ウィトゲンシュタインを理解したい!
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ここはすごい!
ウィトゲンシュタイン ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[生]1889.4.26. ウィーン
[没]1951.4.29. ケンブリッジ
オーストリア生れの哲学者。
最初ベルリンとマンチェスターで工学を学んだが,1912年以降ケンブリッジで論理学,哲学を学んだ。第1次世界大戦中はオーストリア軍に志願,18~19年イタリアで捕虜生活をおくったのち,20~28年小学校教師,庭師,建築家などを経て,29年ケンブリッジに復帰,30~36年同大学フェロー,講師,38年イギリスに帰化,39~47年哲学教授。
彼は初め,哲学を言語批判の学として規定し,B.ラッセルの影響を受けながら論理的原子論 logical atomismを主張し,言語と事実との対応関係を明らかにしようとした。
しかしそののち,彼はこの立場を反省し,日常言語の分析に意義を見出すにいたった。
主著『論理哲学論考』 Logisch-philosophische Abhandlung (1921) ,『哲学探究』 Philosophische Untersuchungen (第1部,36~45。第2部,47~49) 。
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ウィトゲンシュタイン ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[生]1889.4.26. ウィーン
[没]1951.4.29. ケンブリッジ
オーストリア生れの哲学者。
最初ベルリンとマンチェスターで工学を学んだが,1912年以降ケンブリッジで論理学,哲学を学んだ。第1次世界大戦中はオーストリア軍に志願,18~19年イタリアで捕虜生活をおくったのち,20~28年小学校教師,庭師,建築家などを経て,29年ケンブリッジに復帰,30~36年同大学フェロー,講師,38年イギリスに帰化,39~47年哲学教授。
彼は初め,哲学を言語批判の学として規定し,B.ラッセルの影響を受けながら論理的原子論 logical atomismを主張し,言語と事実との対応関係を明らかにしようとした。
しかしそののち,彼はこの立場を反省し,日常言語の分析に意義を見出すにいたった。
主著『論理哲学論考』 Logisch-philosophische Abhandlung (1921) ,『哲学探究』 Philosophische Untersuchungen (第1部,36~45。第2部,47~49) 。