炭山(やま)の日の記憶ふくらめ月見草 村中のぶを
作者の経歴をよく識らない。けれどもこの句を読めば作者は炭鉱労働の経歴を持つ人であろうことが想像できる。夕暮れ時、月見草を見ていると遠い日の記憶がまざまざと甦って来るというのである。
炭鉱の敷地は広い。選炭場、貯炭場、貯水池等が広い敷地を埋めている。夏になれば敷地内のあちこちに月見草が咲くのであろう。「記憶ふくらめ」とはなんと切ない抒情であろうか。月見草は不二に似合う花と言ったのは太宰治であるが、炭鉱にこそ似合う花だとこの句を読んで思った。
盆灯篭写真の父母と熊本城 仝
盂蘭盆会で灯篭を灯してある部屋に父母の写真と熊本城の写真が飾ってある。熊本城の方は写真でなく絵かもしれないが、それは鑑賞の上ではどちらでもよい。作者は熊本市出身のお方で今は関東平野の一隅にお住まいである。この一事からも望郷の強さが思われる。
上の写真は今年の中秋の名月である。復興なってクレーンが外されるのはまだまだ先になりそう。
捌(は)け道のいまはままこのしりぬぐひ 仝
「ままこのしりぬぐひ」が面白い。
ママコノシリヌグイは、タデ科イヌタデ属の1年草。トゲソバの別名がある。 和名は、この草の棘だらけの茎や葉から、憎い継子の尻をこの草で拭くという想像から来ている。( Wikipedia)
捌け道というのは沢などの水が流れ下る道。または雨水がはけて行く道である。この植物は湿気を好むのではけ道の上が今は部厚い藪になっているというのである。
葛の花釈超空の道として 仝
釈超空の歌碑
民俗学者折口信夫は大正時代に2度ほど調査のために対馬を訪れている。恐ろしく古い時代のことであるが、彼は歌人でもあり釈超空と称した。
葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
掲句はこの歌を踏まえている。私がこの歌に遭遇したのは高校時代の国語の教科書であった。強烈な衝撃をうけたことをはっきりと憶えている。
六角堂人気なく秋の潮荒(あ)る
再建された六角堂
作者が潮荒る(うしおある)と表現するときその脳裏には当然3.11の津波の記憶がある。まだ風化していない生々しい痛みを伴う記憶である。
景勝の地、北茨木市五浦(いづら)の岩礁の上に六角堂は建っていたが、3.11の大津波で流失した。この建物は岡倉天心が法隆寺夢殿を模して自ら設計したものと言われていた。今は再建なった六角堂が建っている。
妙高市六角堂 (妙高市観光協会HPより)
岡倉天心の六角堂は妙高市赤倉温泉にもある。こちらは天心が最晩年を過ごした山荘跡に有志によって建てられた。
10年くらい前になるが、私はここを訪れた。写真なども撮ったのだが、パソコンの中深くに収まっていて今は取り出すこともできない。その時は訪れる人もない鄙びたところに六角堂が建っていた。