今週は新商品の出荷が大量に入ってずいぶんバタバタしている。
当初の予定が急に前倒しになったため、製造や物流の現場もイッパイイッパイのここ数日であった。
さて、木曜になって先週の土曜のことをまた書こうとしているが、会社メンバーの飲み会の後にはまだ続きがあった。
21時前に終わった会の後は本当ならすぐに帰るつもりだったところ、自宅方面の電車もバスもかなり時間があることが分かった。
待たされるのも何なので、若い頃から世話になっていて安く飲める市内某店に行くことにした。
土曜の夜ながら店内はそれほど人もおらず、ベテランのママさんとひとしきり話した。
ママさんも私も、スマホや3Dなど最新のデジタル技術には何となくだが「行き過ぎたもの」を感じているという意見で一致した。
若いJちゃんが21時半頃に入ってきたが、その話でかなり二人とも熱くなっていたようで、最初は会話に入りづらそうな感じではあった。
古くは家庭用にテレビが普及し始めた時も「一億総白痴化」などという物騒な言葉が出ていたものだが、現代は本当にそれが来るところまで来ているという印象だ。
携帯をはじめとした「プライベートを持ち歩く」機器、映画館だけのものだった3D、その他もろもろの「便利機能」の付いた様々な製品。
しかし、それらがかえって人間を劣化させる方向に持って行っているのではないかという感じはどうしてもぬぐえない。
私はあえてそういう便利なものを避けているわけではないが、他人から見れば前時代的な生活をしているように見えるかもしれない。
携帯はさすがに持っているがいわゆるガラケーで、使い道も通話とメール、あとは時たまカメラくらい。
PCのOSはいまだにXPだが、シンプルで使いやすいし自分の用途には十分間に合うので変えるつもりはない。
テレビはおととし買ったこともあって2Dだし、ブルーレイはあるが録画をしないので再生専用機である。
道に迷わない旅に面白みを感じないことからカーナビにも興味がわかない、といった具合だ。
メーカー戦略やマスコミ情報に流されるのではなく、自分に必要もしくは不要なものがハッキリしていればモノ選びに悩むことはない。
その結果、世の多数派から漏れているとしても特に不都合はない。
本欄では何度も書いていることだが、デジタル機器はあくまで人間の手助けをする道具として使えればいいことで、人間の側が例えばケイタイ依存症のごとくに機械に支配されるようなことではいけないと思う。
もともとアナログ人間という要素を割り引いても、もう年も年なので、デジタルに「頼りすぎない」生活、ある程度の「不便」を甘受できるような生活をすることで、できるだけアタマが衰えないようにはしていきたいと考えている。
当初の予定が急に前倒しになったため、製造や物流の現場もイッパイイッパイのここ数日であった。
さて、木曜になって先週の土曜のことをまた書こうとしているが、会社メンバーの飲み会の後にはまだ続きがあった。
21時前に終わった会の後は本当ならすぐに帰るつもりだったところ、自宅方面の電車もバスもかなり時間があることが分かった。
待たされるのも何なので、若い頃から世話になっていて安く飲める市内某店に行くことにした。
土曜の夜ながら店内はそれほど人もおらず、ベテランのママさんとひとしきり話した。
ママさんも私も、スマホや3Dなど最新のデジタル技術には何となくだが「行き過ぎたもの」を感じているという意見で一致した。
若いJちゃんが21時半頃に入ってきたが、その話でかなり二人とも熱くなっていたようで、最初は会話に入りづらそうな感じではあった。
古くは家庭用にテレビが普及し始めた時も「一億総白痴化」などという物騒な言葉が出ていたものだが、現代は本当にそれが来るところまで来ているという印象だ。
携帯をはじめとした「プライベートを持ち歩く」機器、映画館だけのものだった3D、その他もろもろの「便利機能」の付いた様々な製品。
しかし、それらがかえって人間を劣化させる方向に持って行っているのではないかという感じはどうしてもぬぐえない。
私はあえてそういう便利なものを避けているわけではないが、他人から見れば前時代的な生活をしているように見えるかもしれない。
携帯はさすがに持っているがいわゆるガラケーで、使い道も通話とメール、あとは時たまカメラくらい。
PCのOSはいまだにXPだが、シンプルで使いやすいし自分の用途には十分間に合うので変えるつもりはない。
テレビはおととし買ったこともあって2Dだし、ブルーレイはあるが録画をしないので再生専用機である。
道に迷わない旅に面白みを感じないことからカーナビにも興味がわかない、といった具合だ。
メーカー戦略やマスコミ情報に流されるのではなく、自分に必要もしくは不要なものがハッキリしていればモノ選びに悩むことはない。
その結果、世の多数派から漏れているとしても特に不都合はない。
本欄では何度も書いていることだが、デジタル機器はあくまで人間の手助けをする道具として使えればいいことで、人間の側が例えばケイタイ依存症のごとくに機械に支配されるようなことではいけないと思う。
もともとアナログ人間という要素を割り引いても、もう年も年なので、デジタルに「頼りすぎない」生活、ある程度の「不便」を甘受できるような生活をすることで、できるだけアタマが衰えないようにはしていきたいと考えている。