近江FW;国友鉄砲ミュージアムへ行ってきました
この日曜日(9月24日)、滋賀県長浜市国友町 国友鉄砲ミュージアムへ行ってきました。
国友には、当時の町並みがかなり残っています。
日本に鉄砲が伝来したのは、天文12年(1543)8月、ポルトガル船が門倉崎(鹿児島県南種子町)に漂着し、種子島氏に鉄砲を伝来したと『鉄炮記』に書かれています。
『国友鉄砲記』では、将軍・足利義晴から鉄砲を見せられ、国友(滋賀県長浜市)で鉄砲の製造がはじまったとされ、そのような説明が館内でもされていました。
しかし、太田浩司氏の論文「国友鉄砲鍛冶の成立 ―編纂物に頼らない歴史構築の試み―」(『銃砲史研究』391号、2020年。日本銃砲史学会刊行)では、新説が出されています。
太田浩司氏は、史料として信頼できないという主張で、むしろ、浅井氏が国友村に鉄砲鍛冶集団を作った。また、織田信長が国友村に鉄砲を発注したと考えられてきたが、裏付けとなる史料は確認できないと言っています。
ただ、否定する資料も確認できておらず、今後の研究に期待しましょう。
国友には、70軒、500人の鉄砲鍛冶がいました。
緑の①が国友鉄砲ミュージアムです。
紫が「年寄」、ピンクが「年寄脇」、黄が「平鍛冶」、緑が「金具師」、水色が「台師」、紺が「彫金師」です。
ミュージアムの向かいにも、平鍛冶 国友与五郎屋敷の
碑がたっていました。
中に入ります。
司馬遼太郎の碑がありました。
自転車も作っていたそうです。
大筒です。
国友が生んだ発明王・国友一貫斎展が開かれていました。
反射望遠鏡です。
鉄砲の中はピカピカです。
種子島由来のものに比べて、構造が複雑化しています。
国友から、多くの技術者が全国に散っています。
鍛冶場の様子です。
火縄は、藁から竹、そして木綿へと変化しました。
作者によって、微妙に異なります。
側溝のふたです。
国友のマスコット
一貫斎の子孫が今も住んでいます。
国友鉄砲ミュージアムは、1987年(昭和62年10月)に開館した、火縄銃専門のミュージアム。
ぜひお出かけください。
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