江戸東京たてもの園は、江戸から昭和時代までの歴史的建造物を失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で設置された野外博物館です。今回は、銭湯 小宝湯を紹介です。小宝湯(こだからゆ)は建築は、1929年(昭和4)足立区千住元町の銭湯の建物です。入口~大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻
現在の銭湯 現在の想像が出来る銭湯の形は明治10年頃にさかのぼる。東京神田に出来た銭湯では . . . 本文を読む
江戸東京たてもの園 東ゾーン 下町中通り丸二商店・花市生花店・武居三省堂・店蔵型休憩所
店蔵型休憩所・武居三省堂・花市生花店・丸二商店
丸二商店(荒物屋)建築 昭和初期 千代田区神田神保町三丁目昭和初期に建てられた荒物屋。
武居三省堂・花市生花店武居三省堂(文具店) 建築1927年(昭和2) 千代田区神田須田町一丁目明治初期に創業した文具店。花市生花店 建築 年代1927年(昭和2)千代田区 . . . 本文を読む
江戸東京たてもの園 Ⅱ センターゾーン江戸東京たてもの園は中央線東小金井駅ゆっくり歩いて約20分。江戸東京たてもの園 西ゾーンを前回 紹介しました。次はセンターゾーンを紹介いたします。
ビジターセンター(旧光華殿)建築は1940年(昭和15) 千代田区千代田 にあったもので、1940年(昭和15)に皇居前広場で行わ . . . 本文を読む
江戸東京たてもの園 前から見てみたいと思い初めて入って見ました。中央線東小金井駅から近くまで行くバスもあるのですが・・・前もって調べていて歩いてもたいした事はない距離(ゆっくり歩いて約20分)でしたので歩いて行きました。江戸東京たてもの園は、小金井公園の西口から向かいました。江戸東京たてもの園 入館料を支払入館歴史的建造物「旧光華殿」を改修した江戸東京たてもの園の正面出入口でビジターセンターです。 . . . 本文を読む
八月の予定表に、高岡流綱火を見に行こうと決めて、電車に行く予定でしたが・・・・急遽、グーグルマップを使いバイク(スマホは、前ポケットに入れイヤホーンで)指示された通り走って行きました。迷う事無く 17時に出て~高岡流綱火のある高岡愛宕神社に着いたのは17時40分 50ccバイクですから こんなもんです。バイクは神社の駐車場に置いて、まだ早いのでゆっくりして19時から「繰り込み」 と行 . . . 本文を読む
綱火 ・高岡流綱火は、あやつり人形と仕掛け花火を結合し、囃子に合わせて人形を操る伝統芸能で、江戸時代の初頭から始まったとされています。 鎮守の祭りの時に大樹から赤と黒の蜘蛛が舞い降り巣を作る様から、村人が創作したと伝えられています。 火薬の配合や技術などは秘伝とされ、現在は「高岡流綱火更進団」が伝統を守り続けています(国要無形民俗文化財にも指定)令和元年 高岡流綱火 自衛隊の大 . . . 本文を読む
綱火 ・高岡流綱火は、あやつり人形と仕掛け花火を結合し、囃子に合わせて人形を操る伝統芸能で、江戸時代の初頭から始まったとされています。 鎮守の祭りの時に大樹から赤と黒の蜘蛛が舞い降り巣を作る様から、村人が創作したと伝えられています。 火薬の配合や技術などは秘伝とされ、現在は「高岡流綱火更進団」が伝統を守り続けています(国要無形民俗文化財にも指定)令和元年 高岡流綱火 舟遊び・・ . . . 本文を読む
綱火 ・高岡流綱火は、あやつり人形と仕掛け花火を結合し、囃子に合わせて人形を操る伝統芸能で、江戸時代の初頭から始まったとされています。 鎮守の祭りの時に大樹から赤と黒の蜘蛛が舞い降り巣を作る様から、村人が創作したと伝えられています。 火薬の配合や技術などは秘伝とされ、現在は「高岡流綱火更進団」が伝統を守り続けています(国要無形民俗文化財にも指定)令和元年 高岡流綱火 三番叟・・ . . . 本文を読む
つくばみらい市で、伝統芸能. 国指定重要無形民俗文化財の「高岡流綱火」を見に行ってきました。高岡の愛宕神社に火難と病難除け・家内安全・五穀豊穣を祈願して奉納される。「繰り込み」は、神社を手製の花火によって燃えんばかりの火の中に包まれる。
この行事を中止すると地域に大きな不幸が起こるといわれています。 高岡流綱火の起こりは、江戸時代の初頭とされています。鎮守の祭りの時に赤と黒の蜘蛛が舞い降り巣を作 . . . 本文を読む
秩父神社 左甚五郎の彫刻が好きで見にいってきました。秩父神社は、約2000年の歴史がある神社で、天正12年(1592年)に徳川家康により再建(1970年に解体復元)されました。社殿に施された彫刻は、日光東照宮の三猿や眠り猫で有名な名工・左甚五郎の作品であります。子宝・子育ての虎、つなぎの龍、お元気三猿、子宝・子育ての虎、瓢箪から駒をはじめ様々な彫刻が、社殿を一層華やかな . . . 本文を読む