2024年1月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「尾張 末森城と周辺史跡」へ行ってきました。
その様子を、数回にわたって紹介します。
今回の訪問地です。
今日は、④ 相応寺 です。
「お亀の方」をご存じでしょうか?
「どうする家康」で當真あみさんが演じた、長女「亀姫」ではありません。長篠城城主・奥平信昌に政略結婚で嫁ぎましたね。
お亀の方は家康の側室です。
画像出典 https://www.chunichi.co.jp/article/275766
お亀の方は,石清水八幡宮の祠官・志水宗清の娘なのです。母は東竹甲清の娘・龍雲院です。
これはでかい!
宗教勢力に苦しんだ家康が上洛するとき、地均しをしてもらえます。
また、お亀の方は、はじめ竹腰正時に嫁ぎ、竹腰正信を生んでいます。この正信は、尾張藩附家老を務めた竹腰家の祖で、尾張藩主 義直を支えます。
私の中学校の同級生は、竹腰正信の名をもらったと言っていました。
夫と死別後、奥勤めに入り、石川光元の側室となり石川光忠を生んでいます。この光忠も、家臣として義直を支えます。
お亀の方は、光元と離縁後の文禄3年(1594年)、21歳の時、家康に見初められ側室となり、義直を産むのです。
相応寺は、お亀の方の菩提寺なのです。
この相応寺の額は、義直の筆によるものです。
「どうする家康」で松井玲奈さんが演じたお万の方を覚えていますか?
画像出典は、https://artexhibition.jp/topics/news/20230409-AEJ1326537/
家康の側室であったお万の方は、知立神社(池鯉鮒神社)神主永見貞英と刈谷城主水野忠政の女の間に生まれた名家の娘です。
詳しくは、家康の側室・お万の方が辿った生涯|家康の子を産むも不遇の日々を送った築山殿の侍女【日本史人物伝】 をご覧ください。
いずれにしろ、宗教勢力をバックに持つことは、その後の領地経営には大きな力になるのです。
家康の戦略眼が光ります。
また、家康は、出産経験のある女性を側室に選んでいます。
この辺りも、跡継ぎを増やそうとする家康の意図が見えてきます。
さらに、その子どもたちも、義直を支える家臣になっています。
相応寺。家康や義直を語るには、欠かせないポイントです。
関連動画です。
徳川義直の生母、お亀の方の一生
次回は、日泰寺-1- です。
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