江戸幕府で、征夷大将軍の次に位置するのが「老中」です。
老中が評議で決めたものを形式的に将軍が認可するため、実質的に幕府の責任者です。
定員は4~5人で、普段の仕事は月交代で毎月1人が担当していましたが、重要な事柄は合議で決めていました。
老中一覧
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/rojuu.html
もともと、農村の自治は長老による合議制で行われていたので、江戸幕府の要職も「年寄」「宿老」と呼ばれていました。
「老」はわかります。それでは、「中」は何を表すのでしょうか?
日本では、身分の高い人には、名前を呼ばずに婉曲表現することがありました。
「中」は、「その方のところに」という意味なのです。
従って、「老中」は、「年寄職にある方のところに」という、遠回しな敬称なのです。
同様に大名の夫人には「廉中」、組織に対しては「御中」というのと同じですね。
老中が評議で決めたものを形式的に将軍が認可するため、実質的に幕府の責任者です。
定員は4~5人で、普段の仕事は月交代で毎月1人が担当していましたが、重要な事柄は合議で決めていました。
老中一覧
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/rojuu.html
もともと、農村の自治は長老による合議制で行われていたので、江戸幕府の要職も「年寄」「宿老」と呼ばれていました。
「老」はわかります。それでは、「中」は何を表すのでしょうか?
日本では、身分の高い人には、名前を呼ばずに婉曲表現することがありました。
「中」は、「その方のところに」という意味なのです。
従って、「老中」は、「年寄職にある方のところに」という、遠回しな敬称なのです。
同様に大名の夫人には「廉中」、組織に対しては「御中」というのと同じですね。