檜垣の塔 玉垣の門柱に二本木遊廓の楼名が彫りつけてある。苔むして判読困難。
城下町を歩く会の5月例会は「二本木遊廓、蓮台寺コース」と決まったので、早速蓮台寺へ行って住持のお話などうかがつてきました。それらをまとめて説明文を作成したので下に記しておきます。
蓮台寺詣で
蓮台寺檜垣の塔に玉垣が取り付けられたのは昭和11年のことであった。門柱にびっしりと刻まれている連名の施主名は二本木遊廓の楼名である。と言ってもこれは楼主たちが寄進したのではない。娼妓が金を出し合って建立したものであり、娼妓たちの檜垣信仰がいかに強いものであったかを裏付ける物的証拠でもある。
いつの頃からか「蓮台寺詣で」ということが言われ、娼妓たちはその日を心待ちするようになった。この蓮台寺詣でがどのような要領で行われたかは不明であるけれども、娼妓の蓮台寺詣でを楼主は拒絶できなかったという。その代わりその日は「若い者」を見張りに付けて送り出していた。
檜垣は貴顕に舞を披露して生計を立てる白拍子だったと言われ、いわば遊芸に生きる女性であった。一方娼妓たちには檜垣は自分たちの大先輩であるという尊崇の念があり、それが檜垣信仰の根本にあったことは容易に想像されることである。娼妓たちには蓮台寺の本堂で檜垣の像に額づき住持の読経を聴いてすごす時間が現世の苦しみを忘れる至福の時間であり、幸福感に満たされる時間であったろう。娼妓たちのお布施は一般の信者よりもはるかに高額であったという。