TRANS.Bizより「悪人正機」の意味とは?唯円の『歎異抄』からわかりやすく解説 を紹介します。
目次です。
- 1 「悪人正機」の意味とは?
- 1.1 「悪人正機」は『歎異抄』に書かれた思想:「悪人正機説」
- 1.2 「善人でさえ救われる、まして悪人はなおさらだ」という意味の思想
- 1.3 「悪人正機」の仏教的な意味は「悪人を救うのが阿弥陀仏の本願」
- 2 『歎異抄』をわかりやすく解説
- 2.1 「悪人正機」の原文と現代語訳を紹介
- 2.2 「悪人」と「善人」の意味を解説
- 2.3 「悪」の解釈を誤解することを「本願ぼこり」という
- 2.4 「悪人正機」の真の意味は「他力本願」の教え
- 3 まとめ
- 4 【補足】吉本隆明と糸井重里の対談本『悪人正機』について
善人か、悪人か、どちらを救うべき人か?
学校の教師も、勉強をがんばっている優等生、サボってばかりいるやんちゃな子、どちらを救うべき子か?
これは教師の哲学なのです。
親鸞は、阿弥陀仏の本願は悪人を救うためのものであると言っています。
これが念仏思想の哲学なのです。
といっても、サボってばかりいるやんちゃな子が悪人といっているのではありませんが・・・
まとめを紹介します。
「悪人正機」は、「善人でさえ救われる、まして悪人が救われるのはなおさらである」という親鸞の教えの思想です。一般的な常識で解釈しようとすると、「善人」と「悪人」の順序が逆ではないかと思われ、またそのために「悪いことをしたほうが救われる」と教えを曲解する人も現れました。
その真の意味を理解するには、親鸞の究極的な教えである「他力本願」を理解する必要があります。他力本願とは、煩悩や悪にまみれた自力では往生できない人間を救おうとする阿弥陀の本願に、ただひたすら念仏を唱えることによってのみ救われるという思想です。阿弥陀が救おうとする人間を、「悪人」と表現しているのです。
つまり、人間とは、それほどに罪深い存在なのだということを言っているとも解釈できます。「悪人正機」の真の意味を理解しようとするとき、私たちは親鸞が暴いた人間の本質に向き合うことになるのです。