明治29年(1896)4月13日漱石は五高へ赴任の途次、このアングルから熊本市街を俯瞰して「おゝ森の都だ」と呟いたらしい。漱石に同行者はなく、それは俥夫にむかって発せられたはずだが、そのいきさつは伝わっていない。爾来121年、今この景観を森の都と呼べるだろうか。わたしにはとても美しいとは思えない。統一を欠いた無秩序な空間としか見えない。たゞ往時に変わらぬものといえば正面に低く横たわっている立田山の山姿と、さらにその向こうに微かに見える阿蘇の山脈とだけであろうか。
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