だがこの会談前日の9日夜、トランプ大統領は中国の習近平国家主席と1時間の電話会談を行い「一つの中国」政策を尊重することを表明、共同記者会見では「中国国家主席と素晴らしい会話をした。私たちは仲良くなろうとしている。日本にとってもそれはとても利益になるでしょう」と述べた。
事前に日米の事務方が用意した共同声明では、中国の南シナ海などでの行動を非難して同盟の強化を謳ったが、トランプ大統領は習主席と“Cordial”(誠意に満ちた)な会話でさまざまな問題を話し合い、米中は「仲良くなる」と言うのだから、風向きがほとんど逆になってしまった。
日中双方に良い顔をしたい米国の思惑
今回、トランプ大統領が2月8日に習主席あての親書をワシントンの中国大使館に届けさせ、安倍首相訪米前日の9日夜に電話会談をしたのも、日本との共同声明が中国側を硬化させるのを案じ、その前に中国との関係修復をしておく必要があったためだろう。
トランプ氏は当選6日後の昨年11月14日、習主席と電話会談し「偉大で重要な国」中国との関係強化を語った。だが12月2日に台湾の蔡英文総統からの電話を受けて10分程話し、それが米国内で「従来の対中関係の原則に反する」と批判されると「なぜ中国は一つ、の原則に縛られなければならんのか」と反論したため、中国は抗議した。
ちょうどこの12月2日、かつて1972年にニクソン訪中、米中和解を実現し、トランプ氏が尊敬するキッシンジャー元国務長官(93歳)が特使のようなかたちで北京を訪れ、これまで7回も会い親交のある習主席と会談、米中の協力関係拡大を話していた。
だからトランプ氏と蔡総統の電話問題につき中国は一応抗議はしたものの、ほぼ静観し、世界に拡がったトランプ批判に加わらなかった。
政権移行の間、米国駐在の崔天凱中国大使はじめ在米の中国人実業家、チャイナロビーなどがトランプ氏取り込みに活発に行動した模様だ。
12月7日にトランプ氏が習主席の30年余の友人であるアイオワ州のブランスタッド知事を中国大使に起用したことにもそれが表れていた。
トランプ氏自身が中国金融機関との関係が深く、世界最大の銀行である准国営の中国工商銀行の米国本部はニューヨークのトランプタワー20階にあるほどだから、中国の米国への働きかけは強力だ。
米国と中国が友好的なら日本の経済発展に寄与する
トランプ氏の長女で、経営手腕があり、同氏の第一の相談相手と言われるイヴァンカ女史は今年2月1日、中国大使館の春節(中国の正月)の宴会に出席、5歳の娘アラベラちゃんが中国語で新年を祝う歌を披露した。
イヴァンカ女史は中国との関係が米国経済に将来ますます重要、として、娘には1歳8ヵ月から中国語を習わせている由だ。
中国は米国債約1兆2000億ドルを保有し、米国財政を支える点で日本と並ぶだけでなく、3兆ドル近い外貨準備の大半をウォール街で運用し、米国の金融・証券界の第一の海外顧客でもある。
中国の中産階級は爆発的に増大し、自動車販売は昨年2803万台(日本の5.6倍)に達し、米国系の車が296万台も売れ、米国車のほぼ唯一の海外市場だ。
米国製旅客機を中国は毎年150機も輸入し、米国の軍産複合体の中核、航空機産業の最大海外顧客でもある。
こうした状況を考えれば、米国の経済的利益を第一とするトランプ政権が中国と敵対することは考えにくく、キッシンジャー氏やイヴァンカ女史の動きに注目すれば、米中が和解、協力に向かう公算が大きいことは予測可能だった。
トランプ大統領が共同記者会見で、米国が中国と仲良くなろうとしていることは「日本にとってもとても利益になるでしょう」と言ったのは正しい。
もし米中が敵対関係になり、両国の経済関係が断絶、双方の経済が麻痺すれば、日本の2015年の輸出の23.1%は中国向け(香港の5.6%を含む)、20.1%が米国向けだから、日本の経済に致命的打撃だ。
仮に中国との貿易だけが停止しても一大事だ。
一方米国と中国が友好的なら、日本は気兼ねなしに双方との経済関係を発展させられる。
安倍首相が本来唱え、いまも時折口にする中国との「戦略的互恵関係」と「日米友好」が両立する。
日本政府や保守派の中には「日米同盟堅持」のためには、米中が対立し、かつてのソ連にかわり中国が日米共通の仮想敵となることを期待し、その願望に合致する情報ばかり重視する向きも少なくない。
それは日本の安全保障と経済両面の国益に反し、今回の「トランプ・習電話会談」のような予想外の事態に当惑する結果になる。
日本に駐留米軍経費の一層の負担を求める発言については、2月3日に来日し安倍首相らと会談した国防長官マティス大将が、共同記者会見で「日本の経費分担は他国の模範」と述べたほどだから、トランプ大統領も会談では持ち出さなかった。
米国防総省内では20年以上も前から“ジャパン・モデル”という語が使われ、それをNATO諸国に受け入れさせることの難しさが論じられ、日本の気前良さは知られていた。
さすがのトランプ大統領もその説明を受けて要求を引っ込めたようだ。
尖閣は安保の適用範囲だがそれと米軍の武力行使は別
尖閣諸島は安保条約第5条の適用範囲、と共同声明で認めたのは新たな成果ではない。2010年9月の中国漁船と日本の巡視艇の衝突事件後にも当時のクリントン国務長官がそれを明言し、オバマ前大統領も述べていた。
尖閣諸島は1972年の沖縄返還協定でも沖縄の一部とされ、それに属する赤尾礁、黄尾礁はいまもその名で地位協定による米軍への提供施設(射爆撃訓練の標的)となっているから、安保条約の適用対象であることは明白で、米国側はそれを認めざるをえない。
だが安保条約の適用範囲であることと、米軍が参戦するか否か、は全く同一ではない。
安保条約第5条は各締約国(日米)は「自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動する」としている。
米国の憲法では連邦議会が宣戦を行い、戦争を開始する権限を持っている。
ただ奇襲に対処する場合には、大統領は議会の宣戦を待たずに防衛的な軍事力行使ができる、と解釈されている。
実際には宣戦布告も、議会との事前協議もなしに大統領が武力行使を命じた例も多いが、相互防衛条約があっても戦争をしたくなければ憲法に従った正規の手続きに従って、議会に宣戦布告を求め、上下両院で過半数の賛成がなければ参戦しなくても条約に反しない。
米国が日本の無人島(オバマ前大統領は「岩」と呼んだこともある)を巡って米中戦争を始め、巨大な経済権益を失い、甚大な人的被害と戦費の支出を生じることを覚悟することは考えにくい。
平時の演習と異なり、実際の戦争は局地の数日の戦闘で終わることは稀だ。
どこかで戦端が開かれれば国と国が全力を挙げて戦うことを考えねばならない。
真珠湾攻撃が「ハワイ戦争」で終わらなかったのは当然だ。米国議会も尖閣問題で中国に宣戦布告するほど非常識ではあるまい。
現実にはもし日中の武力衝突が起きれば、米国は仲裁に乗り出し、双方の兵力(艦艇や巡視船など)の引き離し(周辺海域への立入禁止)と現状の維持で戦闘の拡大を防ぐ公算が大だろう。
停戦になっても日中の敵愾心は残るから軍備競争が激化しそうだ。
日本が軍備強化に巨費を投じても、GDPが日本の3倍近い相手側も対抗して軍事力を拡大するから安全性は一向に高まらず、敵対感情が高まり、双方の破壊力が高まるから危険はかえって大きくなる。
また、2015年に改定された「ガイドラインズ」の英文では自衛隊が防空、ミサイル防衛、日本周辺での船舶の保護、着上陸作戦の阻止、撃退などで“Primary Responsibility”(一義的責任)を持つと定めているが、邦訳では「自衛隊が主体的に実施する」とごまかしている。
自国の防衛に自衛隊が一義的責任を負うのは当然で、こんな言わずもがなの語句が繰り返し7ヵ所もガイドラインズに入っているのは、もし米軍がなにもしなくても責任を問われないためだろう。
「製造者責任」の訴訟に備えて、やたらに注意書を入れる米国製品の取扱い説明書に似ている。
ガイドラインズでは特に島嶼の奪回について「もし必要が生じれば、自衛隊は島の奪回作戦を行う」と明記され、米軍は尖閣諸島の奪回に直接参加しないことになっている。
(軍事ジャーナリスト 田岡俊次)