写生自在3
雛つくり客に吃りつ手を休め 迦 南
句会でこういう句を見たら多分見逃してしまうでしょうね。短時間で選句しな
ければならない句会では地味な句は損をする場合いが多いのです。
しかし、炯眼の士は必ずいるもので、この句はそういう人に拾われると思い
ます。では、その炯眼の士の弁を聞いてみましょう。
まず、「雛つくり」というのは雛を作る作業の事ではなく、雛作り職人のことで
す。その職人は店を持っていて雛祭りの比であるから店内には大小色々の
雛人形が目立つところに飾り付けてあります。それらは皆店主である職人
の作ったものです。折しも一人の客が入って来て雛を見ながら店主に向
かって何か言ったのですね。店主は作業を続けながら受け答えするのです
が、どうもこの職人には吃音症があるらしく会話がスムーズに行きません
が、客はこの雛を買いたいとでも言ったのでしょう。店主は手を休めてその
雛の説明を始めた。というのが一つの解です。
しかしこの解は「客に吃りつ」という措辞の意味するところを低く見ている、
もっと言えば見逃しているのではないか。
ここは客と職人との間に何か𡸴悪な事態が発生して店内の空気が一変した
た場面と見るのが正しい解釈ではないか。客から自尊心を傷つけられるよ
うな事を言われたために、例えば人形に瑕があるというような、職人は烈し
く興奮してひどく吃りながら抗議したという場面です。
客の方はなにをそんなに職人が興奮するのか、ちょっと面食らっているとい
う状況ですね。それがどのように決着したかまでは判りません。
こう解釈をすればこの句は職人の内面描写をしているわけで、さらに職人
の子供の頃にまで想いが遡り吃音症があるために親も子の将来に思い悩
み普通の職業は諦めて人形師の道に入ったというような経歴にまで想像が
及ぶのです。
ちょっと見にはなんでもない句のようでありながら、よくよく吟味すると上記
のような複雑な感情を蔵している小説的構造を持った人事俳句ということが
できます。