主宰五句 村中のぶを
庭石の影もみどりに梅の實よ
己がじし角きらやかに蝸牛
大洗磯前神社
わたつみの陽の廣前に茅の輪かな
梅雨の夜や故山を遠く木の葉猿
麦稈帽腰手拭に下駄履きて
大洗磯前神社の茅の輪
松の実集
蝉 殻 勝 奇山
先生の句を掛け暑気に向かひをり
子とめくる昆虫図鑑夏やすみ
蝉殻を見せて蝉の名答ふる子
風去りぬ爽竹桃をもてあそび
句仲間の二人の眠る寺涼し
立神峡 伊織信介
道開け池あり蓮の花明かり
夏つばめ水面を掠め翻る
父の顔温もり知らず敗戦忌
立神の瀬の匂ひ立つ赤とんぼ
吊橋や瀬に鮎掛けの竿ひかる
梵 鐘 北本盡吾
梵鐘も猫もいくさに終戦日
コンクリの梵鐘朽ちて夏の果て
姥二人杖も手も借り滝見行
蝉しぐれ姿きままな羅漢たち
尊氏のかくれ穴
下闇に刻練る将の隠れ穴
忌日来る 西村泰三
落したる速度田植機移動中
庭通る湖への流れ螢舞ふ
鯉ならん花藻の揺れの風でなし
満席の札鰻屋の煙吐く
忌日来る梅の実色を帯びて落ち
雑詠選後に のぶを
明け易し今日もこの世に目覚めけり 向江八重子
寄る年波に、とある日のしづかな自問の一句です。「明け易し今日もこの世に」とは、また並並ならぬ自覚の深さが伝はつて来ます。私たちも今を大切に、自然と人生を見 つめた、自分の俳句にいそしむべきでせう。
梅雨しとど雫のやうな新生児 園田 篤子
「梅雨しとど」と「雫のやうな」、実に新しきいのちの産児への祝福と、自然への讃歌です。してまたこの対照をうたひ上げた作者に敬意を表します。
春雨のあしたに逝きしとことはに 渡辺美智子
一句の「春雨のあしたに逝きし」、重ねて「とことはに」と叙した措辞に心ひかれます。それは悲しみの底から衝き上げて来た、残された人の思ひの末の言葉でせう。その言葉は古くとも、心象は新鮮です。
青蛙熊本弁で鳴きにけり 鎌田 正吾
希有な表現です。蛙の鳴き声と言へば草野心平の蛙の詩です。一例を引きますと、それも単純なオノマトペア(擬音語)の繰り返しで、るるり、りりり、けくつく、けんさ りりをる、ぴぃだらら、びがんく、がりりき、ぐぐぐぐ、くくつく、ぐるるつ、があんびやん、ぎやわろツぎやわろツなど。熊本弁では、どうろこうろ (どうにかこうにか)、 だるもかるも(誰も彼も)、えだんいたか (肩が痛い)、たるかぶって(下痢して)、なるもんをはいよ(果物を下さい)、どぎゃんござやん(どうかこうか)など。さて一句の熊本弁の蛙の声とはどのやうな節だったのか、思ふだけでも愉しくなりますが、作者はまた朝夕の新聞業務の方で、蛙の声を身近にしながら住民の方々との会話が 弾む、翻ってその明るい雰囲気から生まれた、話語の一句 と読み取ってよいでせう。
銀の雨千の蓮の中にゐて 伊織 信介
「銀の雨」「千の蓮の」、実にリズミカルに雨の蓮田の全貌を過不足なく詠み取ってゐます。そして結句の「中にゐて」、つまり傘のなかの立ち居を彷彿と表して。
教会のクルス夏至の日眩しかり 野田貴美恵
平明に叙して印象的な一句。「夏至」とは六月二十一、二日ごろ、太陽は最も高く照り、一年中最高に日の永いときです。掲句はまたなにか異国風の情緒をかもし出してゐます。
老鷲や佐用姫の像沖へ向き 園田のぶ子
「佐用姫」とは、まつらきよひめ(松浦佐用比賣)と、『萬葉辞典』佐佐木信綱編中央公論社蔵版にあり、また松 浦と佐用姫に関はる歌が十首ほど紹介されてゐます。そし て一句では「像沖へ向き」とありますが、ここは注釈を入 れておきませう。海原の沖ゆく船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫 (五・八七四)、と先の集の一首ですが『肥前風土記』も松浦佐用姫は悲恋の対象とされ、「九州の万葉』福田良輔編桜楓社版では、沖は玄界灘の唐津湾(松浦潟)や虹の松原 を見下ろす鏡山(領振山)標高二八二メートルを紹介してゐます。その別れを惜しんだ相手や姫の身分など省略しますが、ただ化生伝説の多い姫が石になって飛んだといふ 呼子市の田部神社には先の歌を刻む佐佐木信綱氏染筆の歌碑が昭和三十七年に建てられました。掲句の像はどこにあるのでせうか。
佐用姫像 唐津市 鏡山展望台
空梅雨や開け放ちあり夕野火居 那須 久子
先年私の町のシンポで、金田一京助の孫の金田一秀穂杏林大学教授が講演で、文法もさる事ながら先づ語感を大切にと語ってゐましたが、このやうな観点から掲句の「空梅雨や」の季感と相侯って「開け放ちあり夕野火居」とは、どなたの旧居か知らずとも、その解放感をよくよく詠出してゐます。それも山野の風韻が伝はつて来ます。尚また句は楽屋落ちではないといふ事です。
向日葵や太陽どこぞと傾ぐなり 金子知世
向日葵」は日回りとも書きますが、一般に向日葵は太陽を追つて花が回るといふ俗説があり、それは尤も有り得ないこと、しかし〝太陽の子〟と呼ぶ、その花冠の様をよ く見届けてユーモラスに描出した一句。
緑蔭に椅子の三つ四つ島の寺 多此良美ちこ
なんとなく詫びしさに涼風をよぶ詠句、「島の寺」といふ 風光がまた旅情をさそってゐます。
浅間山裾ひく辺り朝の虹 伊東 琴
「浅間山」、一帯の裾辺は坂の町小諸、直ぐ藤村、虛子を思ひ出します。ましてや「朝の虹」とは、この上なく文学的共感を呼んで琴線に触れる詠句。
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