2009年1月15日。USエア・ウェイズ1549便がニューヨークのマンハッタン近くを流れるハドソン川に不時着水したニュースをみて、その奇跡的出来事に感動した方もいらっしゃるかと思います。私もその一人ですが。
その事件をクリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演で映画化したのが『ハドソン川の奇跡』です。原題は「Sully」。機長の名前です。昨日みてきましたが、みる前はそれをどう描いたのか興味深々でした。機長を英雄化してハッピーエンドの映画で終わるのなら普通の映画でしょうが、さすがイーストウッド監督。そうは描いていませんでした。あとは一度、ご覧になってください。
映画をみて感じたのは、まず日本のタイトルの付け方です。日本人は「奇跡」という言葉が好きで、「ハドソン川の奇跡」というタイトルをつけました。アメリカの原題は「Sully」です。映画はまずハドソン川に着水したのが正しかったのか、運輸安全委員会は徹底して追求します。近くの飛行場に戻れたはずだとして。滑走路ならまだしも、川や海の水面に胴体着水するのは至難の業で危険な行為とされています。それも気温が氷点下のハドソン川です。アメリカという国は「奇跡」を奇跡として片づけない国です。人がなした行為、その一つ一つが正当な判断であったのか、別の人がやっても同じことが出来るのか、それをマニュアル化して残します。日本人なら、神業・神風で済ましてしまいます。
このサリー機長は、アメリカ軍のパイロットで飛行時間も長く、いろんな状況に対応して的確に判断できる能力を身につけています。機長を査問する運輸安全委員会側はハドソン川に墜落した行為を無謀として糾弾するのですが、果たしてイーストウッド監督はどういう思いでこの映画をつくったのでしょうか。映画をみて想像してみるのも面白いですね。
ところで写真はハドソン川ではなくシベリア上空のものです。