哲学チャンネルより サーンキヤ学派【インド哲学解説】を紹介します。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=61TwcvOe660
※関連した過去動画 インド哲学解説はじめます https://youtu.be/P0IviccxpDc インド哲学の始まり【ヴェーダ〜ウパニシャッド】【インド哲学解説】 https://youtu.be/ZFhM3bnWI00 ウパニシャッド哲学【インド哲学解説】 https://youtu.be/JChzdoXiyoQ ヴァイシェーシカ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/i_GX0qVq6rc ニヤーヤ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/r572XrejVq0 ヨーガ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/MW8fHuUq-Xs ヴェーダーンタ学派【インド哲学解説】 https://youtu.be/AzDLJILjTMQ 六師外道【インド哲学】【沙門の思想】 https://youtu.be/Eusrb8UCpdM ジャイナ教【インド哲学解説】【六師外道】 https://youtu.be/YyhdGUOKBMA 原始仏教【インド哲学解説】 https://youtu.be/0NKsFFNIbMI ※書籍 ヨーガとサーンキヤの思想―インド六派哲学 中村元選集 https://amzn.to/2Z60kCi
動画の書き起こし版です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【サーンキヤ】とはインドの古い叙事詩マハーバーラタによると 『知識によって解脱するための道』という意味を持ちます。 対になるヨーガ学派が解脱への実践を担当するとすれば サーンキヤ学派はその理論面を担当する思想だと言えるでしょう。 この学派の現存する最古の経典はイーシュヴァラクリシュナの 『サーンキヤ・カーリカー』だとされていますが、 それ以外にもサーンキヤの思想は多くの書物に散見されます。 *画面にて提示 サーンキヤ学派は知識によって解脱を目指そうとします。 ウパニシャッド哲学においてもそれは同じですが、 これについて経典の作者であるイーシュヴァラクリシュナは 「サーンキヤ体系における苦を取り除く方法は ウパニシャッドのそれよりも優れている」 と語っています。 では、その優れた思想とはどのようなものなのでしょうか。 サーンキヤの思想では【因中有果説】を採用しています。 これは『原因の中にはすでに結果が内在している』という考え方で 例えば土を取り上げたとき、すでにそこには【陶器】という結果が内在している。 というような考え方です。 ある意味決定論的な思想だとも言えますね。 その上で、彼らは【転変説(パリナーマ・ヴェーダ)】を主張します。 これは現象世界のいっさいは一つの実在が展開・変化して生成するという説です。 それを踏まえた上で、少し(かなり)ややこしい サーンキヤの世界生成論を見てみましょう。 まず、純粋精神とされる【プルシャ】を想定します。 プルシャは『ただあるもの』であり自分からは何もすることがありません。 たった一つできるのが『見ること』 もう一つ世界の根本原質である【プラクリティ】を想定します。 プラクリティはトリ・グナと呼ばれる3つの要素で成り立っていて 普段はそれらのバランスが平衡していて全く変化しません。 プルシャがプラクリティを観照することで、これらのバランスが崩れます。 具体的にはラジャスの活動が激しくなるためだとされています。 プラクリティのバランスが崩れることで、そこから原理が流出します。 それによって知の働きの根元状態である マハットまたはブッディが成立します。 その後、自我意識であるアハーンカーラが生まれ 思考器官とも心とも言えるマナスが生まれ 感覚や行動、その他の微細な要素が表出します。 面白いのはこの説の場合、 一番最後に現れるのが世界を構成する主要素である 五祖大元素だということです。 ウパニシャッド哲学的に言えば、プルシャはアートマンに近いでしょう。 (二元論なので本来ウパニシャッド哲学に当てはめてはいけません) つまり一番根源的なわたしの本質。 とりあえずこれを真自我としましょう。 サーンキヤの体系では『真自我が生じることで、世界が生じる。』 と考えます。 これはドイツ観念論の特にシェリングあたりの思想と共通点があります。 また、サーンキヤ哲学ではプラクリティから全てが生まれ出て 最後はそこに還っていくと考えられますが これは現代の物理学でも近いような理論が唱えられていますし スピノザの流出論とも親和性があるものと感じます。 そして、彼らは輪廻の原因を、この思想をもとに結構具体的に提示します。 私たちの心のもう一つ奥にある『自我(アハーンカーラ)』は 無知によって『マハット』や『ブッディ』をプルシャだと誤認してしまうというのです。 そのため、完全にプラクリティを逆戻りできなくなり プラクリティの中で繰り返しが行われてしまう。 これが輪廻の原因だと考えました。 そのことから、まずは世界の成り立ちを正しく理解して 一番低次にある五大から逆向きに消滅させていく必要があると言いました。 そして、自我が真自我(プルシャ)として完全に目覚め、 プラクリティに対して完全に無関心になることで 輪廻から解放され、晴れて無の境地に達することができるとしたのです。 これがサーンキヤ哲学の解脱です。 そして、その行程においては知識が最重要ではあるものの 実践もそれなりに必要だと考えられました。 それをノウハウとしてまとめたのがヨーガ学派です。 一説には夏目漱石がこのサーンキヤの思想に大きく影響を受けたと言われています。 確かに『吾輩は猫である』の猫は主観でも客観でもないもっと俯瞰した客観の装置を担っています。 これは非常にプルシャ的な考え方とも捉えられます。 また『草枕』にはこんな文章も 『余が眠りはしだいに濃やかになる。 人に死して、まだ牛にも馬にも生まれ変わらない途中はこんなであろう』 これも非常にインド哲学的な描写だと言えますね。 次回はヨーガ学派について解説をさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー