光則寺は長谷寺から鎌倉大仏に向かう途中、長谷寺の隣にあります。山号は行時山。北条時頼に仕えた宿谷行時・光則親子の名に因んでいます。長谷寺や鎌倉大仏はいつも多くの観光客で賑っていますが、光則寺は静かに鎌倉のお寺の風情を楽しむことができます。特にカイドウの花が咲く春は見事ですが、それ以外の季節でも庭に植えられた花々がもてなしてくれます。
さてこの光則寺は、宿谷光則が自分の屋敷に日蓮の愛弟子「日朗」のために建てた日蓮宗のお寺です。境内には「日朗上人土の牢」がありますが、これは「龍ノ口の法難」の時に日蓮と一緒にいた日朗らが捕えられ押し込められた土牢です。ご存じの通り、日蓮は処刑を免れ佐渡に流されますが、その途中相州の依智(厚木市)から日朗に宛てた手紙『土の牢御書』が残されています。自分の命すらどうなるか分からないのに、弟子に宛てた心遣いあふれる内容が印象的です。
日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今夜の寒きに付ても、牢のうちのありさま、思いやられて痛わしくこそ候え。あわれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六身一切衆生をも助け給うべき御身也。法華経を余人のよみ候は、口ばかり言ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候え。 「天諸童子 以為給使 刀杖不加 毒不能害」(法華経 安楽行品)と説かれて候えば、別の事はあるべからず。 牢をばし、出でさせ給い候わば、とくとくきたり給え。見たてまつり、見えたてまつらん。 恐恐謹言 (昭和定本日蓮聖人遺文五〇九頁)
法華経安楽行品の一節は 「天の諸童子が守護するから、刀や杖を持って傷つけたり、毒を盛って命を奪うことはできない。」という意味です。宿谷光則はこの弟子を思う日蓮の気持ちにうたれ、自分の屋敷を寺にしたそうです。