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国友鉄砲ミュージアムへ行ってきました

2023-09-27 07:20:25 | 取材・旅行

近江FW;国友鉄砲ミュージアムへ行ってきました

この日曜日(9月24日)、滋賀県長浜市国友町 国友鉄砲ミュージアムへ行ってきました。

国友には、当時の町並みがかなり残っています。

日本に鉄砲が伝来したのは、天文12年(1543)8月、ポルトガル船が門倉崎(鹿児島県南種子町)に漂着し、種子島氏に鉄砲を伝来したと『鉄炮記』に書かれています。

『国友鉄砲記』では、将軍・足利義晴から鉄砲を見せられ、国友(滋賀県長浜市)で鉄砲の製造がはじまったとされ、そのような説明が館内でもされていました。

しかし、太田浩司氏の論文「国友鉄砲鍛冶の成立 ―編纂物に頼らない歴史構築の試み―」(『銃砲史研究』391号、2020年。日本銃砲史学会刊行)では、新説が出されています。

太田浩司氏は、史料として信頼できないという主張で、むしろ、浅井氏が国友村に鉄砲鍛冶集団を作った。また、織田信長が国友村に鉄砲を発注したと考えられてきたが、裏付けとなる史料は確認できないと言っています。

ただ、否定する資料も確認できておらず、今後の研究に期待しましょう。

国友には、70軒、500人の鉄砲鍛冶がいました。

緑の①が国友鉄砲ミュージアムです。

紫が「年寄」、ピンクが「年寄脇」、黄が「平鍛冶」、緑が「金具師」、水色が「台師」、紺が「彫金師」です。

ミュージアムの向かいにも、平鍛冶 国友与五郎屋敷の

碑がたっていました。

中に入ります。

司馬遼太郎の碑がありました。

自転車も作っていたそうです。

大筒です。

国友が生んだ発明王・国友一貫斎展が開かれていました。

反射望遠鏡です。

鉄砲の中はピカピカです。

種子島由来のものに比べて、構造が複雑化しています。

国友から、多くの技術者が全国に散っています。

鍛冶場の様子です。

火縄は、藁から竹、そして木綿へと変化しました。

作者によって、微妙に異なります。

側溝のふたです。

国友のマスコット

一貫斎の子孫が今も住んでいます。

 

https://kunitomo-teppo.jp/

国友鉄砲ミュージアムは、1987年(昭和62年10月)に開館した、火縄銃専門のミュージアム。

ぜひお出かけください。


 

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