2024年5月25日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~6月)「池鯉鮒宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、4回にわたって紹介してきました。今日は、その最終回です。
街道シリーズは宮宿、鳴海宿、有松宿に続いての4回目です。宮宿については 「宮宿」-1- を、鳴海宿については 「鳴海宿」-1-、有松宿については「有松宿」-1- ご覧ください。
今回の東海道です。
0が知立駅、1が池鯉鮒宿周辺、2が知立神社、3が慈眼寺・松並木、4来迎寺、5御鍬神社・無量壽寺・新安城駅
5の北側付近をアップしてみましょう。
下の図では右の端です。
元禄の道標です。
説明をご覧ください。
御鍬神社(おくわじんじゃ)
伊勢神宮のコピーのような神社です。由緒を見ると、なるほど・・・でした。
本 殿(伊勢神宮外宮の1/2の大きさ) 鳥居(伊勢鳥居)
祭 神 豊受比賣命(とようけひめのみこと)
由 緒 江戸時代に来迎寺村をはじめ、近村の牛田、八橋、駒場、花園、里、今、大濱茶屋の八ヶ村が連合して、伊勢より御鍬神を勧請し、各村輪番にて御鍬祭を奉仕し、豊作を祈願してきたが、明和年間(1764~71)にこの輪番が来迎寺村で終わる事になったことから、社殿を造営し、以後来迎寺村の氏神様として仰ぎ祀ったと言われている。明治5年(1872)、村社に列格となり、明治6年(1873)、現在の拝殿が造営された。
本殿は大正3年(1914)に神明造りを忠実に守って屋根は切妻造の杉皮葺、平入り素木造、一重の繁垂木そりなし、棟に千木、かつお木(五本)を置く神殿で、丁度伊勢神宮(外宮)の1/2の大きさに造営された。
画像出典 おやじのブログ https://plaza.rakuten.co.jp/nagoyatrekking/diary/202212280000/ ← 素晴らしいブログです。
動画です。
来迎寺公園
ここで一休み・・・
猿渡川を渡ると安城市です。
今回は訪問しなかったのですが、無量寿寺を知立市のサイトから紹介します。
https://www.city.chiryu.aichi.jp/soshiki/shimin/keizai/gyomu/2/1445320261920.html
八橋のかきつばたは、平安の歌人“在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と、句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだように伊勢物語の昔から知られるかきつばたの名勝地です。
庭園の面積約11,130平方メートル、16の池(約1,786平方メートル)に「かきつばた」が植えられています。
史跡八橋かきつばたまつりは、歴史も古く約70年前から行われており、毎年全国から多くの観光客が訪れます。
まつり期間中は、いつでもかきつばたを観賞することができますが、特に一番花が咲きそろうゴールデンウィークごろが1番の見頃です。
また、八橋かきつばた園の周辺には、在原業平ゆかりの史跡も点在しています。まつり期間中、八橋かきつばた園には知立市観光ガイドボランティアの会が常駐し、みなさまの観光のお手伝いをいたします。
ぜひ、史跡八橋かきつばたまつりをお楽しみください。
(文書画像とも https://www.city.chiryu.aichi.jp/soshiki/shimin/keizai/gyomu/2/1/1445314631287.html)
ポスターです。
花菖蒲とかきつばたの見分け方は?
中心部の色が黄色が花菖蒲、白ならかきつばたです。
知立松並木の知立紹介
スペースの関係で紹介できなかった知立松並木での知立の紹介をアップします。
説明は不要ですよね?
以上です。
鎌倉街道
鎌倉街道と聞くと、「いざ鎌倉」と御家人が鎌倉へ向かうために整備された道を想像するが、この地域では、近世東海道と区別するために用いられる言葉で、中世の東海道を指す。
東海道は、鎌倉時代に入って京都―鎌倉間の連絡や軍勢の移動、年貢など物資の輸送のための道として再整備され、東西両方向の移動・輸送に利用されていた幹線道路(京鎌倉往還)で、幕府にとっては朝廷への使者や六波羅探題への人員が通る道として西向きの通行も大きな意味を持っていたと考えられる。
(文画像とも)https://mikawa-komachi.jp/history/kariyawotoru.html
動画です。
知立市 無量寿寺 かきつばた満開 2019 Vol.2
史跡八橋かきつばたまつり 2024年4月25日‐5月17日
#53 (知立駅発→三河八橋駅着)池鯉鮒宿と在原業平をしのぶ知立ウォーキング【名鉄のハイキング電車沿線コース:2021秋冬常設コース3】(21/12/13:愛知県知立市・家族向・約6.0km)
安城市に入りました。
安城側の松並木です。
秋葉常夜灯
知立側よりは樹齢が若そうです。
説明を読みましょう。
安城のマンホール
歩くところが狭い・・・
専超寺です。
筋塀(すじべい)の定規筋(じょうぎすじ)
「筋塀(すじべい)」とは、定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれる白い水平線が引かれた塀です。
寺院の格式の高さを表し、格式に合わせて5本・4本・3本と描かれています。
専超寺は4本です。
白山比売神社(しらやまひめじんじゃ)
713(和銅6)年、崇福寺(そうふくじ)の守り神として建てられたと云われています。白山比売神社の神様(かみさま)は菊理姫命(くくりひめのみこと)、加賀(かが=石川県)の白山山頂(さんちょう)に祀(まつ)られている白山神社と同じ農業(のうぎょう)に欠かせない水の神様です。転じて海で働く漁師(りょうし)や航海(こうかい)の守り神としても崇(あが)められています。1890(明治23)年、神社の改築(かいちく)が行われ、完成(かんせい)した3年後、祝賀会(しゅくがかい)と同時に、今村小学校(いまむらしょうがっこう)の開校式(かいこうしき)が行われました。この時、東京に住んでいた天野治郎重(あまのじろしげ)氏から山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)書の中幟(なかのぼり)が寄付(きふ)されています。狛犬(こまいぬ)は1918(大正7)年に今村出身(しゅっしん)で東京在住(ざいじゅう)の人から寄付されました。 この神社では一と六の付く日に、境内(けいだい)の参道(さんどう)に多くの店が並ぶ一六市(いちろくいち)が開かれます。毎年の祭礼(さいれい)は10月16日です。
境内地は、室町時代(むろまちじだい)に松原氏(まつばらし)の館(やかた)が有ったと伝わり「今村城跡(いまむらじょうあと)」とも呼ばれています。
(画像・文章は http://kikakubito.net/anjomap/964/ から引用)
今村城
動画を見てみましょう。
新安城駅へ到着しました。
今回でこのシリーズは終わりです。
今回も、新しい発見をさせていただいた七種英康先生、アシスタントの則竹さん、そして一緒に学んだ皆さんに感謝申し上げます。
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