三脚を使用。


↑web向けにリサイズした以外は何も手を加えていない、撮って出し(カメラはE-520、ISO100、F8.0、1/4秒)
1.4倍テレコン+35mmマクロレンズ、強し。
水草(グロッソスティグマ)の写っている範囲である葉先部分の長さはおよそ1cm程度。
この光合成によって葉についた空気の泡が撮りたかった!
と夢中になり、悦に入っている間に丸鶏が完成。


昔なら二人で1羽くらい、1回で食べ切ってしまったものだが、今は無理。
半分にして、翌日と合わせて2回分の食材になった。
そのままでも美味しかったけど、穂和が落ちた鶏の油と合わせて作ったバルサミコソース入りのタレをつけても美味しかった。
鍋の後処理だけは、ちょっと大変だったけど。

10分間一本勝負?

2009年02月15日 | フォ撮りある記
記録的な暖かさとなってしまった土曜日。
この週末が今年の「小樽雪あかりの路」のラストチャンス、と思っていた私は、天気予報とにらめっこ。
土曜、14日は気温が高すぎてオブジェが崩れてしまっていそうだから、やめよう。
最終日の15日は、予報上は氷点下6℃の上に風速8mという、これまた厳しそうな条件だけど降水確率は低い。
15日に賭けることにした。

そして今日。
早めに行ってベイビュータウンを覗こう、と現地に着いたのは17時ちょうど。
途中まで降っていた雪も、小樽中心部ではあがっていた。
ほっとしつつ、ベイビュータウンでウィンドウショッピング。
小一時間ほどでいざ出陣、と外へ出たら、いつの間にか雪が本降りになっていた…。

信じられない思いで車に戻り、ケイタイで天気予報や雪雲の流れをむさぼるようにチェックする。
降雪量は1ミリ未満、となっているのに、この雪の量はなんだろう。
風は昨日の予報ほどひどくはなさそうなのに。
10分刻みの予報を見ると、19時から19時10分の間だけは、雪が止みそう。
その後は時間を追うに連れてますます強く降る予報。
そんなわずかな時間で、何ができるのか。
穂和はきっと「諦めよう」とのど元まで出掛かっているに違いない。
私が「仕方ないね、諦めようか」と言えば、即賛成するだろう。
そこまで意地にならなくても、また来年もあるんだし。
カメラが壊れたり、風邪を引いては意味がない。
諦めも、時には必要なんじゃないかな。
でも、でも。
複雑な気持ちで窓の外の雪を見守る。
そうして18時55分。

「とりあえず、予定の駐車場まで行ってみようよ」。
穂和にお願いをして、車を移動させる。
駐車場の手前の信号で止まったときにふと外を見ると、会場で記念撮影をしているカップルの姿が目に入った。
光るフラッシュに、雪の影が少ない。
小降りになっている、チャンス!

駐車場に車を突っ込むと急いで身支度をし、「30分で切り上げるから!」と約束をしてタイマーを仕掛けてもらい、会場へと急ぐ。



手宮会場の半分までしか行けなかったけれど。
ゆっくりのんびりと楽しむ、というわけには行かなかったけれど。
20分足らずで雪が強くなってきて、戻ることにはなってしまったけれど。
それでも、来られて本当に良かった。
ワガママを黙ってきいてくれた穂和氏に、感謝。
それに、小さな身体に雪を積もらせながらもブレたり壊れたりすることなく働いてくれた愛機E-520にも、感謝。

今年は今までよりもさらに「ハート」をモチーフにしたオブジェが多かったように思う。
手作りの「愛」があふれるロマンチックなおまつり。
来年も来られるといいな。
(この時期は各地の冬まつりラッシュなので、他にも行きたいところはたくさんありすぎて困るのですよ)

フォ撮りな週間

2009年02月11日 | フォ撮りある記
先日の日記と内容は被ってしまうのだけれど。

Hちゃんが来る予定だった6日からは、久しぶりにほぼ毎日カメラを持ち出すフォ撮りウィークとなった。

まずは6日の旭山動物園。
晴れた日はピントが取りやすくて助かる。
そしてついつい枚数を撮りたくなる、ニホンザルとペンギン。


↑「もうどうにでもして~♪」とでも言いたげな、ウットリ顔


↑「大きな甘えん坊」。
お母さんだけお散歩に行ってきたので、ちょっぴりスネてます。

同じく6日の夜には支笏湖の氷濤まつり。
終了間近の21時以降は、人も少なくてゆっくり廻れるので好き。



7日の夜には小樽へ。
久しぶりの雪あかりの路にとても浮かれながら行ったのだが……


↑白い線は降りしきる雪。
シャッター速度8分の1秒程度でこんなに写るとは。

山を越えたらそこは吹雪だった。
天気予報はきちんと確認していきましょう。

9日の夜、リベンジとばかりに再び小樽へ。
お天気チェックはバッチリ。
訪れた現地もさほど寒くもなく、風も弱く、恵まれた雪あかり日和。
が。
開催時間(17:00~21:00)を1時間勘違いして22:00時までと思い込んでいたため、結局着いて間もなく灯りは消されてしまい、ほとんど見ることができず。
当日の日中にホームページまで見ていたのに。
時間はきちんと確認していきましょう。

10日は、年末から約束のあった、お仕事としての撮影(室内)。

本日、11日。
早朝から起きて、大通り公園の雪祭り会場へ。
太陽光下での雪像を狙うなら、人出のまばらな朝がいい。



ゆっくり撮れたは良いけれど、さすがに身体が冷えた。

札幌雪まつりは今日が最終日だが、小樽の雪あかりは今週末まで。
三度目の正直をしたいな……穂和氏、付き合ってくれないかな……とコッソリつぶやいてみる。
(と書いていたら、日記をUPする直前に、天気予報を理由にやんわりと諦めの方向へ誘導されつつある。いや、最後まで諦めないぞっ)

日々之はぷにんぐ

2009年02月08日 | 日常雑記
2月の6~8日の日程で、内地の友人Hちゃんが遊びに来る予定……だった。
が、常に予定は未定。
Hちゃんの止むを得ない事情で、出発の1週間前という直近になって中止が決定。

その4日後。
元職場の友人夫婦とご飯を食べに行く約束があり、いざ出かけようと車のエンジンをかけた直後のこと。
穂和が何気なくメガネの汚れを拭いたところ、左右のレンズを結ぶブリッジ部分がぽっきり折れてしまった。
コンタクトレンズを持たない穂和は、メガネなしでは仕事に行くこともできない。
仕方なく瞬間接着剤とビニールテープを駆使して応急処置をする。

さらにその2日後。
仕事から帰って来て、1階のキッチンで夕食の準備をしていた私。
ふと天井を見上げて仰天。
明らかに、水漏れのシミ。
急いで穂和に2階のトイレを見に行ってもらうが、異常なし。
おかしいとさらに調べてもらったところ、寝室のクローゼットが水浸しになっていた。
屋根からの浸水。
築後4年間、無人のままだったことと、今年の暖冬ぶりが原因のようだ(もし暖冬でなければ、雪解け時期の3月か4月に発覚していたものと思われる)。
穂和の推測と、翌日に来てくれた不動産屋のSさんの見解はほぼ同じ。
とりあえず業者さんに来てもらい、応急処置として屋根の雪を下ろしてもらうことで、水漏れは止まった。
後は晴れた日に屋根そのものの応急処置をしてもらい、雪がなくなったら屋根と屋根裏の断熱材の工事をしてもらうことになった。
Hちゃんが来たら泊まってもらうつもりで空けていた部屋に、クローゼットの中身を全部広げて乾かす。

そして、6日。
札幌は雪予報だったが、旭川方面が晴れそうだったので、久しぶりの旭山動物園へ。
念願のペンギンのお散歩も見ることができた。
夜は支笏湖の氷濤まつりへも行き、久しぶりに歩き回り撮り回りの一日となった。
自宅へ戻った私たちを待っていたのは、車の底を擦るくらいの、深い積雪。
出かける前にも雪ハネをして行ったのに。
仕方がないので7日。
午前中の良いお天気(雪まつり日和だねぇと言いながら)の下、またしても雪ハネ。
夜には2年ぶりの、小樽の雪灯りの路へ。
これまた、油断して天気予報も見ずに行ってしまったのがアダとなった。
会場に着いた頃には本格的な雪降りに。
頑張ってカメラを出してはみるものの、人間雪だるまができそうな勢いに、会場のごく一部だけを見て諦めることにした。
札幌に戻ったら、こちらもまた雪降り。
そうして本日。
お昼になってもやみそうにない雪の中、これ以上は待っても仕方がないと三度雪ハネ開始。
車2台分の駐車スペース+αの面積をハネるのに、融雪機を使っても所要時間2人がかりで3時間。
終わった後は夫婦揃って「腰が痛い、背中が痛い」とジジババモード。

浸水騒ぎで空き部屋は物干し部屋に変わるし、一気に降った雪で雪ハネには3日間で6時間も費やしているし。
これでHちゃんが遊びに来ることができていたら、どうなっていたやら。
一面の雪景色にはなってくれたし、雪像も融けずにいてくれたから「北国らしさ」を満喫してもらうことはできたかもしれないが、私たちとしては案内どころではなかったかもしれない。
おまけに、高速道路は視界不良で通行止め、新千歳空港では夕方の出発便に遅れが出ていた模様。

ハプニングは旅のエッセンス、とは言っても、北国への冬の旅行は大変です。
日程は余裕を持って、突然の中止や変更にもお怒りにならないよう。
私たち住んでいる人間には、日常茶飯事ではあるのだけれど。

さてと今夜は湯船にお湯を張って、温泉の素でも入れて癒されましょうか。
(浴室の窓は雪に閉ざされて、開けることも外を見ることもできませんが)。