今朝6月15日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・ 朝届いた新聞を読むとき、心の中で小欄左上のハコに挨拶(あいさつ)する癖がついた。鷲田清一さんの「折々のことば」が始まって二月(ふたつき)半になる。面積はこちらが2倍だが、「図体(ずうたい)は大きいけどねぇ」と皆さんに言われまいと、心身がひきしまる
▼かつて、左上には「折々のうた」があった。詩人の大岡信(まこと)さんが足かけ29年掲載した。毎朝、心待ちにされた方も多かろう。終了から8年。静岡県三島市の大岡信ことば館で「折々のうた」を味わう展覧会が開かれていると聞いて訪ねた(28日まで)
▼6762回に及んだ掲載から、1月から12月までの日付順に365回分を選(え)りすぐって展示している。それぞれの複写カードがあって、好きな12枚を選び、簡単だがしゃれた製本をしてお土産にできる
▼当方は、各月から1枚ずつ選んだ。1月は俳句で〈ねこに来る賀状や猫のくすしより〉久保より江。「くすし」は医師。大正15年作というから、恵まれた猫だ
▼11月は短歌を取った。〈若者は語彙(ごい)すくなくて刺(とげ)なせる物言ひをする淋(さび)しきまでに〉篠弘。平成2年の歌集からだが、いま、若者に限らず憂いはいよいよ深い。カードを選んで詩歌の森を散策しながら、おまえの言葉はどうかと自問した
▼振り返れば、当方は大岡さんとはすれ違いで、「折々のうた」の最終回翌日が、偶然ながら小欄執筆の初回だった。タイトルの緑葉も鮮やかに、悠々と急がぬ構えの鷲田さんとの並走を、いまは緊張しつつ楽しみたい。いや、糧とさせていただきたい。
毎日新聞
・ 「自分をやんわりと売り込めという日本政府による使命を帯びてドラえもんが中国の多くの都市の街頭に出現している」。ドラえもんをスパイのように見立てた署名記事が中国・四川省成都市の新聞に掲載されたのは昨年9月のことだ
▲成都ではタケコプターやどこでもドアなどドラえもんのひみつ道具を集めた展覧会が開かれ、多くの入場者でにぎわっていた。地元紙3紙に似たような記事が掲載されたから、対日批判に結びつけようとした当局者がいたのだろう
▲漫画にまで目くじらを立てるのかとあきれていると、中国のネットで「論理が飛躍している」などと反論の声が上がった。「人民日報」の電子版にも「理解しがたい警戒」とドラえもん擁護の記事が掲載された
▲疑いは晴れたのだろう。5月下旬から中国で「STAND BY ME ドラえもん」の上映が始まった。日本映画としては3年ぶりだ。アニメ映画や日本映画の興行記録を塗り替え、日本での興行収入も上回るヒットぶりだ
▲中国では1980年代以降、鉄腕アトムや一休さんなど日本のアニメがテレビ放映され、人気を集めた。ドラえもんや中国版で「大雄(ターション)」と呼ばれるのび太も身近な存在だ。「日本のアニメが心の糧だった」と振り返る人もいる
▲中国・文化省は最近、暴力表現などを理由に一部の日本アニメのインターネット配信を禁止したが、これにもファンから「基準が明確でない」「一律禁止でなく、年齢別制限にすべきだ」と理性的な反論が出ている。アニメで育った世代が社会の中核になれば、日中の価値観の差が縮まるかもしれない。
日本経済新聞
・ かつて南太平洋のマライタ島の住民はサンゴ礁に石で造った人工島に住んでいた。本島に通い、畑作や交易をしていた。マラリアを防ぐためなど理由は諸説ある。中でも、世界の始まりを語る「創世神話」を再現しているという説が、太古の青い海へ空想をかきたてる。
▼釣り針が海底にひっかかり、引き上げると島が浮上する。何もない海に突然、陸地が現れ世界が始まる。南太平洋には「島釣り神話」と呼ばれる創世神話が広がっている。文化人類学者の後藤明南山大教授によると、人工島を造って住むのは「創世神話の再現であり、祖先に感謝し、海の民の誇りを確認する意味がある」。
▼中国には島を探す話が伝わる。海の向こうに神の島がある。黄金の宮殿に仙人が住み、不老不死の薬がある。薬を求め始皇帝など歴代皇帝は大船団の探検隊を派遣したが、いずれも失敗した。この伝説を再現したい、島を探そうと考えたはずもないが、ここ数年、南シナ海などへしきりに船を出し、海洋活動を強めている。
▼南沙諸島では南洋の神話も顔負け。なければ造ればいいとばかり、岩礁を占拠し、埋め立てて島を造成した。ついには、滑走路や桟橋、ビルまで建てた。ただの人工島ではない。実態は立派な軍事基地だ。そこには海の民の誇りはかけらもない。幸せの妙薬どころか、不測の衝突も招きかねないリスクが膨らみ続けている。
産経新聞
・ 石川啄木が処女歌集の出版契約を結んだ日は、長男の真一が生まれた日でもある。明治43(1910)年の秋、当時20円の稿料は病弱な息子の薬代となった。見本刷りに目を通したのは、生後3週間で天に召されたわが子を火葬した日の夜という。
▼初の歌集『一握の砂』の端書きに、啄木がそうつづっていた。歌集は愛児の出生届であり、短い生涯に父がはさんだ命のしおりであり、墓標である。代表歌〈はたらけど…〉は長男を授かる前の作というが、赤ん坊のか細い泣き声も聞こえそうで、鼻をつんとさせる。
▼痛かっただろう、苦しかったろう。言葉を知らぬまま逝った啄木の子を思いながら、13日付の医療記事を読んだ。国内で長く未承認だったドイツ製の小児用補助人工心臓を、厚生労働省が近く承認する。重い心臓病を患い、心臓移植を待つ子供にとって朗報である。
▼海外では使えるのに日本では使えない。「デバイス・ラグ」と呼ばれる医療問題の象徴が、この機器だという。承認がもっと早ければ、と悔やむ心臓外科医の談話も記事にあった。国の判断を導いたものは、無念のうちに逝った子供たちの、声なき声であったろう。
▼悲しいかな、疾患を根治するには心臓移植を避けて通れない。子供の場合、臓器提供の前提となる脳死を受け入れる親の涙なしに、移植は成り立たない。失われゆく命と、それにより助かる命。両者が決して等号で結ばれるものではない現実も、忘れてはなるまい。
▼あす迫られるかもしれない選択を、わが胸に問うてみる。その作業の何と苦しいことか。『一握の砂』に愛児を亡くした日の歌がある。〈底知れぬ謎に対(むか)ひてあるごとし死児(しじ)のひたひにまたも手をやる〉。生も死も容易に答えを出せぬ難題である。
中日新聞
・ 『博士の愛した数式』などの作家小川洋子さんが「共感」についてこんなことをおっしゃっている。「私が最も深い共感を覚えるのは、夕暮れにイヌと散歩に行って、『きれいな夕焼けね』とつぶやいて、イヌもそう感じていると思えるときです。主人にそんなことを言ったって、なんの共感も得られませんけど」
▼この話に大きくうなずくのはイヌを飼った経験のある方か。時に人は、人間相手よりも、言葉を話さないイヌと心の深いところでつながったような気になるものだ
▼これも、関連する話か。京都大大学院のチームが先日、興味深い実験結果を発表した。イヌは飼い主に「意地悪」する人を嫌うというのだ
▼餌さえいただければ、誰からでもかまわぬというわけではなさそうで飼い主に非協力的な人間からはもらわない傾向があったという。自分の利害とは関係なく、人を感情的に評価している可能性がある。飼い主の心と同調するのだとすれば、それが共感の正体かもしれぬ
▼イヌとの散歩は深夜になる。このイヌは疲れた顔の会社員やどこか寂しげな高齢者を発見すると動かなくなる。人を選んで、道をふさぎ、なでてくれと、このイヌは訴える。大概の人がなでる。その後、大概の人が笑ってくれる
▼「おまえ、いいことをしたな」「そうですかね」。これは、イヌの行為に人の方が共感した例。本当の話である。
※ 5社中、2社が中国関連。
ドラえもんと南沙諸島の違いがありますが、時代を表しています。
朝日が「折々のうた」。懐かしいですね。
産経が「デバイス・ラグ」。命の問題です。
中日が犬。ほほえましい話です。
朝日新聞
・ 朝届いた新聞を読むとき、心の中で小欄左上のハコに挨拶(あいさつ)する癖がついた。鷲田清一さんの「折々のことば」が始まって二月(ふたつき)半になる。面積はこちらが2倍だが、「図体(ずうたい)は大きいけどねぇ」と皆さんに言われまいと、心身がひきしまる
▼かつて、左上には「折々のうた」があった。詩人の大岡信(まこと)さんが足かけ29年掲載した。毎朝、心待ちにされた方も多かろう。終了から8年。静岡県三島市の大岡信ことば館で「折々のうた」を味わう展覧会が開かれていると聞いて訪ねた(28日まで)
▼6762回に及んだ掲載から、1月から12月までの日付順に365回分を選(え)りすぐって展示している。それぞれの複写カードがあって、好きな12枚を選び、簡単だがしゃれた製本をしてお土産にできる
▼当方は、各月から1枚ずつ選んだ。1月は俳句で〈ねこに来る賀状や猫のくすしより〉久保より江。「くすし」は医師。大正15年作というから、恵まれた猫だ
▼11月は短歌を取った。〈若者は語彙(ごい)すくなくて刺(とげ)なせる物言ひをする淋(さび)しきまでに〉篠弘。平成2年の歌集からだが、いま、若者に限らず憂いはいよいよ深い。カードを選んで詩歌の森を散策しながら、おまえの言葉はどうかと自問した
▼振り返れば、当方は大岡さんとはすれ違いで、「折々のうた」の最終回翌日が、偶然ながら小欄執筆の初回だった。タイトルの緑葉も鮮やかに、悠々と急がぬ構えの鷲田さんとの並走を、いまは緊張しつつ楽しみたい。いや、糧とさせていただきたい。
毎日新聞
・ 「自分をやんわりと売り込めという日本政府による使命を帯びてドラえもんが中国の多くの都市の街頭に出現している」。ドラえもんをスパイのように見立てた署名記事が中国・四川省成都市の新聞に掲載されたのは昨年9月のことだ
▲成都ではタケコプターやどこでもドアなどドラえもんのひみつ道具を集めた展覧会が開かれ、多くの入場者でにぎわっていた。地元紙3紙に似たような記事が掲載されたから、対日批判に結びつけようとした当局者がいたのだろう
▲漫画にまで目くじらを立てるのかとあきれていると、中国のネットで「論理が飛躍している」などと反論の声が上がった。「人民日報」の電子版にも「理解しがたい警戒」とドラえもん擁護の記事が掲載された
▲疑いは晴れたのだろう。5月下旬から中国で「STAND BY ME ドラえもん」の上映が始まった。日本映画としては3年ぶりだ。アニメ映画や日本映画の興行記録を塗り替え、日本での興行収入も上回るヒットぶりだ
▲中国では1980年代以降、鉄腕アトムや一休さんなど日本のアニメがテレビ放映され、人気を集めた。ドラえもんや中国版で「大雄(ターション)」と呼ばれるのび太も身近な存在だ。「日本のアニメが心の糧だった」と振り返る人もいる
▲中国・文化省は最近、暴力表現などを理由に一部の日本アニメのインターネット配信を禁止したが、これにもファンから「基準が明確でない」「一律禁止でなく、年齢別制限にすべきだ」と理性的な反論が出ている。アニメで育った世代が社会の中核になれば、日中の価値観の差が縮まるかもしれない。
日本経済新聞
・ かつて南太平洋のマライタ島の住民はサンゴ礁に石で造った人工島に住んでいた。本島に通い、畑作や交易をしていた。マラリアを防ぐためなど理由は諸説ある。中でも、世界の始まりを語る「創世神話」を再現しているという説が、太古の青い海へ空想をかきたてる。
▼釣り針が海底にひっかかり、引き上げると島が浮上する。何もない海に突然、陸地が現れ世界が始まる。南太平洋には「島釣り神話」と呼ばれる創世神話が広がっている。文化人類学者の後藤明南山大教授によると、人工島を造って住むのは「創世神話の再現であり、祖先に感謝し、海の民の誇りを確認する意味がある」。
▼中国には島を探す話が伝わる。海の向こうに神の島がある。黄金の宮殿に仙人が住み、不老不死の薬がある。薬を求め始皇帝など歴代皇帝は大船団の探検隊を派遣したが、いずれも失敗した。この伝説を再現したい、島を探そうと考えたはずもないが、ここ数年、南シナ海などへしきりに船を出し、海洋活動を強めている。
▼南沙諸島では南洋の神話も顔負け。なければ造ればいいとばかり、岩礁を占拠し、埋め立てて島を造成した。ついには、滑走路や桟橋、ビルまで建てた。ただの人工島ではない。実態は立派な軍事基地だ。そこには海の民の誇りはかけらもない。幸せの妙薬どころか、不測の衝突も招きかねないリスクが膨らみ続けている。
産経新聞
・ 石川啄木が処女歌集の出版契約を結んだ日は、長男の真一が生まれた日でもある。明治43(1910)年の秋、当時20円の稿料は病弱な息子の薬代となった。見本刷りに目を通したのは、生後3週間で天に召されたわが子を火葬した日の夜という。
▼初の歌集『一握の砂』の端書きに、啄木がそうつづっていた。歌集は愛児の出生届であり、短い生涯に父がはさんだ命のしおりであり、墓標である。代表歌〈はたらけど…〉は長男を授かる前の作というが、赤ん坊のか細い泣き声も聞こえそうで、鼻をつんとさせる。
▼痛かっただろう、苦しかったろう。言葉を知らぬまま逝った啄木の子を思いながら、13日付の医療記事を読んだ。国内で長く未承認だったドイツ製の小児用補助人工心臓を、厚生労働省が近く承認する。重い心臓病を患い、心臓移植を待つ子供にとって朗報である。
▼海外では使えるのに日本では使えない。「デバイス・ラグ」と呼ばれる医療問題の象徴が、この機器だという。承認がもっと早ければ、と悔やむ心臓外科医の談話も記事にあった。国の判断を導いたものは、無念のうちに逝った子供たちの、声なき声であったろう。
▼悲しいかな、疾患を根治するには心臓移植を避けて通れない。子供の場合、臓器提供の前提となる脳死を受け入れる親の涙なしに、移植は成り立たない。失われゆく命と、それにより助かる命。両者が決して等号で結ばれるものではない現実も、忘れてはなるまい。
▼あす迫られるかもしれない選択を、わが胸に問うてみる。その作業の何と苦しいことか。『一握の砂』に愛児を亡くした日の歌がある。〈底知れぬ謎に対(むか)ひてあるごとし死児(しじ)のひたひにまたも手をやる〉。生も死も容易に答えを出せぬ難題である。
中日新聞
・ 『博士の愛した数式』などの作家小川洋子さんが「共感」についてこんなことをおっしゃっている。「私が最も深い共感を覚えるのは、夕暮れにイヌと散歩に行って、『きれいな夕焼けね』とつぶやいて、イヌもそう感じていると思えるときです。主人にそんなことを言ったって、なんの共感も得られませんけど」
▼この話に大きくうなずくのはイヌを飼った経験のある方か。時に人は、人間相手よりも、言葉を話さないイヌと心の深いところでつながったような気になるものだ
▼これも、関連する話か。京都大大学院のチームが先日、興味深い実験結果を発表した。イヌは飼い主に「意地悪」する人を嫌うというのだ
▼餌さえいただければ、誰からでもかまわぬというわけではなさそうで飼い主に非協力的な人間からはもらわない傾向があったという。自分の利害とは関係なく、人を感情的に評価している可能性がある。飼い主の心と同調するのだとすれば、それが共感の正体かもしれぬ
▼イヌとの散歩は深夜になる。このイヌは疲れた顔の会社員やどこか寂しげな高齢者を発見すると動かなくなる。人を選んで、道をふさぎ、なでてくれと、このイヌは訴える。大概の人がなでる。その後、大概の人が笑ってくれる
▼「おまえ、いいことをしたな」「そうですかね」。これは、イヌの行為に人の方が共感した例。本当の話である。
※ 5社中、2社が中国関連。
ドラえもんと南沙諸島の違いがありますが、時代を表しています。
朝日が「折々のうた」。懐かしいですね。
産経が「デバイス・ラグ」。命の問題です。
中日が犬。ほほえましい話です。