人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 司馬遼太郎の三浦半島記 ーー

2016-07-01 13:56:52 | 日記

つい先だって私のブログを見たという人から、「司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ第42巻『三浦半島記』のなかに『問わずがたり』を引用している個所があり、司馬先生は作者である二条は極楽寺切通しと化粧坂を取り違えたのではないかと書いてますよ」と聞かされました。司馬先生は大好きな作家の一人であり、以前このブログで『濃尾参州記』のなかに私の卒業した中学校を訪問し、桶狭間の合戦のことを書いているのを読み、私が感激した話を載せました(東海道中膝車ーー鳴海(戦国時代)--)。その司馬先生と化粧坂について、結論は違いましたが、同じ視点で切り込んだと思うと何か嬉しくなりました。ただ常識的に考えれば司馬先生が書いている通り、二条が通ったのは極楽寺切通しでしょう。とは言っても、まだちょっと引っかかるものがあります。もう少し調べてみたいですね。

もう一つ、司馬先生は最後にこう記しています。「ついでながら、『とはずがたり』が発見されたのは、宮内省図書寮(いまの宮内庁書陵部)で、発見者は山岸徳平(1893-1987)であった。わが二条も、その鎌倉見聞記も五百年以上ねむっていたことになる」と。もしそうだとすれば、徳川家康が金沢文庫から持ち出した蔵書のなかに、この『とはずがたり』も入っていた可能性があります。あくまでも推測ですが。

専門家でない素人が歴史を学ぶ楽しみは、まず「ほんとうにそうなのか」と専門家が書いた諸説を疑ってかかり、自分なりにフィールドワークしてファクトファインディングすることだと考えています。推理して結論を導く。それが歴史を学ぶ醍醐味かと思います。

写真は当時の極楽寺切通しと同じ高さにある極楽寺の成就院から見た景色。右側が由比ヶ浜海岸。鎌倉の絶景ポイントの一つです。どう見ても袋のなかの重々とした住まいの景色には見えません。いかがでしょうか?

 

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