令和6年3月8日~10日まで、富士周辺五名城(山中城、小田原城、石垣山一夜城、甲府城、武田氏館)と諏訪を廻ってきました。
20回にわたって紹介しています。
今回は、山中城1 です。
山中城は「日本100名城®」の一つ。日本100名城は日本城郭協会が定めた、日本の代表的なお城です。
山中城は、特に整備が進んだお城として、また北条氏による障子堀が有名で、天守閣のないお城、特に山城としては、人気トップクラスだと思います。
今回は、前回のバス停・売店から左の 岱崎出丸側 に向かって歩きます。
航空写真を見てみましょう。
売店(案内所)から階段を数段上ったところにある説明板です。
航空写真の①です。
文字起こししてみましょう。
史跡 山中城跡
(国指定史跡)
山中城跡は、文献によると、小田原に本城のあった北条氏が、永禄年間(一五五八~一五七〇)に築城したと伝えられる中世最末期の山城である。
箱根山西麓の標高五八〇mに位置する、自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとって、西方防備の拠点として極めて重要視されていたが、戦国時代末期の天正一八年(一五九〇)三月、全国統一を目指す豊臣秀吉の圧倒的大軍の前に一日で落城したと伝えられている。
三島市は山中城跡の史跡公園化を目指し、昭和四八年から発掘調査を行い、その学術的成果に基づく環境整備を実施した。その結果、本丸や岱崎出丸をはじめとした各曲輪の様子や架橋、箱井戸、田尻ノ池の配置など、山城の全容がほぼ明らかになった。特に障子堀や畝堀の発見は、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという、北条流築城術の特徴の一端を示すものとして注目されている。
出土遺物には槍・短刀をはじめとする武器や鉄砲玉、柱や梁等の建築用材、日常生活用具等がある。なお三ノ丸跡の宗閑寺には、岱崎出丸で戦死した、北条軍の松田康長をはじめ、副将の間宮康俊、豊臣軍の一柳直末など両軍の武将が眠っている。
その案内板を南に向かって歩きます。②です。
ここにも案内板がありました。
先ほどのものと内容が異なるので、ここでも文字起こししてみましょう。
国指定史跡 山中城跡
(昭和九年一月二二日指定)
史跡山中城は、小田原に本城をおいた後北条氏が、永禄年間(一五六〇年代)に小田原防備のために創築したものである。
やがて天正十七年(一五八九年) 豊臣秀吉の小田原攻めに備え、急ぎ西ノ丸や出丸等の増築が始まり、翌年三月、豊臣軍に包囲され、約十七倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城である。 この時の北条方の城主松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三ノ丸跡の宗閑寺境内に苔むしている。
三島市では、史跡山中城の公園化を企画し、昭和四八年度よりすべての曲輪の全面発掘にふみきり、その学術資料に基づいて、環境整備に着手した。その結果、戦国末期の北条流の築城法が次第に解明され、山城の規模・構造が明らかになった。特に堀や土塁の構築法、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置、曲輪相互間の連絡道等の自然の地形を巧みに取り入れた縄張りの妙味、空堀・水堀用水池井戸等、山城の宿命である飲料水の確保に意を注いだことや、石を使わない山城の最後の姿をとどめている点等、学術的にも貴重な資料を提供している。
この案内図は各所にありました。
御馬場曲輪です。
説明です。
文字起こししてみましょう。
出丸御馬場跡
山中城の出丸は、通称岱崎出丸と呼ばれ、標高五四七~五五七m、面積二万四〇〇㎡におよぶ広大な曲輪であり、天正一七年(一五八八)、秀吉の小田原征伐に備え、急ぎ増築された曲輪である。
ここは古くから御馬場跡と伝承され、土塁で東側と北側を守り、西側は深い空堀につづき、南側は急峻な谷で囲まれた岱崎出丸最大の曲輪である。
曲輪内は、本丸と同様式の二段構築でつくられている。建物跡については確認されなかったが、土塁上からは田方平野を眼下に見渡すことができ、出丸防衛上の拠点であったものと推定できる。
畝掘りがありました。
説明です。
文字起こししてみましょう。
出丸御馬場跡
堀内に敵が検出されたことから、西櫓堀・西の丸堀と同様畝堀であったと考えられる。
敵の高さは、堀底から約二m、頂部の幅〇・六m、馬の背のように丸みを帯び、堀をさえぎるように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に掘り残して造られたものである。
敵の傾斜度は五〇度~六〇度の急峻で、平均した堀底の幅は約二m、堀底から曲輪までの高さは、平均九mにも及ぶ。
碑がありました。
動画です。
日本史と城【山中城】は何故短時間で落城したのか?北条の箱根要塞を豊臣が容赦なく力攻め!
本日はもう1本行きましょう! 富士周辺五名城と諏訪の旅-3-へ
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