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【松坂城跡】現地でわかる「蒲生氏郷」の戦略!商都松阪を開いた城

2025-03-13 07:00:25 | 城跡めぐり

【松坂城跡】現地でわかる「蒲生氏郷」の戦略!商都松阪を開いた城

松坂城を築いたのは戦国の名将蒲生氏郷。氏郷は近江の出身。主家が滅び織田家の人質となりますが、織田信長は氏郷を一目見て「只者ではない」と判断。自分の娘を嫁がせることを約束します。合戦のとき氏郷は、目立つ兜を被りいつも前線に出ていました。ともに戦う兵士たちは大将が先頭にいることに驚くとともに、討ち取らせまいと必死で戦うので蒲生軍は強かったとのこと。ただ氏郷自身撃たれたこともあるので、大将の戦い方としては賛否両論があるということです。また氏郷は千利休の弟子であり、茶の湯を嗜む文化人でもありました。そんな氏郷を重く用いたのは豊臣秀吉も同じ。小牧長久手の戦いの後、氏郷を伊勢12万3千石に封じます。氏郷は新しい城を築くことにします。目を付けたのが平地の真ん中にポッコリ生えたような四五百森(よいほのもり)。標高約35mの丘の東に表門、南に裏門を設け、この二つの入口から城に入るようになっています。城の中心本丸までのルートはいくつかあるのですが、本丸の東側にある「本丸下段」を絶対に通らなければならないようになっています。どうやら松坂城の防御にはこの曲輪をいかにして守り抜くということが大切なよう。その工夫がどのようにされていたのか、見てみましょう。


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