松平郷周辺FW -1-
令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせします。
今回の訪問地です。
大給城へ向かいます。GWのまっただ中。この通りに行くでしょうか?
実際には、全くスムーズでした。
地形を見てみましょう。
次は、大給城をアップで見てみましょう。
次の図と照らし合わせて見てください。同じくらいの縮尺です。
ここから解説です。
第1回、松平乗元墓地です。
駐車場へ着きました。
車は、どんな細い道でも突き進む天野号です。
しばらくは舗装道路を進み、
階段を上ります。
いかにも山城らしい道ですが、当時の道ではないそうです。
右へ進みます。
ほどなく、大給松平家の初代、松平乗元の墓につきました。
説明板です。
文字起こししてみましょう。
松平乗元の墓
松平乗元は文安三年(一四四六年)に岩津で生れた。
父は徳川家の祖先松平氏第四代の松平親忠である。幼名を源四郎、後に左近と言い加賀守に任ぜられた。応仁文明の頃、祖父松平信光が大給城を攻略した時、父、親忠の命によってこの城を守り近隣を平定して細川城もおさめた。以来子孫五代ここを居城としたので大給松平と言われ乗元を始祖とした。
大給松平の子孫は繁栄し、主なるものとして三河西尾、信州龍岡、豊後府内の藩主などがある。
手洗鉢に松平岩見守乗利とあるは、大給五代直乗の次子直次の未流で龍岡藩主である。
この廟所は文政天保の頃にできたものであるが、菩提寺は岡崎市細川町の松明院である。
豊田市教育委員会
「細川城」という名が出てきました。
1221年「承久の乱」の後、足利義季が上野国山田郡広沢→三河国額田郡細川荘へ移住し、名を“細川”と改め、細川家の始祖となります。城は頼春が御前田に築き、頼之が継いだとあります。細川義李-俊氏-公頼-頼春-頼之の流れであり、頼春の子頼有の子孫に細川藤孝・細川忠興がいます。
文中に出てきた。手洗鉢
三つ葉葵ではなく、蔦の紋です。
蔦の紋
松永久秀や藤堂高虎の家紋としても有名です。
これについては、次の記事が分かりやすく書かれています。 出典 https://hakko-daiodo.com/kamon-c/cate4/tsuta/tsuta1.html
江戸時代には、徳川将軍家の一門衆であった松平諸氏による家紋・蔦の使用が見立つようになります。
ここで言う "※松平" とは、家康を輩出し、徳川将軍家の母体となった『安祥・松平』家を含めた、「室町時代より三河国 賀茂郡 松平郷を本拠に派生した一族」である『松平氏』("十八松平" と称されるほど、周辺に同姓の一族が多いことで有名)を指します。
※松平…上記にある三河以来の一門衆を除くと、●家康の直系子孫のうち、御三家・御三卿の当主ではない家系 ●伊達家や前田家など、外様の大大名に徳川将軍家から下賜されたもの が、松平の名乗りを用いていた。
これら三河以来の親戚筋である松平諸家は、事実上の惣領家である安祥松平家(徳川将軍家)と同じく『葵紋』を使用する家系だったと伝わります。
それら諸家の系統のいくつかが、葵から蔦を家紋に用いるようになったのは、惣領家の『三つ葉葵』紋が、徳川家康による天下の一統によって "葵の御紋" と称されるほどの強大な威光を放つようになった事と無関係ではないでしょう。
実際、三河・西尾藩6万石を領した "十八松平" の出世頭ともいえる『大給・松平=おぎゅうまつだいら』家が、代々「一葉葵」であった定紋を、惣領家にはばかって蔦紋に変更したというエピソードが、現代に伝えられています。
惣領家とはいえ、東海の一地方における身近な親戚筋に過ぎなかった安祥・松平家が、たったの一代で、天下の将軍家にまで上り詰めてしまった事実は、他人行儀と言って良い配慮を見せるのに、十分な事情といえるのではないでしょうか。(将軍家側から "遠慮" の打診があったとの説もあります。)
乗元の墓です。
文字には「源」の文字が見えます。
墓を設置したのは「松平岩見守乗利」。「文政天保」とあるのは、1818年から1844年あたりのことで、江戸も末期近くです。
松平氏は本当に源氏か?
いずれ考えなくてはなりません。
動画です。
明日に続きます。
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