この3日間ほどは毎日DIYで午前中は忙しく過ごしていて、昨日は午後からはイオンに行って、トレファクにギターケースを売却した。 しかし、その買い取り価格は予想外に低く、もちろん、それでも売却したのであるが。
ギターケースは今後は使用する予定もないし、さらにそのケースは去年購入したクラシックギターに付属していた物で、少しギターサイズに余裕があり、以前から所有していたケースの方がぴったりだったので、それを使用することにして、ケースだで持って居ても仕方が無い。場所を取るだけで特に役に立つ訳でもなく、処分する方がいいだろうと思った。
それで、ジージャンを購入したのである。 以前か1着持って居たいと思っていたので、探していたのである。 そして、昨日は欲しいと思った物が見つかり、即買いしたのである。 EDWINのジージャンで、特に汚れや使用感も無く、かなり状態は良い。 それが税込み990円。 この価格でEDWINのジージャンが買えるのは破格の値段だろう。
まっ、別にビンテージ品ではないので、特別に高額な物ではないけど、ユニクロやGUでジージャンを買う事に比較すればかなり良いと思う。
古着は特に買う事は無いのであるが、こうしたジージャンなどは古着と思えない所がある。 ジーンズなどもビンテージ品の方が価格が高い物が多々あるし、着古した物の方が実際に味があるし、元々から洗いざらし感を出すために加工してあるぐらいである。 最初から破れを意図的に作って居るほどなので、古着で十分だろう。
ただし、他の衣類、シャツや一般的なパンツ類、布などの上着やダウンなどは古着はやはり少し躊躇するのである。 バッグなどは未使用品なども多くあるので、これは買ってもいいかも? 家電製品も新品同用品の物もあるので、そうした物もアウトレット品でも十分だろう。
妻は最近はアウトレット品や古着をよく買うようになった。 以前はユニクロやGU、しまむらなどで買う事もあったが、古着で気に入った物を探すのが慣れて来た様子で、数百円程度でも十分にいいな~と思える物もある。
さて、これで私はギターなどの処分が終わって、もう売る物は無い。
この先も服などはあまり買わないだろうし、買ってもファーストリテイリングの商品などがほとんどだし、着古して売れるような高級な物は買う事も無いだろう。 今後ギターも買うことも考えても居ないし、買いたいと思わないだろう。
今日から冬型の気圧配置の天候が続く予報で、日本海側は大雪の予報だし、東海地方でも岐阜や滋賀など、三重県などでも積雪の可能性がある。
ただし、私の住んでいる場所は朝から日差しもたっぷりと注ぎ、風は少し強く吹いているけど、空には雲も無く、最高の天気になった。
今日はなにも予定はないし、外出する事も無いし、のんびりと家で過ごす日にする。 年金だけの収入になってからの生活が始まって、まだ実際に年金の満額支給は先になるけど、これまでの私の給料以外にも特別支給として年金が入って居たので、生活費は余裕だったが、これからはそうした収入に比較するとかなり低くなるので、貯蓄がどの程度まで可能になるのか分からない。
年金も年々下がり続けて居るので、今後はこれ以上の生活の余裕が生まれる事は無いだろう。
少子化が進み、年金を支払う人が減って居る現状で年金額が減るのは理解出来る。 しかし、そもそも年金制度そのものがこうした高齢社会に対応出来る制度でもないし、以前から改革する必要は間違いなくあったのである。
これを放置して居た政治の責任が重大だ。 少子化が加速する原因も多々あるが、給料の低さと、物価上昇、教育や養育費の占める割合を考慮すると、結婚いして子供を産む選択をするのは大きなリスクになる。
さらに、今はネット社会が当たり前になっていて、未婚の男女が出会ったり、付き合ったりする機会も少ない。 マッチングアプリや出会い系サイトなどで知り合った物同士で結婚するケースもあるらしいが、それはほんの一部の人の事で、実際には男女間の恋愛などもかなり減ったのだろう。
今時の若い人達は男女の恋愛などよりも、自分の好きなことや、仕事や友達との交流の方が楽しいと感じている人が多いらしい。
さらに、恋愛などに憧れなどを感じる事もなくなったのだろう。 結婚はある意味で、自分を犠牲にして家庭を持つ事だと思えるような現実社会の厳しさを知っている事もあるだろう。 今はネットで何でも知り得る時代だし、いろんな既婚者の意見や生活の実態なども知る事が出来る時代だ。
そうした現実を見せられている状態では結婚して子供を育てる事に意欲的な意思を持つ事はかなり難しいのだろう。
ただし、私の息子は25歳で結婚して今は孫二人も居る。 家も一戸建てを購入してローンを組んで居るが、夫婦で働いているのでなんとか生活は維持出来ているし、それなりの楽しみや行楽や遊びも出来ているので、子供が中学卒業まではそれほどの養育費も必要ないし、医療費なども今は無料だし、高校などでも授業料なども無料になる事もある。
しかし、その先は高額な教育費、養育費は必須になる。 大学などの授業料は相当な高額だと思うし、奨学金を借用して卒業後に返済する事もかなりの負担になっている。 私の息子二人も奨学金を借用して、今でもまだ返済している状態である。 それでもやはり子供を生んで育てる事は人間としてとても重要な事だと私は考えている。 これは人口減少などへの責任とは違う。 そんな物はどうでも良い。 そうした事に対応するのは国の責任だし、国がそうした問題に対する政策をしっかりと作る事である。
私は結婚当初は子供を持つ事は全く望んで居なかったので、妻にもそうした考えを伝えていた。 しかし、妻の強い要望もあり、二人の子供を育てることに決めて、今は二人とも大人になった。 息子達の子供時代はとても楽しかったし、子供から多くの物を得た事も人生では大切な宝になった。
単なる可愛いとか、愛しいとかの愛情だけではなく、自分以外の大切な命を持つ事は人生を生きるためにも必要だったと思うし、人間として必要な物を沢山得る事も出来たと思っている。
さらに、今は孫達と過ごす時間もとても人生を豊かにする必須な物だと実感しているし、私が死んだ後に自分の分身が生き続けていると感じるだけでも、死んでいく事への不安もなくなる。 子供は自分の分身に違いない。 もちろん、個人の思想や夢や目的、個性も生活環境も違う。それでも、間違いなく、私と妻の子供であり、二人の肉体から生まれて来た個体である。
私は自分が死んだとしても、これから息子がまだまだ多くの人生を生き続けると考えると、それほど死ぬことは怖くないし、今は息子達は独立して生活する力もあるし、心配はない。 なので、何時でも死が訪れてもそれほど人生にたいして固執する必要はない。
今は自分が遣りたいことを出来る範囲で続けて行きたいと思うし、背伸びする必要もないし、誰かに気を遣う事もないし、誰かの言葉に影響される事もあまりないだろう。 今後の自分の人生はほぼ最後まで見えて居る気もする。 ギターを弾き、筋トレをして、時々外食をして、孫達や息子夫婦と遊んだり、妻と旅行にいったり、姉たちと逢ったり。
そうした静かにのんびりと過ごす時間を大切にしようと思う。
ギターもどこまで弾けるようになるだろうか? と今はそう思っている。
なので、今年からはもう一度最初に戻って、やり直して見ようと思ったのである。 焦る必要は何もないし、誰かのためにギターを弾いているわけでもないし、ましてや、ギターでお金を稼ぐとか、ギターを誰かに披露するとか、そんな事も考えて居ない。 ただ、ギターを通じていろんな人達との交流は楽しいし、いろんな人から得る物もあるだろう。
さて、今日はギターをしっかりと弾くことにしよう