ストックポートのタウンセンターはずれにある巨大な貸し倉庫ビルで展開している...
アフガニスタン難民のための救援物資を準備するボランティア活動に参加しました。
タリバンの政権掌握とほぼ同時に始まった活動だそうです。
2日お手伝いをして週末は休みます。
来週また足を運ぶつもりです。
週末も活動は続いています。
主宰している ケア・フォー・カレイス Care 4 Calais はマンチェスターに本拠地を置く難民支援を目的としたボランティア団体です。
英国に入国を希望する難民が集結するドーバー海峡に面したフランスの港町カレーのキャンプで活動を始めた団体です。
マンチェスターはカレーからずいぶん遠いのですが...
今回は現在、悲惨なことになっているアフガン難民を援助するためのプロジェクトです。
そのために特別に集められた物資を仕分けし箱詰めして、主にグレーター・マンチェスター各地のホテルに滞在している着の身着のままで出国してきた難民に手渡します。
スーパーマーケットや量販店のレジで売られている「バッグ・フォー・ライフ bag for life 」という頑丈な買い物袋か黒いゴミ袋に入った救援物資がどかどかと積み上げられていきます。
届いた物資の山は1時間もたたないうちに崩れ、スペースがあいたと思う間もなく次の山が築かれます。
ボランティアが持って行って各自床の上に中味をぶちまけて、分類、品質チェックをし、それぞれ段ボール箱に投げ込んで分類していきます。
私ぐらいの年代の女性が多かったです。
夏休み中のティーンエイジャー(お母さんに引っ張ってこられたような子たちも多数)も楽しそうにかたまってワイワイ作業していました。
若い男性の多くは台車を使った運搬作業をしていたようです。
参加者はメディアの取材や独自のソーシャルネットワークに投稿するための見栄えを意識して、用意した赤いティーシャツを着て作業するよう言われました。
ボランティアのプロのカメラマンも2日目は常駐していました。
(赤いティーシャツは帰る時に脱いで箱に入れていきます)
協力者を募るため、ソーシャルメディアへの投稿は重要です。
私も、友達に教えてもらったフェイスブックの記事でこの活動を知り1人で飛び入りで参加しました。
いつ行ってもいつ帰ってもオッケーの自由で気楽な奉仕です。
義援金、寄付品とボランティア協力者はまだまだ必要だそうです。
ブレクシット決定以来、英国の世論は目に見えて移民排斥に向かう傾向があります。
イスラム過激派によるテロ行為が以前より増えたのも排斥心理の後押しをしているみたいです。
以前は「移民出てけ」なんて大っぴらに口にする人はいなかったはずですし、多民族が融合してすべての人が居心地よく住める社会の建設を目標にしていた英国は外国人である私にも素晴らしい国に思えました。
ブレクシット決定以後、島国根性を隠そうとしなくなった一面があらわになり、私がずっと住みたいと思っていた英国ではなくなりつつあるような気がします。
「自分の国さえよければ他はどうでもいい」なんて国際関係上よくない考え方なのですが、何となく正当化されつつあるような近年の英国です。
.それが...今回のアフガン危機に心をいためた英国の善男善女の厚意の寄付品の洪水を見て、「やっぱり捨てたもんじゃない」と思いました。
おもちゃや育児用品や大量の衣料品など不要になった品の寄付がもちろん多いのですが、大量の紙オムツ、衛生用品(石鹸、ハミガキ、ローション等)生理用品など特に呼びかけに応じた(寄付するために購入した)新品も、ものすごい数が集まっています。
今困っているよその国の人を手助けしたいという一般人の善意には圧倒されます。
袋から出したとたん悲しくなるようなぼろっちい品もいっぱい出てきましたが(ボランティアの判断でコンディションの悪いものは廃棄しました)。
火災予防条例のためにボランティアは名前と連絡先と退出時間を残すことになっています。
午後はやくに参加してほとんど最後まで残った私が帰る前に記名用紙を見たところ、1日に200人は参加していました。
1時間だけ、あるいは仕事の後ちょっと寄って手伝っていった、なんていう人もけっこういたようです。
半そでや袖なし、肌の露出が多い、あるいは体の線があらわになるなどイスラム教徒の女性が着ることができない婦人服は取りよけてチャリティーショップにまわすゴミ袋に詰めました。
スカートもくるぶし丈より短いものは戒律上履けないそうですのでチャリティーショップ行きです。
私が行った1日目にはイスラム教徒の女性ボランティアの提案で、コンビで着るための半袖か袖なしのゆったりしたワンピースと、色や柄を合わせて長そでのティーシャツやブラウスと合わせてまとめてたたむという効率の悪い作業が展開されていました。
ワンピースの下にはズボンをはけばいいようです。
「ワンピースもズボンも長そでティーシャツもドカッと配付して着る人の判断にまかせればいいのじゃないか?」と思った私です。
さすがに2日目は長そで以外は箱に入れないという方針を徹底して効率は上がったようですが、これも「半袖の上にセーターやカーディガンを着たら問題ないんじゃないか?」とひそかに思いました。
いらなくなったおもちゃを、何も持たずに出国してきた子供たちのために寄付したよい子たちの善意はわかるのですが、私は自分の一存でパーツが欠けたり擦り切れたりしたおもちゃを大量に廃棄箱に入れました。
難民の子供たちが手渡されたおもちゃがそろっていなくて使えなかったり使い古された物だったりしたらどんなにがっかりするだろう、と思っての判断です。
分類された救援物資を箱からいったん出してていねいに詰めなおす作業をいっしょにした年配の女性のお姉さんか妹は、前日マンチェスター空港まで難民50人を迎えに行ってお茶をふるまって、話をしたそうです。
その時会ったアフガン難民の多くは大学卒業者で、流ちょうな英語を話す英国の軍隊やメディアや学術関係の仕事をしていたエリートだそうです。
撤退する英国陸軍の輸送機にすべりこみで載ることができたその人たちは、アフガニスタンのひどいありさまの報道を見る限りものすごくラッキーなはずです。
多くの人はやりたい放題のタリバンが支配する混乱と恐怖のまっただなかの母国に家族を残して何も持たずに着の身着のままでマンチェスターに到着したようです。
...やりきれない思いです。
イスラム教徒と犬猿の仲らしいユダヤ教徒もラーバイ(説教師)の呼びかけに応じて大量の救援物資や義援金を寄付しています。
うれしさで半泣きのマンチェスターの若いラーバイをニュースで見てやはり人の善意に心を打たれました。
英国には200年来、アフガニスタンの侵略を試みたり国内の紛争を画策したり、保護国として支配したり歴史的にアフガン問題に大きな責任があります。
それでも、グレーター・マンチェスター内に5万人、アフガニスタン人を難民として受け入れる太っ腹、本当に困っている隣人に対する懐の深い対応を見て、本当に久しぶりに英国に住んでいてよかった、と思えました。
この建物は鉄道貨物を一時保管するための倉庫として1877年にたてられたようです。
歴史的建造物を記念する、由来が書かれた金属の札が取り付けられていました。
今は全棟、個別の「貸し倉庫」として一社が所有しているみたいです。
イタリアルネッサンス復興様式 Italianate Style の保存指定建築だそうです。
アフガニスタン難民のための救援物資を準備するボランティア活動に参加しました。
タリバンの政権掌握とほぼ同時に始まった活動だそうです。
2日お手伝いをして週末は休みます。
来週また足を運ぶつもりです。
週末も活動は続いています。
主宰している ケア・フォー・カレイス Care 4 Calais はマンチェスターに本拠地を置く難民支援を目的としたボランティア団体です。
英国に入国を希望する難民が集結するドーバー海峡に面したフランスの港町カレーのキャンプで活動を始めた団体です。
マンチェスターはカレーからずいぶん遠いのですが...
今回は現在、悲惨なことになっているアフガン難民を援助するためのプロジェクトです。
そのために特別に集められた物資を仕分けし箱詰めして、主にグレーター・マンチェスター各地のホテルに滞在している着の身着のままで出国してきた難民に手渡します。
スーパーマーケットや量販店のレジで売られている「バッグ・フォー・ライフ bag for life 」という頑丈な買い物袋か黒いゴミ袋に入った救援物資がどかどかと積み上げられていきます。
届いた物資の山は1時間もたたないうちに崩れ、スペースがあいたと思う間もなく次の山が築かれます。
ボランティアが持って行って各自床の上に中味をぶちまけて、分類、品質チェックをし、それぞれ段ボール箱に投げ込んで分類していきます。
私ぐらいの年代の女性が多かったです。
夏休み中のティーンエイジャー(お母さんに引っ張ってこられたような子たちも多数)も楽しそうにかたまってワイワイ作業していました。
若い男性の多くは台車を使った運搬作業をしていたようです。
参加者はメディアの取材や独自のソーシャルネットワークに投稿するための見栄えを意識して、用意した赤いティーシャツを着て作業するよう言われました。
ボランティアのプロのカメラマンも2日目は常駐していました。
(赤いティーシャツは帰る時に脱いで箱に入れていきます)
協力者を募るため、ソーシャルメディアへの投稿は重要です。
私も、友達に教えてもらったフェイスブックの記事でこの活動を知り1人で飛び入りで参加しました。
いつ行ってもいつ帰ってもオッケーの自由で気楽な奉仕です。
義援金、寄付品とボランティア協力者はまだまだ必要だそうです。
ブレクシット決定以来、英国の世論は目に見えて移民排斥に向かう傾向があります。
イスラム過激派によるテロ行為が以前より増えたのも排斥心理の後押しをしているみたいです。
以前は「移民出てけ」なんて大っぴらに口にする人はいなかったはずですし、多民族が融合してすべての人が居心地よく住める社会の建設を目標にしていた英国は外国人である私にも素晴らしい国に思えました。
ブレクシット決定以後、島国根性を隠そうとしなくなった一面があらわになり、私がずっと住みたいと思っていた英国ではなくなりつつあるような気がします。
「自分の国さえよければ他はどうでもいい」なんて国際関係上よくない考え方なのですが、何となく正当化されつつあるような近年の英国です。
.それが...今回のアフガン危機に心をいためた英国の善男善女の厚意の寄付品の洪水を見て、「やっぱり捨てたもんじゃない」と思いました。
おもちゃや育児用品や大量の衣料品など不要になった品の寄付がもちろん多いのですが、大量の紙オムツ、衛生用品(石鹸、ハミガキ、ローション等)生理用品など特に呼びかけに応じた(寄付するために購入した)新品も、ものすごい数が集まっています。
今困っているよその国の人を手助けしたいという一般人の善意には圧倒されます。
袋から出したとたん悲しくなるようなぼろっちい品もいっぱい出てきましたが(ボランティアの判断でコンディションの悪いものは廃棄しました)。
火災予防条例のためにボランティアは名前と連絡先と退出時間を残すことになっています。
午後はやくに参加してほとんど最後まで残った私が帰る前に記名用紙を見たところ、1日に200人は参加していました。
1時間だけ、あるいは仕事の後ちょっと寄って手伝っていった、なんていう人もけっこういたようです。
半そでや袖なし、肌の露出が多い、あるいは体の線があらわになるなどイスラム教徒の女性が着ることができない婦人服は取りよけてチャリティーショップにまわすゴミ袋に詰めました。
スカートもくるぶし丈より短いものは戒律上履けないそうですのでチャリティーショップ行きです。
私が行った1日目にはイスラム教徒の女性ボランティアの提案で、コンビで着るための半袖か袖なしのゆったりしたワンピースと、色や柄を合わせて長そでのティーシャツやブラウスと合わせてまとめてたたむという効率の悪い作業が展開されていました。
ワンピースの下にはズボンをはけばいいようです。
「ワンピースもズボンも長そでティーシャツもドカッと配付して着る人の判断にまかせればいいのじゃないか?」と思った私です。
さすがに2日目は長そで以外は箱に入れないという方針を徹底して効率は上がったようですが、これも「半袖の上にセーターやカーディガンを着たら問題ないんじゃないか?」とひそかに思いました。
いらなくなったおもちゃを、何も持たずに出国してきた子供たちのために寄付したよい子たちの善意はわかるのですが、私は自分の一存でパーツが欠けたり擦り切れたりしたおもちゃを大量に廃棄箱に入れました。
難民の子供たちが手渡されたおもちゃがそろっていなくて使えなかったり使い古された物だったりしたらどんなにがっかりするだろう、と思っての判断です。
分類された救援物資を箱からいったん出してていねいに詰めなおす作業をいっしょにした年配の女性のお姉さんか妹は、前日マンチェスター空港まで難民50人を迎えに行ってお茶をふるまって、話をしたそうです。
その時会ったアフガン難民の多くは大学卒業者で、流ちょうな英語を話す英国の軍隊やメディアや学術関係の仕事をしていたエリートだそうです。
撤退する英国陸軍の輸送機にすべりこみで載ることができたその人たちは、アフガニスタンのひどいありさまの報道を見る限りものすごくラッキーなはずです。
多くの人はやりたい放題のタリバンが支配する混乱と恐怖のまっただなかの母国に家族を残して何も持たずに着の身着のままでマンチェスターに到着したようです。
...やりきれない思いです。
イスラム教徒と犬猿の仲らしいユダヤ教徒もラーバイ(説教師)の呼びかけに応じて大量の救援物資や義援金を寄付しています。
うれしさで半泣きのマンチェスターの若いラーバイをニュースで見てやはり人の善意に心を打たれました。
英国には200年来、アフガニスタンの侵略を試みたり国内の紛争を画策したり、保護国として支配したり歴史的にアフガン問題に大きな責任があります。
それでも、グレーター・マンチェスター内に5万人、アフガニスタン人を難民として受け入れる太っ腹、本当に困っている隣人に対する懐の深い対応を見て、本当に久しぶりに英国に住んでいてよかった、と思えました。
この建物は鉄道貨物を一時保管するための倉庫として1877年にたてられたようです。
歴史的建造物を記念する、由来が書かれた金属の札が取り付けられていました。
今は全棟、個別の「貸し倉庫」として一社が所有しているみたいです。
イタリアルネッサンス復興様式 Italianate Style の保存指定建築だそうです。