太祇の十句
太祇は蕪村とほゞ同時代の人で、また別に一特色を備へた俳人であった。か
つて、子規の生前にも、蕪村を推尊したかたはら、この人の特色をも見留めて、
その句集を俳書堂から発兌せしめたことなどもある。極端なる滑稽の一茶など
に比すれば、句風も多方面になつてゐるといつてよいが、しかしその修辞上に
於ては、多く俗語を用ゐて、洒脱にまた軽妙に言ひこなしてゐる。で、これらの、
句を見れば、やはり一茶、大江丸の続きには、自然この人に連想を及ばせねば
ならぬことになる。前々回に一茶、前回に大江丸を解いた因みから、今回は太
祇の句を解くことゝする。
年玉や利かぬ薬の医三代
昔は一月に用ゐる屠蘇は、専ら出入の医者から貰つたもので、則ちこれを逆
にいへば、屠蘇はきまつて医者のお年玉であつたといつて宜しい。で、この句は
其処から趣向を立てたものかと思はれる。
今、年玉を貰つた。これは出入の医者の贈物で、その人の調合した薬である。
この医者はすでに三代も続く家柄であるが、その薬といつては余り効能がない。
則ち利かぬ薬を下さるお医者様であるといふので。
これが屠蘇であつて見れば強ち利く利かぬといつて論ずるでもないが、たまた
ま新歳に方つて一家病気もなく、医者から貰つたものは、目出度い酒に投ずる
屠蘇である。けれども、何等病気には利き目はないと、医者を嘲る如き言外に、
一家の無事で目出度く春を祝ふ心持ちがほのめかされてゐる。
それから、茲に殊更に三代といつたのは、かの医三世ならざればその薬を服
せず、といふ漢土の諺から取つて来たこと勿論である。
永き日や目の疲れたる海の上
日永の時分に海岸に立つて、漫々とした沖を眺めてゐた。折しも春の長閑な
空であるから、畳を敷いたやうな穏やかな波が一面に動いてゐるのみで、外に
は何等格段なものも目に入らない。その穏やかな春の海を、立つて眺めてゐた
ので、遂には目も疲れるやうになつたわいといふのである。
限りも無い海を限りもなく眺めてゐるところに、自然に永き日の心持ちが浮か
んで来る。この句も「目の疲れたる」 といふ一語は、どこまでも太祇の手段たる
を失はない。
春の夜や女をおどすつくりごと
春の夜は男、女、殊に若い人達は色々まどゐをして慰み興ずる例であるが、
折節、一つ女にからかつて嚇してやらうといふので、男同士が言ひ合せて、何か
女のびつくりするやうな事をして興じて見たいといふので。
嚇かされて女の怨みごとを訴へるといふことも此の後に想像されて、これも一
種の情を含んだ感があるし、又、それを嚇かした所にも一つの情を含んでゐて、
こゝらが春の夜の趣によくかなつてゐる。又、多少なまめいた状態も想像され
る。
家内して覘き枯らせし接ぎ木かな
たまたま庭に接木をした。それが本意なくも枯れて了つた。この枯れたのは、
家内中の者が、もうついたであらうか、もう芽を吹くであらうかと、入り代り立ち代
り、それを覘いたからで、左様に余りに責められる所より、木も遂に生育を遂げ
なかつたのであらういうたのである。
勿論、かやうな関係は無いことであるが、それをかく興じて、何とはなしに関係
あるごとく感ぜしめる。これも一種の俳諧手段である。
関守の瀬戸口に立つ涼み哉
関所の番をしてゐる人が、関所も余り人通りがなくて間暇であつたと見えて、
おのが住居の裏に立つて涼みをしてゐる。定めて夏の夕暮れ比でもあらう。関
所とはいへど僻地で、或いは山のほとりでもあらうといふことが、この事柄によ
り連想される。則ち、世の中も泰平で、打ち寛いで、夏の暑さも忘れて十分に涼
みもできる彼らの生涯を写したものである。
背戸に立つといふことを捉へたのは確かにこの人の技倆であると思はれる。
七夕や家中大方妹と居す
これは昔の江戸の大名屋敷の趣と思はれる。これらの屋敷には定詰といつて
邦基り家族を引き連れて来てゐる者も多く澄んでゐるし、又、独身の勤番者も居
るのである。
折しも七夕祭りの夕べ、かの星合の契をなす宵であるが家中も大方は妻と共
に住つてゐて、空の星と共に各々楽しく此の宵を送つてゐるといふので。
妻と住むといはずに殊更に妹と古雅に言ひなし、又、その下へ居すと漢語を使
つた所が、不調和ながら、却つて一種の感じを惹き起こして、七夕の宵の大名
屋敷、殊に其の武家方のさまを最も可笑しく、又、あはれあるさまに言ひ現はし
てゐる。兎に角、七夕の宵の或る社会の状況を面白く歌つたものである。
かの後家の後に踊る狐かな
これは例の盆踊でね色々な人が交つて踊つてゐる中に、或る家の後家が踊
つてゐる。それを余所から見た所の興である。
かの後家といへば、すでに近所あたりにも評判になつてゐる未亡人で、それが
身分にも歳にも恥ぢず踊つてゐる。あのやうに踊るのは其の後に狐がついてゐ
て、その狐が踊らしてゐるのである。で、この狐とは、自然に、若い男などが、そ
れを賺し誑かして操を破り、遂には皺の顔に白粉を附けて踊の仲間になるやう
な浅猿しい生涯にしたのであると、遠く想像される。これも村里などには多くある
当時の状況を可笑しく歌つてゐて、殊に、後に狐がゐるといふのは、最も働きの
ある言葉だと思われる。
剃りこかす若衆のもめや歳の暮
この句はかの蕪村の
お手討の夫婦なりしを更衣
と並べて、唯の十七字でいかにも複雑な叙事をしてゐると、吾々仲間でも度々
称賛されてゐる句である。
さて、此の言葉に依つて考へて見ると、或る侍仲間などで一人の若衆則ち美
少年を愛してゐた。それが、甲が念者となつてきまつてゐるのに、つい他の乙の
者がまた念者になることになつたので、甲乙の間に一つの騒動が起きた。それ
が則ちもめである。で、いよいよ果合でもせねばならぬことになつたが、其処へ
仲裁が這入つて、其の決果、つまり若衆の頭を剃りこかして坊主にし、此の者が
すでにかく出家した以上は、互の言分も立つ訳であるから、これで無事に済まし
て貰ひたいといふことになつて、長らく延び延びになつてゐた事件も、年の暮で
やつと落着したといふので。
かくのごとき複雑な出来事をうまく言ひ現はした所は、誠に非凡な手段である
と思ふ。
御影供の花の主や女形
御影供は『おめいかう』とよみ、日蓮上人の忌日の法会のことで、例の法華のこ
とであるから、信者たちから色々のものが仏前に捧げられてある。その中に立
派な花が捧げてあるが、その捧げ主を誰かと思つたら女形の役者であつたとい
ふので。定めて当時花形の立おやまでもあつたのであらう。
一体かやうな仲間にはよく神仏の信心をして、人の目に着くやうな捧げ物をす
るものがある。これは、一面にはわが名の広告にもするので、今も昔と変らずに
行はれてゐることである。これらも悪く述べると、唯だ人事の穿ちになり行くので
あるが、花形にかけて「花のあるじや」と歌つた所は、どこまでも雅致を失はずし
て、十分にに俗に堕ちる所を救つてゐる。
鰒食ひし人の寝言のねぶつ哉
今しも鰒を食べ終つて、中にはすでに転がつて寐たものもある。その内に寝言
を言ひ出したが、その寝言は、よく聞くと念仏を唱へてゐるのであつた。彼奴も
威張ったこと言ひ散らして、平気に食べは食べたが、其の実、心には恐ろしく、
命惜しく思つたものと見えて、死ぬる夢でも見たことか、南無阿弥陀仏を唱へて
ゐる。これで彼の実情がすつかり現はれて了つたといふので。
これも下手にいふと、俗一方に陥るのであるが、何処までも上品になだらかに
歌つて、同じことでも念仏といはずに、ねぶつと読むやうに綴つたのは、何処か
に古雅を帯びて、此処にもこの人の長所が十分に発揮されてゐるやうに思はれ
る。