とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
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ハンナ・アーレントは1906年、 ドイツのケーニヒスベルクにユダヤ人として生まれます。 電気工事の仕事をしていた父がギリシアやラテンの古典に詳しかったこともあって 父親の蔵書が彼女の学習の始まりでした。 1924年にはマールブルク大学に入学し、そこでハイデガーに出会います。 本人が「初めての情事」と表現するほど、哲学にのめり込みました。 その後、フライブルク大学ではフッサールの講義を、 ハイデルベルク大学ではヤスパースの講義を受けます。 ナチスが台頭すると、ユダヤ人を国外に亡命させる活動などに参加。 1933年には自身もフランスに亡命します。 1940年、フランスがドイツに降伏すると、アメリカに亡命、 市民権を得て様々な大学で教師として教鞭を取ったのち、 1967年、ニュースクール大学の哲学教授になります。 アーレントは、フッサールの現象学、 ハイデガーやヤスパースの実存主義に影響を受けながら ナチスドイツの蛮行がなぜ起きたのかについて研究をします。 彼女がそこに見たのは【全体主義】でした。 全体主義とは、個人の利益よりも全体の利益を優先して、 その利益のために個人が従属しなければならない主義のことを指します。 ナチスドイツの根底にはこの全体主義が存在しており、 それによって、全体性の狂気が個人を動かすことで、 ユダヤ人虐殺のような残酷無比な事件が起こってしまったと考えるのです。 主著、【全体主義の限界】などでは、 ドイツがどのようにして全体主義に傾いていったのか? について解説をしています。 その内容については次回の動画に譲るとして、 今回は同じく主著【人間の条件】より、 哲学や宗教が全体主義に及ぼした影響について解説をします。 アーレントは、それまでの哲学にも全体主義を生み出す原因があると考えます。 彼女は、人間の生活態度を大きく二つに分けました。 一つは【観照的生活】 抽象世界での実践を重視する生活のことです。 もう一つは【活動的生活】 現実世界での日常的な活動を重視する生活のことです。 それまでの哲学では【観照的生活】が重視されていました。 頭の中で考えた理想がまず先にあって、 それを実現しようと様々な哲学、またはそこから派生した政治学などが生まれました。 アーレントは、このように観念の世界に閉じこもって、 実際の世界との乖離が生まれてしまうことを【世界疎外】と呼びます。 世界疎外の状態においては、自己実現が最優先とされますから、 それはときに他者の実存を蔑ろにする可能性があります。 このような原因で全体主義が台頭したのではないかと主張したのです。 また、彼女は【活動的生活】を3つの段階に分けました。 それが【労働】【仕事】【活動】です。 【労働】とは、生命維持のための行為のことです。 生きるために、死なないためにする行動のことですね。 【仕事】とは、目的達成のための行為のことです。 自己実現と言い換えても良いと思います。 この二つの段階を【私的領域】と分類します。 一方で【活動】は【公的領域】に分類されます。 これは公共的な働き、利他的な働きと理解して良いでしょう。 アーレントは『人間は動物へとすすんで退化しようとしている』と言います。 つまり、当時の世の中は【労働社会】になってしまっていて 多くの人間がただ生きるためだけに生活をしている。 それは私的な領域での生活だから、他者への介入が極端に少ない。 本来人間が持つべき本質、目指すべきものは【活動】にあたるものなのだから 個性を剥き出しにして人間関係の網の目に積極的に参加しなければならない。 【活動】が弱まることが全体主義の台頭に密接にリンクしている。と考えました。 そして、生命維持が最高価値になった今の世の中の価値観は キリスト教によってもたらされた。と主張したのです。 アーレントは哲学者の中でも、特に激しい批判を受けた人の一人です。 例えば今回解説した思想においても、 『自己の生命を第一に考える』ことの何が悪いんだ。 と普通だったら反発してしまいますよね。 しかし彼女は、そのことが長い因果関係の果てに全体主義を生み出し、 それが結局生命の危機または人間種の危機に繋がりうると主張したのです。 そう考えると、アーレントは人間一人一人について考えていたというよりも 人間種という広い枠組みで、物事を捉えていたと見ることもできます。 現代の日本においても、仕事が生命維持以上の意味を持たない行動になってしまっているケースが非常に多くなっていると感じます。 そこに生命維持の観点しか持たない以上、他者の存在は蔑ろになり 次回に解説するいくつかのトリガーが重なると、 日本においても全体主義が台頭する可能性は否定できません。 彼女の公共性への警鐘は、その後の社会学に大きな影響を与えました。
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