ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

おみおくり

2008年09月30日 | 日常雑記
久しぶりの長期撮影旅行だった連休の詳細を、気力がなくてまとめられないと書いた訳。
それは件の長期撮影旅行の最終日だった23日に遡る。
先日来、心筋梗塞の発作で入院をしていた、91歳になる母方の祖母の容態が悪化したという電話が母から来た。
25日木曜には心臓にカテーテルを入れる手術をする予定になっていた、その2日前。
意識障害も出ているという。
すぐにでもお見舞いに行きたかったけれど、おばあちゃんは名古屋。
場所以外にもいろいろあって、すぐに駆けつけるわけには行かない状況だった。
付き添って看病をしている母や、名古屋に住んでいる従兄からの情報だけをやきもきしながら待つ毎日が続いた。
そして週末。
朝一番でケイタイ電話が鳴る。
発信元は「公衆電話」。
覚悟を決めるしかなかった。
電話の主は病院にいた母から、用件は予想通りの最悪な内容だった。

その日の夜にはもうお通夜との知らせをもらい、あわてて身支度をして午後の飛行機に乗る。
子供が3人、孫が5人、ひ孫が9人。
それぞれの連れも合わせると25人が駆けつけていた。
病気がちだったおじいちゃんに代わって、一家の大黒柱と主婦を兼ねて働き続けたおばあちゃん。
子供たちが嫁いでからは孫に会うのが楽しみだったおばあちゃん。
おじいちゃんが亡くなった後も、刺繍やお人形作り、民謡などいろんなことにチャレンジし続けたおばあちゃん。
苦労が多かった分、長生きできて楽しいこともいっぱいあったよね、と信じたい。

私は生まれも育ちも名古屋ではないので、おばあちゃんに会えるのはお正月や夏休みだけだった。
大きくなってからは、数年間会っていないこともあった。
それでもおばあちゃんはふとしたときに手紙や梅干や電話をくれた。
私の進学や結婚など、良いことがあれば心から喜んでみんなに自慢をしてくれた。
今年の4月に、父方の従妹の結婚式で名古屋に行った時、おばあちゃんと母と私たち夫婦で名古屋城公園の桜を見に行った。
おばあちゃんと、娘である母とが、満開の桜の下で微笑んでいる写真を何枚も撮った。
母にとっては、幼い頃に唯一の家族での行楽だったという、名古屋城のお花見。
お天気も良くて寒くもなく、お花は満開。
風が吹けば惜しげもなく花びらが降り注ぐ中、みんなで食べたお弁当。
あの日、一緒に行けて本当に良かったと思う。
おばあちゃん、長い人生をお疲れ様でした。
これからは大好きなおじいちゃんのそばで、私たちを見守っていてね。

それにしても慶弔に忙しい年である。
結婚式(参列できなかったものも含め)、5組。
出産、3組。
身近な親族の訃報、2人。
あ、結局出さずじまいの「引っ越しましたハガキ」、年賀状で代用しようと思ってましたができなくなったので、寒中見舞いとしてお送りします。
悪しからずご了承くださいませ>友人・知人の皆々様

こちらですぅ~

2008年09月24日 | フォ撮りある記
22日月曜は糠平湖のタウシュベツ橋梁→旭岳→(wakaさんいちこちゃんとお別れ)→天人峡。
23日火曜は美瑛→青池→望岳台→上富良野丘めぐり。

と紅葉を追いかけの旅だったわけだけれど、いろいろあってまとめる気力なし。
詳細は穂和の記事でお楽しみ下さい←完全なる人任せ。
※22日分の穂和ブログ記事はコチラから
※23日分の穂和ブログ記事はコチラから

どの場所もすでに訪れたことのある場所だったが、ひとつ、今までと大きく違ったのが青い川で知られている美瑛川中~上流域の青池。
これまでは砂防ダムの建設現場であり、工事車両の出入り口であることから「関係者以外立入禁止」区域だったところが、いつの間にか「立入禁止」の文字が消え、今回はついに「白樺遊歩道はこちら。工事中につきご迷惑をおかけしております」と、一般車両の通行を公式に認める記述に変わっていた。
(注・白金温泉街入り口にある「白樺遊歩道はこちら」とは別)
そして工事車両に遠慮をしつつ小道に入ると、とうとうこんな看板まで。



分岐のたびに立てられているので、まず迷うことなく川原と青い池にたどり着くことができる。
本来なら工事のために一時的に川の水をせき止めたことでできた池であり、いずれ消滅するはずのものだったはずなのだが、この感じだとそのままプチ観光名所として残されそうな予感がする。
道道からの入り口は相変わらずちょっとわかりにくいけれど。
それでも以前に比べればはっきりとした「入り口」であり、工事関係者用のプレハブ事務所が道道から見える。
元々、ある写真家さんが美瑛のポスターにここの写真を使ったことから有名になった「幻の青池」。
この先どうなっていくのやら。
(これまでの青池の様子は、私の別ブログに記事と写真をまとめてます。良ければコチラからどうぞ)

かみゆうべつ温泉「チューリップの湯」

2008年09月22日 | 温泉・スパ・銭湯
道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」のメイン施設となっている、日帰り専用温泉施設。
上湧別の観光名所でもある、チューリップ公園から3kmほどの場所にある。

道の駅としての建物の入り口を入ると、左右にはレストランや売店などがあり、正面の一番奥が浴場の入り口になっている。
その手前で入場券を購入してから中に入る。
壁沿いにコイン返却式ロッカー、中央には脱衣かごが並んでいる。
浴室は和風と洋風があり、日替わりで男女が入れ替わる。
洗い場には仕切りがあり、それぞれのスペースに取り付けられた鏡の横にはハガキ大のチューリップの写真が貼られているのが、いかにも「チューリップの湯」らしい。

お湯に入ると、すぐにお肌がぬるぬるっとしてくるのがわかる。
露天風呂は20人くらいならゆったりと入れそうな大きな浴槽と、水風呂。
サウナは露天風呂の奥にある。
そして浴槽と水風呂のあるスペースと同じくらいの広いスペースを贅沢に使った庭園が。
周りを囲む壁は高いので外の景色を見ることはできないけれど、この庭園と、壁を利用した滝とが入浴客の目を楽しませてくれる。
広くゆったりとしたスペース、大きく切り取られた空。
のんびりリラックスして、いつまでもぼんやりとしていたくなる。
あがった後は畳敷きの広いお休み処で足をのばしたまま、アイスや軽食を食べながら一休み。
道の駅にある公衆無線LANを利用して、持ち込みPCでインターネットを楽しむことも可能。

入浴料 大人500円、子供300円、小学生未満無料
バスタオル、フェイスタオルをレンタルする場合は、100円追加
ドライヤー、ヘアーブラシの備え付けあり
上記料金で利用できる、福祉風呂もあり。要予約
日帰り入浴時間 10:00~22:00(最終受付は21:30)
泉質 ナトリウムー炭酸水素塩化物泉
所在地 紋別郡上湧別町字中湧別3021-1
公式ページはコチラ

■最終訪問日 2008年9月

秋の花旅

2008年09月21日 | フォ撮りある記
祝日と日曜日との間である月曜に休みを取れば、4連休。
それに取っていない夏期休暇の残りを1日足せば、5連休。
そうしてスケジュールも万全で迎えたはずの連休、だったのだが、結局土曜日に穂和に急ぎの仕事が入って半日潰れてしまったため、予定が少しずれた。
それでもとにかく、秋の道東へ。

土曜日は午後からしか動けなかったので、完全なる移動日。
翌朝も早くから動きたいということで、早めに寝る準備をしていたら、突然写真仲間のいちこちゃんからメールが。
今もう遠軽にいるよ、と返信をすると、では自分たちも向かいます、との返事。
こうして札幌から片道4時間の場所での待ち合わせが成立した。

21日朝。
早朝は天気が良かったが、推定雨男のwakaさんが近付いて来るに従って、雲が出始めた。
遠軽の目的地である「太陽の丘えんがる公園」は、本当は9時から開園なのだが、私たちを含めて時間前から待っているお客のために、スタッフが来た8時過ぎにはもう中へ入れてくれた。
連れのいちこちゃんの晴れ女パワーのおかげで、どうにか晴れ間も見えつつの、コスモス撮影。
今年は、八重のコスモス「ダブルクリック」という品種がかわいくて、夢中になった。
この八重秋桜、実は昨年からあったとのことだが、昨年は全く気が付いていなかった。





コスモスを堪能し、次なる目的地の能取湖に向かっていくと、雲はどんどん厚くなっていった。
この時期の能取湖と言えばサンゴ草(アッケシソウ)だが、いかんせん陽が射さないと美しい赤色が出てこない。
何とか少しでも太陽を、と願ったが、なかなかそううまくは行かない。



サンゴ草の群生地にはたくさんのカモメが舞い降りて、泥の中をつついてエサを獲っていた。
カモメの種類がわからなくて家に帰って調べたところ、どうやらユリカモメらしい。
ユリカモメと言えば黒い頭、だと思っていたが、冬毛になるとこんなに淡くてかわいい模様になるようだ。

こんな曇天では本日最後の目的地、メルヘンの丘には夕陽は沈まないかも知れない。
今まで何度かメルヘンの丘へ行っているが、どの季節でも、沈む夕陽に出会えないことはなかった。
だけど今度こそはダメかも。
そう思えるほど厚い雲に覆われていた網走周辺だったが、案に相違して女満別に入ったところでうっすら薄日が射してきた。
そして夕暮れの時間にはちゃんと太陽が顔を出し、くっきりと輪郭を見せたまま丘の向こうに沈んだ。
残照も、きれいに見えた。


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衝動買い

2008年09月19日 | 日常雑記
女の私よりかわいいキャラ好きのダンナ、穂和。
特にお気に入りはミッキーマウスとピカチュウ。
と、たまたま出かけた文房具屋さんで、ピカチュウのネームスタンプを見つけて、これは買うしかないでしょうと名前を探した。
ところがあくまで子供向けの商品。
20数年前に子供だった年代の名前は見つからない。
「はるか」はすぐに見つかるけれど(逆に自分が子供だったころにはなかなか無かった覚えが…)欲しいのは私の分じゃない。
仕方なく本名は諦めて、穂和(ほのか)で探すと、あっさり見つかった。
ただし、写真の通り赤インク=女の子名前として。
……まぁ仕方ないわね。

喜び勇んで買ってきたはいいけど、穂和に渡したら一言、
「使う機会がなさそう」……
わかってますよーだ……

霧海テラス

2008年09月16日 | フォ撮りある記
13日からの三連休初日。
真ん中の14日日曜日は今年4組目となる友人の結婚式へお呼ばれしていたので、連続して出かけることはできない。
でもせっかくだからどこかへ行こう。
ただ、天気予報がどうもいまいち良くない。
さてどこがいいだろう?

いろいろと悩んでいるうちにふと、昨年のこの時期にローカル番組で見たトマムの「雲海テラス」を思い出した。

山間ににょきっと生えているかのような高層のホテル群を中心とした、滞在型リゾート施設「トマムリゾート」。
冬にはスキー場となる山の、上級者コースとなっている山頂は、夏の間はスタッフだけが立ち入る場所だった。
夏の早朝、その山頂からトマムリゾートの敷地を見下ろすと、霧が下りていることがある。
霧というより、厚い雲となっていることがある。
そんな時、山頂にあるテラスは雲の上になることから「雲海テラス」と名付けられている。
実際、夏の間は雲海が発生する気候条件が揃いやすいらしく、低くない確率で遭遇できるらしい。
雲海テラスのスタッフ、「雲海仙人」さんが不定期更新しているブログを見れば、翌日の雲海発生予報もわかる。
(2008年9月13日の記事もあります。上から3枚目、4人組が記念撮影しているすぐ左側に私たちは陣取ってました・笑)

私たちが行こうとした日の前日には更新がなかったので、予報は見られないまま出発。
早朝の天気予報は「曇り」、ということは雲海発生?との期待も持った一方で、前日が雨のために日中の気温が上がっておらず、夜中との気温差がほとんどなさそうだったため、あまり発生してくれないかもという覚悟もしていた。
山頂に向かうゴンドラ乗り場の駐車場で車を降り、空を見上げると星が見える。
星が見える、ということはお天気が良すぎてダメかも、とまた苦笑い。
とにかく行ってみましょう、とゴンドラ乗り場に行き、始発の便に乗って山頂を目指した。
ゴンドラに乗っているうちに、山向こうから朝陽が上がり始めた。
雲海テラスから出会えたのは、雲海にまではなりきれない、霧の海だった。
遠くの山は霧の中に浮かんでいるよう。
美瑛の秋の朝霧ともまた少し違う、それはそれで美しい光景だ。



夏のゴンドラ運営は前期が朝5時から8時半、後期が5時半から8時半。
どんなに遅くても8時半までにはゴンドラに乗って帰ってこなくてはならない、まさに早起きした人だけが味わえるひとときなのだ。
前期と後期の切り替え日は年によって異なると思われる(2008年は9月16日までが前期)。
私たちが行った前期の最後に近いころになると、朝イチの便で上がれば雲海に朝陽が昇るという最高に贅沢な条件にめぐり合うこともできそうだ。
ゴンドラの乗車券代わりになっている絵葉書は、雲海テラスにあるポストに入れれば、切手の代わりに記念スタンプが押された状態で配達される。
雲の上からお手紙、なんてちょっと楽しいじゃない?
というわけで私は穂和宛に送ってみた。
16日、無事に自宅に届いていた。

トマムアルファリゾート公式ページはコチラから

お祭り

2008年09月11日 | 日常雑記
穂和の会社からほど近い神社でお祭りがあった。
さっそくカメラを担いで出かける。

道の両側にずらりと並ぶ、出店、出店、出店。
そして通路に溢れる人、人、人。
時間が早かったので、中学生や高校生のグループも多い。
その人の多さに、穂和はカメラを出し損ねる。
私は食い意地に負けて食べ物屋探しに夢中になり、カメラを出し損ねる。
それにしても実にいろいろな種類の食べ物がある。
たこ焼き、焼きそば、焼き鳥はもちろん、トルネードポテトフライ、パスタ棒、名古屋コーチン串のような変り種がいっぱいあって、目移りしてしまう。
昔の、大食いだったころの私なら片っ端から食べたいと思っていたところだろう。
さすがに今はそんな芸当はできないけれど。

小さいころ、近所でお祭りがあると言えば、父がお小遣いをくれた。
普段は月々の定額のお小遣い以上の金額は絶対にもらえない家だったのに、お祭りの時だけは特別に気前良く、1000円札を握らせてくれた。
中学になるまでは月のお小遣い金額よりも大きいそのお金を、ドキドキしながら受け取った。
しかも、お小遣いでの買い食いは禁止されていたのに、お祭りの時は特別にOK。
何を食べようか、どのゲームをしようか、頭の中で金額を一生懸命計算しながら出店の間をうろちょろした記憶がある。
でもそれももう20年も前の話。
今どきだったら1000円くらいではほとんど遊べない。
まずお好み焼きとたこ焼きを買ったら、それだけで1000円になってしまう。
あるいはチョコバナナ、トロピカルジュース、クレープを買ったらそれだけで1000円になってしまう。
ちょっと買い食いと、ちょっとゲームをやるだけでも、きっと2000円は欲しいと思うところだろう。

それでもなんだかお祭りは楽しい。
そしてやっぱり、北海道のお祭りは「暑くない」。
買ったお好み焼きを近くに腰掛けて食べていたら、足元を通り過ぎる風が冷たかった。
指先が痺れたドリビの花火ほどじゃなかったけど。

あ、結局写真は一枚も撮らずに帰ってきましたとさ。

レジ袋哀歌

2008年09月10日 | 日常雑記
世の中の流れに合わせて、近所のスーパーでもレジ袋が有料化されることになった。
資源を大切に、の心は理解できるので、有料化自体には異を唱えるつもりはない。
ただちょっと困るかなと思うのは、レジ袋を買うこと自体が肩身の狭い思いをしそうだ、ということ。

レジ袋は、我が家にとってなくてはならないアイテムだ。
トイレ、洗面所、台所、リビング、寝室など各部屋にあるゴミ箱にはそれぞれレジ袋を入れてある。
ゴミの日には、中身が少ないゴミ箱からは中身だけを他の袋に移し、なるべく捨てる袋を少なくしてゴミステーションに持っていく。
夫婦二人の生活では、市販の45Lのゴミ袋は3日やそこらではいっぱいにはならない。
でも生ゴミがある以上、一週間も溜めておく気にはなれないから燃えるゴミの日にはちゃんと持って行きたい。
回収が週に一度であるプラゴミ、資源ゴミなども、レジ袋なら満杯にして出せるちょうどいい大きさなのだ。
もちろん、釣りに行く時の汚れ物入れ、写真旅行の時の汗がついた着替え入れ、車の中のゴミ袋など用途は幅広い。

市販のゴミ袋を買うつもりで、レジ袋にお金を払うと考えれば、払うこと自体には不満はない。
いまどきの多くのレジ袋は「燃やしても有害なガスを発生させません」というモノが多いので、ゴミ袋として使うことに問題はないと思っている。
ただ、レジ袋を買う=資源を大切にしない、エコじゃない人間、と毎度毎度レジで見られるのも本意ではない。
かといって、市販のゴミ袋を買って、ゴミの日に袋いっぱいにできないまま中身がスカスカの袋を捨てに行くのも抵抗がある。
加えて、各部屋のゴミ箱に袋を入れずに直接ゴミを入れることにも抵抗がある。
鳥のエサのカスや、フンを拭いたティッシュ、鼻をかんだティッシュなどを直接ゴミ箱に入れて、ゴミ箱が衛生的でなくなってしまうのが気になるのだ。
それならゴミ袋を入れて少なければ他に移し、時々袋ごと捨てて新しく入れ替える方が理に適っているのではないか。

近所のスーパーのレジ袋が有料になるまでに、あと約1ヶ月。
それまでは毎回お買い物に行くたびに「レジ袋が有料になります。マイバッグの持参をお願いします」というチラシを受け取り続けなければいけないんだろうな。
ちょっと憂鬱になる。
いっそ、レジ袋型のゴミ袋を、どこかで売り出してくれないだろうか。
それがダメなら、レジ袋型の市販の袋を探して買ってくるしかないのかな。
(同じお金を払うなら、わざわざ買いに行くよりレジで買った方が楽なんだけどなぁ)