柏崎市内のお客さんの家に到着したとき、家がちゃんと建っていてホッとしました。
10年くらい前の建物ですが、なんともなく、被害は壁の表具が割れている箇所が何箇所かある程度でした。
現在の伝統構法にこだわる前は、「3×9パネル」の自社製のパネルを採用していて、このパネルに打ち付けた石膏ボードのジョイント部分が表具の割れ目になっているようです。
現在は、東日本ハウスが真似をしていますが、私達は既に構造そのものを強化することまで進化しています。
が、当時の技術でも震度6強に十分耐えうるものだったのです。
それも、そのはず・・当時は阪神淡路大震災の後で、面材が地震に効くという経験を活かして開発したパネルだったのですから・・
おそらく、震度7クラスでも大丈夫でしょう。
お客さんは、度重なる余震で一晩中眠れなかったようでした。
まだライフラインが生きておらず、電気、ガス、水道全てが使えない状態です。
水が来ないのが一番大きな問題です。
飲み水としてはもちろん、炊事、調理、洗い物、入浴、トイレが使えないのですから・・
特に、入浴、トイレができないのが一番の問題です。
給水の復旧が待たれます。
電気が無いので、照明も使えず、夜は真っ暗な状態で不安な夜を過ごします。
しかも、度重なる余震が襲う中での状態で、睡眠不足になってしまいます。
車の中で寝るのはとりあえず安心ですが、エコノミークラス症候群の事例もあるので長時間、狭い空間で過ごすのも限度があります。
座席がベット代わりに水平の形状になるタイプならばよいのですが・・
電話も不通の状態が続いています。
外部からも内部からも音信不通となっています。
携帯のメールが唯一の更新手段となっていました。
当然、インターネットの接続も困難です。
iモードでの閲覧くらいでしょう・・
車載のナビゲーションについているTVやラジオで情報を得ているようでした。
柏崎がどんな状況にあるのかは、把握できていないようで、むしろ周りの地域のほうが報道により情報が入っています。
当事者が確実な情報が得にくい状態となっています。
食料はある程度用意していたようですが、学校等の避難施設へ行かないと配給がもらえないので、時々行ってみるのも良いかもしれません。
避難施設へは全員が収容できるわけではないし、住宅に比較的被害が無い場合は、自宅にて避難している家庭が圧倒的に多いのです。
食料や物資の調達は、わずかに開いているコンビニやスーパーくらいです。
飲料水が底をついている状態でした。
わずかな配給が頼みの綱です。
水道が復旧すれば無用の長物となりますが、復旧前は必需品ナンバーワンです。
水が無ければ生きられない・・
食料も1週間もすると、配給が不要となります。
いまから、水や食料を用意して送ろうとしても遅いこともあります。
明日か明後日に水を持って行っても不要となることもあります。
今、本当に何が必要なのかを把握する必要があります。
(私は、お茶を持って行きましたが・・)
ただし、避難施設のある、ある程度まとまった市町村の話で、まわりから隔離されている部落では必要不可欠なもので、定期的に運搬する必要もあるでしょう。
全体であまっているから、不要だということではなく、まだ必要な場所は確実にあり、そこへ優先的に送る手段を確保しなければなりません。
何が必要かは復旧の段階によって異なります。
ガソリンスタンドも開いていますが、自家発電していない場合は、給油できないスタンドも見受けられます。
ライフラインの復旧優先順位は、水、電気、ガスという順番でしょうか・・
中越地震では、2~3日で復旧しましたが柏崎では給水が少し遅れているようです。
災害復旧センターも、個人からの支援物資は断りはじめたそうです。
古着等は好みの問題もあり、あまってしまって処分に困ってしまった経験があります。(7・13水害当時)
前回の経験を活かした迅速な対応をして頂きたいところです。
第3者的な視点で見るとわかることもあります。
当事者では、まったく分らないこともある。
当事者だと、意外と、「なんとかなる」と思って平気だったのですが・・
いざ、支援する立場になると、考えさせられます。
「前回はこうだった」
と、アドバイスするくらいしかできませんでしたが・・
10年くらい前の建物ですが、なんともなく、被害は壁の表具が割れている箇所が何箇所かある程度でした。
現在の伝統構法にこだわる前は、「3×9パネル」の自社製のパネルを採用していて、このパネルに打ち付けた石膏ボードのジョイント部分が表具の割れ目になっているようです。
現在は、東日本ハウスが真似をしていますが、私達は既に構造そのものを強化することまで進化しています。
が、当時の技術でも震度6強に十分耐えうるものだったのです。
それも、そのはず・・当時は阪神淡路大震災の後で、面材が地震に効くという経験を活かして開発したパネルだったのですから・・
おそらく、震度7クラスでも大丈夫でしょう。
お客さんは、度重なる余震で一晩中眠れなかったようでした。
まだライフラインが生きておらず、電気、ガス、水道全てが使えない状態です。
水が来ないのが一番大きな問題です。
飲み水としてはもちろん、炊事、調理、洗い物、入浴、トイレが使えないのですから・・
特に、入浴、トイレができないのが一番の問題です。
給水の復旧が待たれます。
電気が無いので、照明も使えず、夜は真っ暗な状態で不安な夜を過ごします。
しかも、度重なる余震が襲う中での状態で、睡眠不足になってしまいます。
車の中で寝るのはとりあえず安心ですが、エコノミークラス症候群の事例もあるので長時間、狭い空間で過ごすのも限度があります。
座席がベット代わりに水平の形状になるタイプならばよいのですが・・
電話も不通の状態が続いています。
外部からも内部からも音信不通となっています。
携帯のメールが唯一の更新手段となっていました。
当然、インターネットの接続も困難です。
iモードでの閲覧くらいでしょう・・
車載のナビゲーションについているTVやラジオで情報を得ているようでした。
柏崎がどんな状況にあるのかは、把握できていないようで、むしろ周りの地域のほうが報道により情報が入っています。
当事者が確実な情報が得にくい状態となっています。
食料はある程度用意していたようですが、学校等の避難施設へ行かないと配給がもらえないので、時々行ってみるのも良いかもしれません。
避難施設へは全員が収容できるわけではないし、住宅に比較的被害が無い場合は、自宅にて避難している家庭が圧倒的に多いのです。
食料や物資の調達は、わずかに開いているコンビニやスーパーくらいです。
飲料水が底をついている状態でした。
わずかな配給が頼みの綱です。
水道が復旧すれば無用の長物となりますが、復旧前は必需品ナンバーワンです。
水が無ければ生きられない・・
食料も1週間もすると、配給が不要となります。
いまから、水や食料を用意して送ろうとしても遅いこともあります。
明日か明後日に水を持って行っても不要となることもあります。
今、本当に何が必要なのかを把握する必要があります。
(私は、お茶を持って行きましたが・・)
ただし、避難施設のある、ある程度まとまった市町村の話で、まわりから隔離されている部落では必要不可欠なもので、定期的に運搬する必要もあるでしょう。
全体であまっているから、不要だということではなく、まだ必要な場所は確実にあり、そこへ優先的に送る手段を確保しなければなりません。
何が必要かは復旧の段階によって異なります。
ガソリンスタンドも開いていますが、自家発電していない場合は、給油できないスタンドも見受けられます。
ライフラインの復旧優先順位は、水、電気、ガスという順番でしょうか・・
中越地震では、2~3日で復旧しましたが柏崎では給水が少し遅れているようです。
災害復旧センターも、個人からの支援物資は断りはじめたそうです。
古着等は好みの問題もあり、あまってしまって処分に困ってしまった経験があります。(7・13水害当時)
前回の経験を活かした迅速な対応をして頂きたいところです。
第3者的な視点で見るとわかることもあります。
当事者では、まったく分らないこともある。
当事者だと、意外と、「なんとかなる」と思って平気だったのですが・・
いざ、支援する立場になると、考えさせられます。
「前回はこうだった」
と、アドバイスするくらいしかできませんでしたが・・