- 聖句に喚起される読み方「だれも気を落としてはなりません」(サムエル記上17:32)…「気」を「落とす」とはなんという言葉だろう。「気」は人を生かす内なる力である。人生の壁を自力で突破しようとすれば必ず「気を落とす」ことになるだろう。壁は神が突破してくださる。人はその後についていく。信仰は先走ろうとする自分を繰り返し神の後ろにひき据える働きである。
上記は小島誠志牧師の『愛に根ざして生きる―聖句断想2』から引用したもの。時々拾い読みしてはなるほどと感心したり、教えられたりすることが多い。小島牧師は、「断想」としたのは、釈義とか注釈ではなく聖句に喚起された短い随想という意味だと「あとがき」に書かれている。「聖句に喚起された」とはどんな読み方だろうか。自分の中を空っぽにして、じかに聖句とじっくり向き合い、響く声を聞くことだろうか。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳、詩編46:10)
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